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  • 執筆者の写真井上靜

昭和の体育会系・運動部の体質で気配りと出世をした森喜朗

更新日:2021年6月24日


 舛添要一が、女性差別発言した森喜朗を擁護して「気配りの達人だから失言も多くなる」と発言したので、「つまり女性に対して気配り不要ということじゃないか」と批判している人がいるけれど、舛添要一という人は女性差別主義者であることを昔から公言しているから平常運転みたいな発言である。

 それでも舛添要一を支持する女性がいる。なぜなら「男性に従属して生きる方が女性は楽でいい」とか、「自分は一部の特別な女性なのだから他の平凡な女性とは違う」とか、そういうことだ。ビートたけしが漫才で「こら、そこのブス」と客席を指差すと、その周囲が最も笑い、なぜなら「指差されたのは自分ではなく隣の女性のことだ」と、笑っている女性の皆が思っているからだと皮肉っていたが、これは現実にあることだ。だから女性差別なんて他人事だと思って、女性差別主義者を公言する舛添要一を支持する女性が少なくないのだ。


 ところで、森喜朗という人の「気配り」は、かつてベストセラーになった鈴木健二NHKアナウンサーの著書『気くばりのすすめ』と同じで、他人を思いやるのではなく自分の出世のため周囲に気を使う処世術である。あんな失言をする人が、なんであんな出世するのか、という疑問も解けるというものだ。



 また、森喜朗という人は早稲田大学にスポーツ推薦で入った。公共の場で、ジャージやトレーナーを着て、スポーツバッグをもった集団が傍若無人というのを見た人は多い。

 これに小説家の曾野綾子が出くわして怒り「トレーナーのゴリラたち」という雑文を月刊誌に書いていた。「ゴリラなんて失礼だと非難されるかもしれないが、それくらいひどかった」ということだが、逆にゴリラに失礼だろう。よく誤解されていて、SF映画『猿の惑星』でも、ゴリラが乱暴な軍人、チンパンジーが知的な学者と描かれていたけれど、実際には逆で、ゴリラは温厚で知的、チンパンジーのほうが野蛮で狂暴である。


 それはともかく、映画のキングコングのように獰猛な印象という運動部の連中は、電車やバスの中で、老人や障害者や赤ん坊を抱いた母親などお構いなしに、強引に座席を確保し、そこに威張り腐った先輩が座るということがよくあった。昭和の時代には普通のことだった。だから会社も、体力勝負の仕事ではないのに体育会系の人を重宝がる。「日本的経営」に良く合っているからだ。そして反社会的な不祥事があると「真面目な社員で、会社の為を思って、やりすぎてしまったのだ」と上司が弁解するものだった。

 だから、経団連の中西宏明会長が定例記者会見で森喜朗会長の女性蔑視発言について「日本社会にはそういう本音があるような気がする。それがぱっと出てしまったかもしれない」と指摘したが、これは財界にとって好都合とされてきたことが原因だ。


 こういう、特に昭和の、体育会系・運動部の体質を持つ人たちが「気配り」で出世してきたのである。その一人である森喜朗という人は少々露骨なだけである。


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