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古着を盗んだ人

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年1月14日
  • 読了時間: 2分

 「落ちている人形を拾うな」と昔から言われている。

 これは、人形には人の意思がこもるから悪い影響がある、ということだ。だから、例えば「流し雛」とは災いを遠ざけようとする「まじない」である。そうでなくても、これは実際にあったことだが、小さい女の子が誰かの落した人形を拾って持ち帰り、親から注意されても気に入って手放そうとせず、そのうち人形に憑かれたように夢中になってしまい、人形を燃やしてお祓いをした、なんて不気味な話もあった。

 そのほか、事故に遭ったり病気にかかったりすると、人形にこもっていた前の持ち主の意識が作用しているのではないかと、ほんとうなのか、こじつけなのか、考え込んでしまうものだ。



 似たようなことは服や宝飾品にもある。

 そして、よほど気に入っているとか、良い思い出があるとか、そうでないものは処分したほうが良いけれど、「箪笥の肥やし」よりは有効利用でリサイクルショップに売ったらいいとは思うものの、買った人が不幸になるかと気になる物だったら、それでいいのかと迷うことがある。

 もちろん、知らずに買って気にせず使ってくれるなら結構である。しかし、それは無いかもしれないという物だってある。


 古紙とともに古布を自治体で回収している。

 これはペットボトルや空き缶と同じ資源ごみである。資源ごみを置き場から持ち去る人がいて、この行為は立派な窃盗である。手放した人は所有権を放棄しているから、回収する自治体の所有物になっている。そして資源の業者から売却益を得てゴミ処理の費用の足しにしている。だから資源ごみを回収する前に置き場から持ち去ることは泥棒であり刑法犯である。

 ここに先日、無用な物とともに不幸な記憶と結びついた古着を出したが、その中にニット製品で買えば何万円もするものが二点混ざっていた。その二点だけ持ち去った人がいたのだ。


 「もったいない」と思ったのだろう。

 また、それ自体は上物なので「得した」と思ったはずだ。しかし、それを資源ごみにするのは、まず自分で持っているのも辛いし、また古着屋に売れるけれど、購入した人が着ても災いに見舞われそうな気がしてならないから、ほぐして再生の道を選んだのだ。

 そうとは知らずに持ち去り得したと思っている人が、自分で身にまとっても、あるいは誰かに譲るなどしても、知らずに気にせず使ってくれていたなら結構である。ほんとうは窃盗なのだけど、所有権は地元自治体に移っているし。

 だが、こちらの災難は半端ではないので、何事もないことを祈っている。何かあったらご愁傷様。

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