弾圧、検閲、ピノチェト風の新自由主義...ゼレンスキーの隠れた側面(5)
- 井上靜

- 2022年5月8日
- 読了時間: 5分
更新日:2022年5月8日
ウクライナの過激派を利用するゼレンスキーの右翼的変節
●ウクライナの学者ヴォロディミール-イシチェンコは、NLRとの最近のインタビューで「ソ連崩壊後の東ヨーロッパでは、西ヨーロッパとは異なり、ナショナリズムと新自由主義の間に親和性が多くある」と述べました。
この現象は、ドンバスで最も裕福な人々の間でも観察されています。
あなたは、その声明に同意しますか。もしそうなら、この同盟がどのように進化したか説明してもらえますか。
私はヴォロディミールに同意します。
我々がウクライナで見ているのは、ロシアおよびロシアとの協力を主張する全ての人々に対する共通の不寛容さに基づく、ナショナリストとリベラルの同盟です。現在の戦争に照らして、このリベラル派とナショナリストの団結は、一見は正当化されそうです。
しかし、この同盟は、この戦争のずっと前の、マイダン運動が結成された2013年に、創設されていました。リベラル派にとって、マイダンによって支持された欧州連合との連合協定は、主に民主化、近代化、文明の観点から認知(ウクライナをヨーロッパの統治基準に引き上げる方法としての構想として)認知されていました。
これとは対照的に、ロシアに率いられたユーラシア経済連合は、ソ連の国家主義とアジアの専制主義への文明的後退と関連づけられ認識されていました。そこで、リベラル派とナショナリストの立場のうち後者がマイダンを積極的に支持したのは、民主化のためではなく、明らかに反ロシア的な立場のためだったのです。
抗議行動の初期の頃から、過激な民族主義者は最も活発なマイダン戦士だったのです。「ユーロ-マイダン」を進歩、近代化、人権などと結びつけるリベラル派と、その運動を民族主義的綱領のために取り入れる急進派との間の団結は、市民の抗議を憲法違反の権力転覆につながる武装闘争に変えるための重要な前提条件であったのです。革命における過激派の決定的な役割は、覇権主義的な反マイダン言説が「キエフの権力交代」と呼ばれたように、ウクライナ東部における大規模な反マイダン運動、"クーデターに反対する運動"の形成における決定的な要因にもなっているのです。
今、私たちが目撃しているのは、少なくとも部分的には、そうしたマイダンの間に形成された不幸で近視眼的な同盟の悲劇的な結果です。

●ゼレンスキーとウクライナの極右との関係が、どのようなものであったか説明していただけますか。
ゼレンスキー自身は、決して極右の見解を表明しませんでした。非公式の選挙綱領として使われてきた彼のテレビシリーズ"Servant of the People"(人民の下僕)では、ウクライナのナショナリストが否定的に(彼らは愚かなオリガルヒの傀儡にしか見えない)描かれています。
大統領候補としてゼレンスキーは、前任者ポロシェンコが署名した、ウクライナ語の知識を公務員、兵士、医師、教師の必須要件とする言語法を、批判していました。「私たちは社会を強化する法律や決定を開始し、採択しなければなりませんが、その逆はありません」とゼレンスキー候補は2019年に言いました。
しかし、大統領に就任した後、ゼレンスキーは前任者のナショナリストプログラムに目を向けました。2021年5月19日、彼の政権は、ポロシェンコの言語法に厳密な準拠をした計画である「公共生活のあらゆる分野でウクライナ語を促進するための行動計画」を承認し、ナショナリストの歓迎とロシア語話者の失望を招いたのです。
またゼレンスキーは、政治的敵対者やドンバスの人々に対して過激派たちが行ったすべての犯罪について、訴追するために何もしなかったのです。ゼレンスキーの右翼的変節は、ブジナ殺害の容疑者の一人である民族主義者メドヴェドコの支持という形で象徴的に顕在化しました。このメドヴェドコは、2021年にゼレンスキーがロシア語の反体制派チャンネルを禁止したことを公式に支持しています。
問題はその理由です。
人民は、彼が和解の政策を追求することを望んでいたのに、なぜゼレンスキーはナショナリズムを支持して方向転換したのか。
すでに多くのアナリストたちが承知しているように、これは、過激派が、ウクライナ国民の少数派を代表しているに過ぎないにも関わらず、政治家、裁判所、法執行機関、ジャーナリストなどに対して暴力をふるうのを躊躇しないからです。言い換えれば、過激派たちは単に、あらゆる権力の部門をも含む社会を脅かすのが得意です。
あくまでプロパガンダとしてなら「ゼレンスキーはユダヤ人だから、ナチスにはなれない」という念仏・マントラを好きなだけ繰り返すことができる。しかし真実は、過激派が、その民族主義的、至上主義的な策謀に反対する人々に対し暴力ふるうことを通じて、ウクライナの政治機構を支配しているのです。
亡命生活を送っているウクライナで最も人気のあるブロガーの一人、アナトリー-シャリー(Anatoliy Shariy)のケースは、この点を説明する良い例です。彼と彼の家族は絶え間ない殺害の脅迫を受けているだけでなく、過激派は彼の党(2022年3月にゼレンスキーによって禁止された)の活動家を脅迫し続け、彼らを殴打し、屈辱を与えています。これをウクライナの過激派は「政治的狩猟」と称しているのです。
原文は英語。翻訳は当ブログ管理者。このインタビュー記事は次回に続く。



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