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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 4月23日
  • 読了時間: 2分

 減税にヒステリックな反対をする立憲党。

 それが「ザイゲン」「ザイゲン」と紋切り型の言葉使いと中身の無さだから、当然のこと呆れられている。これは、かつて、もう何十年も前のことだが、消費税の制度が強行されたさいに批判された自民党側の人達が言っていることのゾンビ復活である。

 これで、よく恥ずかしくないものだと不思議でさえある。


 ここで党に盲従するのが米山隆一議員である。

 すぐに辞めるはめになった知事の経験を基に、経験は短かかったけれど、それによって税収の大切さが良く解ったと言っていた。よく言うよ、というのが正直なところだ。

 これでは、青春時代に受験勉強ばかりしていて、いい年こいたオッサンになってから出会い系でひっかけた女性を金で買って、その程度の経験でナンパも恋愛も解ったと言っているのと同じである。

 


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 ここで米山隆一議員が御粗末なトリック論法を開陳していた。

 消費税が経済に悪影響しているという話に対して、今は物価が上がっているので、ここで消費税を全廃したとしても三年前の物価水準に戻るだけだから、それで経済が活性化するなら三年前に活性化しているはずだから、消費税を廃止しても経済が活性化することは無いと説く。

 いちいち解説するのも馬鹿馬鹿しいが、要するに米山隆一議員が解くことは、消費税の制度が存在することによる影響と、他の原因による結果としての数値とを、すり替えているのだ。


 こんな御粗末みっともないと気づかないのだろうか。

 まさか市民を騙せると甘く考えていないだろうか。


 


 

 
 
 

更新日:4月22日

 前に、こんな話をした。

 かつて同級生が西武新宿線に乗っていた時。『機動戦士ガンダム』などアニメーション映画のキャラクターデザインで知られ、漫画家としても活躍してきた安彦良和氏を偶然に見かけて、頼んでサインしてもらった。

 そういう話だった。


 そして、こんな話にもなった。

 その安彦良和氏が、『ガンダム』に出てくる「ニュータイプ」を支持しないと発言していた。また、これよりずっと前に、『ガンダム』の製作者である富野由悠季氏も、テレビに出たさい「ニュータイプ」という設定を入れたことは間違いだったと発言していた。

 ようするに富野氏の発言とは、人間が次第に進歩することについて「ニュータイプ」という概念を作る必要はなかったという趣旨だったし、安彦氏は「選民思想」に繋がるものだと指摘していた。

 ということで、『ガンダム』を作った中心の二人が「ニュータイプ」なるミュータントというか新人類というかの設定を否定したのだ。

 ところが、「ファン」「マニア」「オタク」の人たちは、「ニュータイプ」が出てくるからこそ面白いので、これがないと作品は意味をなさないと言う。

  しかし、そもそも『ガンダム』は『スターウォーズ』のような神話伝説調ではないのだから、神秘主義とかオカルトとかに属する設定を持ち込んでしまうと、多くの人は違和感を覚える。

 また、過去のSFアニメのように、宇宙人が侵略してくるとか、マッドサイエンティストや秘密結社による世界征服の陰謀とか、そんな非現実的な敵と戦う話ではなく、今の現実で起きている戦争と同じことが未来に起きたら、どんな科学技術を用いたものになり、どんな政治経済の背景になるか、という追及をする話なのが『ガンダム』であり、それこそ面白さだったはずだ。だから放送当時は、過去のSFアニメと違って大人でも面白いと感じると評価されていたのだ。

 ところが、後から映画化などで人気が出て熱狂的なファンやオタクが発生すると、その人たちは娯楽作品を鑑賞するというより宗教のように扱っている。こういう人たちが主流になると、そうではない多くの人たちは離れるのだ。


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 これに対して、別の指摘があったのだ。

 それは、結局『ガンダム』は子供むけにオチを付けたということだ。描かれているのは戦争なのだから、このオチは政治的であるはずだ。しかし、それでは子供には解らないし、子供でなくてもアニメばっかりのマニアやオタクといわれる人たちの頭の中に入っている脳の思考力では理解できない。

 それでオカルトを持ち込んで落した。そういうことをしないSFアニメ『銀河英雄伝説』は、原作の小説のとおり戦争に政治的オチをつけていたけれど、これがアニメのマニアやオタクは理解できていないのが現実だ。

 なるほど。それでニュータイプを否定されると熱狂的な人はヒステリーなのだろう。ただ、それを作者が意識していたというより、そもそも作者の側がオチを思いつけなかったのではないだうろかとも考えられる。

 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 4月21日
  • 読了時間: 2分

 トランプ政権が大学に介入している。

 それに賛同する人たちが少なくない。これについて米国在住の日本人学者が、正直驚いていると言っていた。賛同する人達が言うには、大学には公金が投入されているのだから政権の方針に従うのが当然だとのことだ。この発想がとても危険であることは歴史を見れば明らかなのに。

 しかし、この歴史を見れば明らかなことを解らないのは日本の大学生も同じである。


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 かつて日本政府が何かの催しに合わせて国旗掲揚を大学に指示した。

 これに学生たちが反発したけれど、学生の中には「国立だから仕方ない」とか「国立だから当たり前」とか言う人たちがいて、これがテレビのインタビューでも放送されていた。

 国立だから駄目なのに、それを解らない人が一般人だけでなく当の大学生にもいるのだから由々しきことである。


 私立大学には国粋主義を売りにしている所がある。

 これは私学だからわざわざやっていることである。宗教の学校に特徴的で、学問とは無縁なことだからだ。それゆえ、一般的に国立は私立より水準が高いとされるのだ。低水準だから、学問とは関係ないことをやっているし、学問とは関係ないことをやっているから低水準ということにもなる。

 それに加えて、国から金が出ているから従えというのでは、スポンサーやパトロンである。そんなことをしていたらもはや学問ではない。


 これは基礎中の基礎である。

 なのに知らないとか解ってないとかの状態で平気でいる人達が大学生をやっているし、大学教授にすら解らない人もいた。御用学者とか、上昇志向で権勢に媚びている人とか。しかし、そんな人たちは保守的な学者からも軽蔑されているものである。 

 そんな軽蔑されている偽学者を慕っている学生がいることも確かだが、そういう学生は色々な意味で大したこと無い人である。 

 
 
 
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