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  • 執筆者の写真井上靜

未成年者だったころ親に強要された交友は成人したら有害無益

更新日:2023年4月20日

 このあいだ、ある人が体験から語っていた。

 それによると、付き合いを断つべき人とは付き合いを断つべきであり、その見極めをすることに意義があるらしい。

 ところが、それを実行したら、友達が誰も居なくなってしまったという人もいる。それくらい駄目な人付き合いをしていたということだが、そうなるのは自分が変わったからで、よく変わったのは成長したからということができる。


 それを言ったら自分のことが実に適切な例だろう。

 成人前の友人は全員、付き合いを断った。なんでそうなるのか。最初から友達に値しない人だったからだ。あとから成長したことで気づいたのではない。もともと気づいていた。けれど、付き合いを断つことを実行しなかった。なぜなら母親から、あの子は良い子だから仲良くしなさいと言い包められていた。しかし成長して、親の言うことが間違いだと解かった。

 つまり、親が良い子だと言う人は友達として相応しくないと気付けるようになったのだ。



 親が良い子だという人は、大人に都合の良い子供ということである。

 まさか親がそんな悪辣な発想をしているのかというと、そうとは限らない。親も御都合主義に気づいていないことがある。その方か多いかもしれない。

 どうであれ、大人の都合に合う子供が、子供にとって本当に良い友人である訳がない。


 例えば、幼稚園から高校まで一緒だった男子。

 この人は、人の悪口は悪いことだという信念があるようだった。それで自分が何か言われると軽い冗談に対しても激怒する。ところが、大人の言うことの尻馬に乗って言う分には悪口ではなく正当な批判だと信じていたらしい。

 ほんとうに信念から批判するなら、誰かが言っているかは無関係で自発的に言うはずだ。それはしないで、学校で教師が言うと便乗するのだ。こうしているなら、大人の評価は高い。


 うちの母親が彼を評価するのは、彼が知的障害児の世話をしていたからだ。

 といっても、それは登校のさい学校内にある知的障害児の教室まで手を引いているだけだった。もちろん、それだけの簡単な作業でもしないよりは大変である。しかし、彼は自宅が近いから頼まれてやっていただけで、しかも、うちの母親のように上辺に騙されやすい人からの目と評価を明らかに意識してやっていた。

 そして、これは自分も彼に嫌らしい口調で言われたことだが、大人の目と評価には関係なく同様のことをしている者たちが、それゆえ社会意識を持ち制度や政治の点から福祉の問題を語ると、彼は「共産主義者」と非難していた。これも保守的な人たちの目と評価を気にしてのことだった。


 しかし、この姑息な処世術が見破れない母親。

 そして最初は従ってしまっていた未熟な自分がいた、ということだ。ただ、これをあの当時に指摘して言っていたら、もっと醜いことになっていたはずだ。だから仕方ない。それで成人して親の影響から脱してから、彼をはじめとして次々と付き合いを断ったのだ。

 そして未成年者だった当時の知り合いなど、関わらなくて有益であるうえ、なにも困ることはないと実証された。

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