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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 11月18日
  • 読了時間: 2分

 小説投稿サイトの話の続き。

 前回、紙製冊子に発表した小説を小説投稿サイトに掲載したところ、すぐにアクセス数で紙製冊子を遥かに上回った、という話をした。

 また、ただし紙製冊子の編集作業と、それが終わってからの飲み会で作品を互いにこき下ろし合いする楽しさは、インターネットサイトでは味わえない、ということも紹介した。


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 今回は、前の話に出た「スピンオフ作品」について説明する。

 前回と同じなので、読んでないなら前回を参照のこと。


 (前書き)の複写

 これは前に予告していたとおり『リエとミサ』の脇役であるミサの物語で、今でいう「スピンオフ」(派生)の作品です。

 リエとの出会いなど『リエとミサ』の前提となることや、その詳細について、読めばわかるようになっています。

 ミサの小学五年生から高校卒業までの話となっていて、中学から高校にかけて「天才美少女」の名を欲しいままにしているような彼女の苦難に満ちた小学生時代から始まります



 (後書き)の複写

 この物語の冒頭に出てくる、両親を失った孫のために祖父が訴訟を起こしたら、雇った弁護士に裏切られて敗訴してしまった、という部分は、すべて実話に基づいています。

 この人と作者は知り合いです。



 それでは、ぜひ投稿サイトの訪問を。

 
 
 

 小説の投稿サイトに以下の作品と説明を掲載した。

 

前書き転載


 この小説は、かつて紙製冊子の同人誌に発表したものです。

 それを読みたいという人たちがいるので、ここに再掲載しました内容は、女性と女性の友情と生き方の物語で、設定などは特異かもしれませんが、普遍性のある設定にしているので、誰でも容易に理解はできるかと存じます。 あと、数字が漢字であるなど縦書きが前提になっているので、なるべくなら縦書きに表示して読んで頂きたく存じます。

 また、書かれた当時の反映で、インターネットも携帯電話も劇中で使われていませんが、時代とは関係なく、使う場面が描かれていないだけで、物語の筋にとって必要が無かったということです。


後書き転載


 劇中に登場するPMBことプラグマティック=ミサ=バンドとは、ジョンレノンがやっていたプラスチック=オノ=バンドと、その影響かサディスティック=ミカ=バンドというのがあったことを念頭に置いたネーミングで、これを率いるミサこと多奈部美早とは、ガールロックの先駆けと言われる歌手の渡辺美里から取って付ました。「わたなべみさと」の最初と最後を取ると「たなべみさ」になるという訳で、しかしモデルではありません。目が大きいという描写があるので、その程度の共通点くらいです。また、渡辺美里なら絶対に言わないセリフばかりです。例えば作曲で「唐突な転調」「木と竹を繋いでいる」というのは、よく小室哲哉が言われていることだから、その小室哲哉の歌を最もよく歌いヒットさせている渡辺美里が言うわけありません。それに、あくまで美早のキャラを表すセリフであるから、そういうメロディがダメだということではありません。


 もともとアニメ映画の原作にしたかったので、劇中でミサが作って歌う楽曲を作ってもいたのですが、今となっては通用するか疑問なので、もしも映画化できたら作り直す必要がありそうです。

 使い道がなかったから、知人がやっているバンドのレパートリーに貸して、ヴォーカルの女子高生が自分で作詞作曲編曲したことにして歌い、その当時は褒められていました。

 一方、主人公のリエについて、最初の紙誌掲載で、読んだ人は「女性にとって男性は一過性の存在ということか」と言ったものでした。そしてリエとミサという二人の女性の関係は同性愛ではなく現実逃避と異常心理によるものであると読解した人も少なくありませんでした。あとは読者の解釈次第です。 

 リエとミサの出会いを描いた話もあって、そこではミサの生い立ちが語られています。読んでお判りのとおり彼女の親は相当に富裕で地位がある人らしいけれど、実はミサは養女で、10歳の時に両親を亡くしたため貰われてきたのでした。

 これは後に、また、ここへ転載しようかと考えています。(追記。転載しました。読んでください)


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 上記がアクセス数で紙冊子の発行部数をはるかに上回った。

 それだけの力がインターネットにあるということになるが、ただ、紙冊子は製作するさい仲間たちと一緒に楽しんでいたし、さらに楽しいのは仕上がってから飲み会になってお互いの作品のこき下ろし合いをすることであった。

 このことと、読んでくれる人の数が多いのと、どちらが良いだろうか。


そのリンク どうか訪問してみて。




 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 11月15日
  • 読了時間: 3分

 「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志が逮捕された。

 SNSへの投稿や街頭演説で元兵庫県議の名誉を傷つけた疑いで。これについて、日経新聞がふざけた社説を載せていた。

 「政治家の言論の自由は尊重されるべきだが」と無意味な言い訳の言葉を付け加えたうえで「事実無根の発言で他者をおとしめる行為は許されない」という当たり前のことをこじつけて「SNSがもたらす社会や政治の歪(ひず)みを正す契機にしたい」と歪んだ主張を展開した。


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 もちろん立花党首のやっていたことは、とうてい褒められたことではない。

 しかし日経新聞の説く「SNSは政治に対する関心を高める効果が期待される一方、誤った情報が拡散しやすい」は、インターネット以前に、最近よく「オールドメディア」と呼ばれる大手マスコミについて先ず言われなければならないことである。

 また、記者クラブ依存と権力に操作されたあからさまな偽の情報の流布、それを擦り込むことで世論操作、ということが大手メディアによって長年に渡り続いてきたけれど、これとインターネットも同じことである。インターネットのデマゴーグだって、大規模なほど金の力で人を雇って宣伝されていることが、既に指摘されている。

 それなのに、あたかもオールドメディアの嘘とインターネットの嘘は別物であるというインチキ前提によってとやかく言っているのは空々しいにもほどがある。


 そもそも「言ったもん勝ち」の風潮は立花孝志より安倍晋三が作った。

 しかも安倍首相は逮捕されなかった。特にひどいのは、原発事故にからんで嘘をつき、訴訟になったら裁判官が安倍晋三をえこひいきして強引に庇った、という事実。そこから、言ったもん勝ちの風潮が産まれ、しかしそれはあくまで権力を持つ側だけに可能なことなのだ。

 つまり司法が正しく機能していれば、SNSの歪んだ情報操作なんてものは大したことはなかったのだ。

 なのに司法が権力の側に忖度や追従をして事実を歪めてばかりいるから、権力と金のある者はやりたい放題できているのだ。 これこそ「歪み」であるが、それに対して報道が正しい認識を持つことができないでいる。ほんとうに問題なのはSNSではなく司法であるのに。


 昔はマスコミが司法を批判することが、まだあった。

 ところが、司法はもちろん社会全体の問題について、マスコミは取り上げなくなり、それは記者などマスコミで働いている人たちが何も解らなくなってしまったからだ。そもそもオールドメディアと呼ばれるのはなぜかというとマスコミが斜陽産業だからで、そんなところに優秀な人材が集まるはずがない。

 だから、マスコミがインターネットをとやかく言っても虚しいだけなのだ。

 
 
 
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