本の帯を捨てる
- 井上靜

- 2021年11月29日
- 読了時間: 2分
本に付いている帯は、選挙で候補者が付けているタスキのようなものだと言われる。
だから、選挙のあと議員がタスキを付けてないのと同じことで、本を買った後に帯を付けている意味は無い。あくまで宣伝だから。

それで、買った本から直ちに帯を取る人がいる。
すると昔は、落丁などの不良品があったさい、交換のさい書店で嫌がられることがあったそうだ。今は製本技術の進歩で落丁は無くなったから、帯を取っておく意味は古本屋に売るためだけだろう。
そもそも帯が必要かという問題もある。
よく、帯の宣伝文句に釣られて本を購入したが、読んだら内容が思っていたのと違っていたからガッカリしたという人がいる。そんなことがあるから、帯の宣伝なんて当てにしないで購入の判断をするという人もいる。
それで出版社で最初から帯を止めてしまったりもする。
あと、出版社のセンスが悪い場合もある。
これが内容にそぐわないけれど売れるというならともかく、どう考えても不適切であるため売れ行きに悪影響していることも少なくないのだ。その意味でも、本の帯はとっておく価値がない。
前に、帯の宣伝文句を知り合いのコピーライターに依頼した。
そのさい、料金がよけいにかかるといって出版社が難色を示したから、こちらで料金を負担して払ったのだが、その出来上がったコピーを出版社が勝手に改竄してしまい、それで意味が変になってしまったのでコピーライターが怒り、こちらは金を払ったうえ恥をかかされ散々だった、ということがあった。
なのに、改竄の張本人である出版社の経営者は、書き換えは正しいと言って譲らなかった。もっと大手の出版社で仕事をしているコピーライターなのに、それより遥かに零細な出版社の経営者が、自分の方こそ正しいと言う。他人の仕事を後から勝手に弄って得意がるというのは創造性を欠いた思い上がりだし、委託したくなければ拒否し、任せたなら信頼する、というのが仕切る役割の人にとって鉄則のはずだ。それを守れない人は、そのうち必ず大きな失敗をするものだ。
それで迷わず絶交したのだった。
過日、自宅の本棚で、付けたままにしていた本の帯を外して捨てた。
その重量を図ってみたら、大した量でないけれど何百グラムにもなった。棚や床の負担というほどではないが、量が多くなれば無駄に重いので、古本屋に売る気がないなら帯なんて捨ててしまうに限る。こんな習慣、早く無くなったら良い。



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