医学生の性暴力に逆転無罪判決の意味
- 井上靜

- 2024年12月23日
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医学生の性暴力に逆転無罪判決。
これに非難轟轟なのは、女性が拒絶して言った言葉を変態プレイのものとして合意があった可能性があると言う理由だったからだ。となると、この裁判官は、そういうことを自分が好きだから、それが普通だと思っているのだろうと呆れられ、また、これでは拒絶しても駄目ということになってしまうと、暗澹たる気持ちになったと女性たちが言っている。

前にも医学生の性暴力が司法から見逃されていた。
他にも、社会的地位がある者や、その家族だと、警察も検察も裁判所も、甘いどころか特別扱いである。被害届や告訴状を受け取ってももらえない。
それで、日本には法の下の平等が無いとか、男尊女卑だとか言われてきた。しかし、それだけではない。
法の恣意的な運用は「貸し」にしておくためでもある。
社会的地位の高い人には、お目こぼしにより借りを作らせておけば、後々なにかと好都合である。「あの時のことを蒸し返されたくなければ言うことをきけ」と脅すことができるし、そんなことしなくても相手が解っているから自発的に言うことをきく。「忖度」するわけだ。
昔は、そういうことを問題にして、闘う人たちが、マスメディアにも司法にも政治にも、いたものだった。
今は何が変わってしまったのか。
そもそも、そういう問題意識が無いのだ。特に弁護士とマスコミ関係者。だから、追及されないので、権勢に媚びておけば悪いことしたい放題なのだということになっている。
あと議員もひどい。そして、問題意識が無いので駄目なだけでなく、仮に問題だと思っても、どうすればいいか解らない。少し知恵を絞ればいいのにと思うが、絞る力がないか、力があっても中身がないので何も出てこないから絞るだけ無駄か、そのどちらかである。



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