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大阪検察トップの居直りで思い出す大学の元検事教授

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年12月15日
  • 読了時間: 2分

 北川という大阪の検察トップだった男が裁判で居直り始めた。

 これで、被害に遭った元部下の女性は、こんな屈辱なら泣き寝入りした方が良かったと言っていた。もしそうしたら、人間の尊厳より地位を選んだことで一生の苦しみを抱えて、次第に冷酷無残な態度をとる人となるだろう。

 その証拠に、同僚の女性など上司に媚びていた。こういう組織なのだ。昔から言われてきたことだが。こんな職場が嫌で辞めた人たちが言ってきた。


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 被害者が同じ検察官でも、これである。

 この調子だから、女性の被告など検察官の男性から性的暴行を受けるなど日常茶飯事だと、元検察官が昔から言ってきた。それで嫌になり辞めたのだと。そういうことが出来る権力をもっているのだから、やらない方が不思議なくらいだ。

 それを「愛」の行為だと言っていた元検察官もいたが。驕った人間がやることだ。あの原発問題を追及したフォトジャーナリストと同じである。それより公権力によってさらに増上している。


 大学で刑法を履修した元検察官の白井という教授も、そうだった。

 日本に冤罪など無い、検察のやることは間違いない。陪審員制度には反対だ。司法が頭の悪い庶民どもから監査されるなど、とんでもないことだ。司法試験に受かった者は頭がいいのだ。他は低学歴でも高学歴の理系でも同じようにバカだ。

 この思い上がりによって、多様な市民の生活と人生経験からの見識を全否定し、その見識や良識を取り入れる陪審員制度に反対する。そして、理解するためには人生経験ではなく名作文学の古典を読むことだと言って、ドストエフスキーの『罪と罰』やトーマスマンの『魔の山』を挙げる。世間知らずのお嬢様の文学少女みたいなことを五十面下げたオッサンが大真面目に大学の講義で説くのだから滑稽かつ気持ち悪かったが、これにより、よく言われる検察の体質を理解する一助にはなった。


 裁判所でたまたま、弁護士として出廷しているのを見かけた。

 そこで傍聴した。やはり大学での自画自賛にしては御粗末だった。臆面もなく愛を語る者と、平気で自慢する者は、信用ならないものだ。

 あと、その著書を古本屋でたまたま見つけて買った。そうでないと買う価値などない。やはり読んでも、理解はできたが、しかしどうでもいいことに長々と虚しい言葉を費やしていた。だから捨てた。

 これらの行いについて正しいと確信させてくれる、北川検事の言動である。



 


 

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