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  • 執筆者の写真井上靜

沖雅也の養父だった日景忠男は喜多川と大違い

更新日:2023年10月13日

 国際的に騒がれてジャニーズ事務所も凋落である。

 それなら、沖雅也の養父だった日景忠男も、かつては羽振りが良かったけれど晩年は金で揉め事を起こして逮捕されるなど凋落していた。王貞治や蓮舫と同じで台湾に親がいて、それもかなり富裕だったから、台湾の大学を出たあと日本に留学して東大の大学院に通い、卒業後も仕送りがあるため就職の必要がなく、自らが同性愛者だったためゲイバーを営んでいた。

 その当時、偶然出逢った家出少年が、学歴もスキルもないけれど美形で長身だったので芸能を志向していたから、出資して会社を作り、芸能のプロデュースやマネージメントの専門家を雇って売り出してやったところ、素材が良かったのできちんとした売り出しをするとたちまち売れて、二枚目俳優として一躍有名になった。これが沖雅也であった。


 その後、沖雅也は体調が悪くなって悩み続け、自殺してしまう。

 そのさいの日景忠男に宛てた遺言「親父、涅槃で待つ」が話題になり、日景が記者会見で泣きながら「もう、いいじゃないですか」と言う様子も話題になった。これをきっかけに景忠男はオカマキャラクターのタレントとして一時はよくテレビで活躍していた。

 このため沖雅也も同性愛者だったと思われたが、そうではなく、それで日景忠男は、同性愛行為を嫌がる沖雅也が、一方で女性に人気だけどスキャンダルを避けて女性を遠ざけられるから欲求不満になっているので、金で口の堅い女性を雇って宛がってやったと話していた。

 また、沖雅也の実父が死去したら自分の養子として正式に法的手続きを取っていたから、死後は墓石に本名の日景城児と刻まれていた。このように責任をもって世話をしていた日景忠男だった。



 私事だが、この日景忠男が経営していた新宿の喫茶店で知人が働いていた。

 そのまた知人がゲイ雑誌を発行している東郷健と顔見知りだった。そこから「ジャニーズ事務所は喜多川という人の趣味と実益」という話を聴いていた。

 その新宿の喫茶店はシンドバッドというが、そこでバイトしていた女子高生が電話をとってうっかり「ロビンフッドです」と言ってしまい叱られたという話も聞いた。この店も後に潰れてしまった。


 これに対しジャニー喜多川という人は、少年を食い物にしただけ。

 育てるタレントを息子のように大切にしていたと御用メディアが報じていたけれど、それなら日景忠男のようにしているはずである。しかし実際は、特に母子家庭など貧困な出の少年が芸能でやっていくしかないうえ歌や踊りなどを修行している時間も費用もないので十代のアイドルになるのだから、売り出してもらえなければだめという弱みに付け込み性的虐待をし続けたということだ。

 そしてジャニーズ事務所のアイドルは十代の女の子むけの子供騙しだから、そんなのばかりがテレビを占拠し、まともな芸能は輸入品ばかりになり、貨幣が外国に流出して日本の経済に悪影響を及ぼしてきた。

 だから「不祥事があったからと功績まで否定して良いのか」と言っている人は、解っていないのだ。

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