伊佐千尋の著書を読むと
- 井上靜

- 2023年5月10日
- 読了時間: 2分
更新日:2023年5月10日
伊佐千尋を初めて知ったのは代表作といわれる『逆転』である。
これはテレビドラマ化されて、それを観たら面白かった。司法の問題に関心を持った最初のテレビドラマだったのではないかと思う。まだ少年だったが、とても面白かったので難しいことは解らなかったけれど、テレビに食い入るようにしていたものだった。
それで伊佐千尋には司法問題の著書がある。
よく冤罪事件をとりあげていて、ロッキード事件についても裁判のやり方に批判的だった。これには「田中金脈」の追及で知られる立花隆が反論していたけれど、このさい立花隆は伊佐千尋について『逆転』が有名で陪審員制度の復活を主張している人だと説明していた。
実際に伊佐千尋は、日本の司法が間違いばかりだから、昔はあった陪審員制度を復活させて市民の良識による監査が必要だと主張していた。

今、裁判員制度があるけれど陪審員制度とは程遠い。
裁判員は裁判官の指揮下にあるので、陪審員のような裁判官を抑制する力が無い。陪審員は裁判官が何と言おうと決めるのは市民だ。
それが良い意味で発揮されるのは例えばハリウッド映画で同じ監督の『12の怒れる男』『評決』のような場合、逆なのが『アラバマ物語』であり、良いことも悪いこともある。
ただ、それはどんな制度も同じだ。陪審員制度さえあれば冤罪が無くなるわけではないだろうし、しかし制度が無いよりはマシだと言われることがあり、それくらい日本の刑事裁判は頭ごなしの有罪ばかりだ。
この実態を知るほど怒りが起きるのは大学で受けた刑法の授業だ。
これは刑法の概論と犯罪学と二種類だったが、犯罪学の方は教授が元検察官で、だから駄目だと言う弁護士や人権擁護運動団体の人たちがいて、その通りだった。
いつも授業で陪審員制度に反対だと言い、それは裁判の間違いは弁護士が不熱心であることが原因であると言う。日本の弁護士は民事や商事の金儲けになる分野ばかりやりたがるからだ。これは本当だが、この一方で、日本の刑事裁判の有罪率が極端に高いのは、有罪になる見込みが乏しいと不起訴にするからだと言って正当化する。
これがデタラメであることは、今時みんな知っている。
よく映画やテレビドラマに出て来るが、アメリカなど諸外国では予備の審問で本裁判にすべきかを決める。それなりに証拠が揃っているか、法的な問題が無いか、などを公開の法廷で行い裁判官が決定する。これが日本では検察が密室で勝手に決めている。
それなのに、ということ。やはり大学教授それも元検察官なんて駄目ということだ。



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