- 井上靜

- 2月5日
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「校長先生の仰っているのは二十年前のものです。やれ前髪が何センチ、スカートが何センチ、そんなことをして子供が良くなることは無いと、とっくに証明されています」
これは人気の学園ドラマ『金八先生』のセリフで、長いスカートで足を隠していた女生徒を見て不良少女の服装だと思った校長が、古い発想だと指摘される場面でのことだ。この教頭は、シリーズの初期から出ている女性の教師で、口やかましいけれど常に正論というキャラだった。
そして、実はこの女生徒は性同一性障害だったので、自分の身体に違和感があり、それで隠そうとしていたのだった。それを明かすのは躊躇われたので、母親は学校側に説明するとき、足に大けがの痕があって隠していると言った。
この、二十年前の長いスカートは、今では永田町センセイの三原じゅん子が出ていた当時のことで、それと同じだと誤解を校長から受ける女生徒の役は、今ではスーツのイメージキャラクターをしている上戸彩だった。それから更に二十年経ったということで、扇子を持って「あれから四十年」という漫談みたいに今は昔のこととなった。

こんな昔と頭の中が同じである人が未だに居なくならない。
先日、六十一歳の教員が、生徒に暴言を吐いて何か物を投げつけたため、懲戒処分を受けたと報じられたが、この男性の教員は「メンタルを鍛えてやるつもりだった」と釈明したという。
この、暴力の恐怖で鍛えてやるというのは、昭和の価値観というより迷信であるが、これをまだ頭の中に保ち言動に反映させている人が年配者とはいえ教師にもいることに呆れるしかない。
先のドラマのように性同一性障害が原因というのは知らない人もいたし、二十年前だけでなく現在でも意識が低い人たちは配慮しないが、それなどまだマシな方で、その母親が方便として言った傷痕を隠しているということに対しても、昭和の学校では「気にしなければいい」と言って、それでいじめられても「気にするほうが悪い」と言ってイジメを正当化したうえ、自殺に追い込まれても「そんな弱い子は死んだほうがいいんだ」と平気で言う人の方が多いくらいだった。こんなのが教師にもいたどころか、教師が率先していた。社会の反映で学校の雰囲気がサディスティックになっていると昔から指摘されてはいた。
この影響を受けた人たちもいる。
前に知人と一緒に、知り合いが出演しているライブハウスへ、その弾き語りを見物しに行ったら、他の出演者が演奏の合間に思い出を語っていたところ、それが学校で野球部にいたという話だったれど、そこでは教師の暴力が当たり前で、ヘルメットで頭を殴られて重症を負い一生の傷害を負うことになったという話で「頭を守るためのヘルメットで頭に重症を負わされた」と笑いながら言い「いやー良い思い出です。良い時代でした」と話すから啞然とした。
これについて知人は「あの人たちはバカだからしょうがない。見て判るように若年性の脱毛症ではなく頭が禿げていたり、あるいは白髪になっていたりの年齢なのに未だに飽きず懲りずバンドやっていて、それが上手だから皆が聴きに来るとでもいうならともかく、聴いてのとおり聴くに堪えない騒音を出して自己満足しているのだから、もともと若い頃からヘタクソ。そういう人はだいたい不良だったのだから、不真面目というだけでなく地頭が悪くて、自分が育った昭和の時代がどうだったのかも自覚できないんだ。戦友会で爺さんたちが軍歌を唄っていたり、集団就職世代の老人会で『ああ上野駅』を唄っていたりと同じ。自分たちが時代の犠牲者だったことに一生気づけない人たちだ」
なるほど、そういうのが教師にもいるということで、教師は真面目のようでいて実は単なる学校適応過剰な人ばかりだから、上記のようなことになるという仕組みであると容易に解かる。


