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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年7月10日
  • 読了時間: 2分

更新日:2025年7月10日

 参議院議員選挙に自民党から立候補した鈴木大地もと選手。

 水泳の背泳ぎで違反スレスレのやり方(それで問題になり規則の改訂となった)で優勝すると、マスコミのインタビューに「嬉しいに決まってんだろ」と言い放った。愚問ではあるが、だからと言ってこの言質は何だということで、テレビで笑いのネタにされていた。

 やはり選挙で当選して「嬉しいに決まってんだろ」と言うのだろうか。



 この話も今は昔で、知らない人が圧倒的に多い。

 もともと知らない人だけでなく、リアルタイムで知っていても忘れている人がほとんどだろう。それくらい昔のことで、鈴木大地はスポーツ選手として過去の人である。

 そんな知名度の人がいまさら選挙に立候補するのはなぜか。どうみても政治に関心が無く、自民党としては客寄せとして有名人を担ぎ出しただけだが、その意義がある人物だろうか。


 それでも当選はするだろう。

 なぜなら、それなりの活躍をしたスポーツ選手には、それ相当の後ろ盾と組織力があるものだ。スポーツの協会など団体が補助金を目当てに会長の政界入りを望む。これを期待して自民党は誘ったのだろう。これに応じた鈴木大地は、瞬間の注目だったことを利用して、永田町センセイという虚名を得ることにしたはずだ。

 だから政治的に活躍することは期待されていないし、そんな気は当人にも無いだろう。おそらく組織力によって当選して、まったく仕事をしないはずだ。

 

 「カボチャの頭」という表現がある。

 とにかく議員の頭数を揃えたいから、地位と歳費を得させて従わせればいい。そういうことで知名度を喪失している引退した選手を利用しているだけ。

 これが現実である。そんなことのために、多額の税金が浪費されるのだ。そんな議員になる候補者など投票してはいけないけれど、組織の指示に従って投票する人達か大勢いる。それが面白くないと感じる正常な感覚の人は、自民党から遠い政党の候補者に投票するべきだ。 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年7月9日
  • 読了時間: 3分

 予言が話題になっていたらしい。

 そんなことは一部でのことだろう。地震か何か危険なことの予言だったのか、なんであれ詳しいことを知る価値はないだろう。

 ところが、ここで奇妙なことを言い出す人がいる。これは年配の人である。今は年配の人なら、子供のころに話題だった『ノストラダムスの大予言』が外れたことによって馬鹿らしさを知っているから騙されないけれど、今どきの若い人は免疫が無いというのだ。そんなことを言っている人の方が、あまりにも馬鹿らしい。おそらく頭の弱い子供だったはずだ。


 『ノストラダムスの大予言』は七十年代のベストセラーだ。

 この本は、ノストラダムスが書き残した当時の世相の記録を曲解して未来の予言であるとし、これまでに的中し続けたという歴史上の例を挙げて、それはことごとく牽強付会だった。

 そして、社会は混乱し破滅に近づき、最後は1999年7月に人類は滅亡する、という予言がされていて、これは核戦争が起きるということだろうという解釈だった。

 やはり売れただけに面白くて、当然のこと続編が次々と発行されるのだが、見事に二番煎じ三番煎じ四番煎じとなっていくので、出版社の意向をうけて著者は仕方なく書いているのが見え見えで、その続編を読んだ人は笑っていたものだ。



 その本の趣旨は警鐘だった。

 これは子供でも解ることだった。予言が当たるかどうかはともかく、ほんとうに人類が破滅してしまわないように、環境汚染や核軍拡を食い止めようという訴えかけだった。

 そして、本を基にした映画が製作されると、異常気象や奇形生物の発生などの不気味な現象や、社会不安から集団自殺する若者たちなどが描かれ、最も恐ろしいのは核戦争であるということで軍事の記録映像と特撮映像の組み合わせによってディザスター見せ場が作られている。けれど物語では、その危機について国会で討議されたさい、それを人類の英知によって乗り越えようと首相が力説することで締めくくられるのだ。この演説は観念的で具体性がないけれど、何度も首相の役を演じている名優=山村聰の話術に観客は感動させられたものだった。


 「予言」のとおり人類は破滅してしまうと思った人は子供にも少なかった。

 ただ、「予言」とは別に、そうなる可能性もあり、だから、汚染や軍拡をやめないといけない、という警告として受け取られていた。

 そして実際に1999年7月になっても人類は滅亡しなかったけれど、その時に予言は外れたと一応は言っている人達がいた程度で、すでに『ノストラダムスの大予言』そのものが殆ど忘れられていて、知っている人でも、とっくに、あれは予言ではないと解っていたし、その前に「冷戦」が終了して核戦争の危機は遠のき、その代わり世界各地で民族紛争などの小競り合いから悲劇が起きることが増えていて、それをなんとかしないと悲惨だということに関心が向いていた。

 

 こういう社会常識を知らない年配者がいるわけだ。

 それもそのはず、『ノストラダムスの大予言』を間に受けていたけれど当たらなかったと戯けたことを言っているのだから、不勉強である以前に地頭が悪いのだ。そんな出来損ないの年配者が「我々はもう騙されないけど若い人たちは違う」などと言っている。

 今の「予言」にしても、おそらく遊びの感覚だろう。それを間に受けたと勝手な解釈をして、間に受けた先輩として勝手なことを言っている。そのように間に受けた人達は、話にならないほど極少数であるはずだ。


 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年7月8日
  • 読了時間: 2分

 完全に無くなったとは言い切れない。

 だけど、一昔前とは違って、選挙で「私を男にしてください」とか、その妻が「主人を男にしてやってください」とか、そういうことは言わなくなった。

 なんだあれは、という指摘は、何十年も前から出ていた。



 例えば土井たか子衆議院議長が言っていた。

 そして、落選したら男じゃないのか、女性の候補者は「私を女にしてください」とは言わないでしょう、と言って笑っていた。

 つまり、権力志向のマッチョ願望から出る言葉ではないかと批判していたのだ。


 女性の候補者が「私を女にしてください」と言った話は伝わっている。

 それで聴衆から「どうすればいいんだ」と野次が飛んで、売り言葉に買い言葉で「私に入れてください」と言ってしまった。もちろん投票してという意味だが、変な意味になってしまうと気づいて、その候補者の女性は赤面していた。

 というのは雑誌に乗っていた小話なので、笑い話、作り話、の可能性がある。


 ただ、男にしてくださいと言うのは田舎の保守派ばかりだ。

 これは、名をあげたい、出世したい、ということだから、自民党の候補者を中心にして言われる言葉になる。そして田舎者は、そういうものだと思っている。社会の為に働かせて欲しいというのではなく、私利私欲である。

 それが最近は言われなくなったので、この点は洗練されてきたということではないか。

 
 
 
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