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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年3月10日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年3月11日

 菅野完氏の、ご意見は苦情も含めて電話で、と携帯電話の番号を公開し、着信で番号表示なら出る、録音もする、場合によってはインターネット上で公開というか曝す、というのは、なかなかグッドアイデアだと思う。

 少なくともメールより良いかもしれない。前にメールで、匿名に対して答えられるのはここまでだと伝えたところ、不誠実だと文句をつけた人がいた。手前は匿名で勝手に質問しておいて。そんな厚かましい奴がいるのかと言われそうだけど、居るのが現実である。

 だから、その点では携帯電話が優れていると言い得る。



 ところで、因みに98年末、宇多田ヒカルの『Automatic』で、「♪名前を言わなくても声で直ぐ判ってくれる〜」は、固定電話でナンバーディスプレイ無しということになる。携帯電話は広く普及し始めた時期だ。





 遡って85年、渡辺美里『Growin'up』で「♪Telephone Number〜訊ねても無駄よ~私の住所は~何時だってTake a journey〜」ということは固定電話の意味になる。当時は携帯電話など普及してなかった。ただし、自宅に不在というより自分探しの旅をしているような意味合いで「生き方を模索しているのだからナンパ男なんて相手にしないよ」という歌詞である。

 このように十代の渡辺美里は、ちょっと尖がった感じがあって好きだったのだけど、二十歳以降は良い詩だけど内容的に優等生となってしまって残念だった。なにも尾崎豊のようなのは求めないけど、毒気が無くなった。しかも曲調が洋楽風のロックではなくJポップになった。それで人気が出たのだけど。



 同年、小林明子のヒット曲『恋に落ちて』は「♪ダイヤル廻して〜手を止めた〜」というのが時代遅れと言われた。

 当時すでにプッシュホンになっていて、子供なんか最初から押すのが当たり前になっているから、ダイヤルの電話を使わせると番号を押して手応えが無いから首を傾げるようにしたものだった。

 それを承知の上で、躊躇いの表現に拘ったということらしい。



 ラジオの『子供電話相談室』は、開始の主題歌が「♪ダイヤル、ダイヤル、ダイヤル、ダイヤル!(ベル音)回して…」というフレーズで有名だったが、ヒッチコックのサスペンス映画『ダイヤルMは殺し(マーダー)の番号』は『ダイヤルMを廻せ』という邦題にしていた。



 それで、98年にリメイクされたら『ダイヤルM』となり「廻せ」が無くなっていた。それでもまだ変だった。原題は『完璧な殺人』で「ダイヤル」も無い。当時すでに電話はダイヤルじゃなくなっていたから、リメイクを強調するにしても不可解な邦題だった。



 レトロ趣味でダイヤルの黒電話を使っている人を見たことがある。

 しかし、ダイヤルの移動する距離によって入力されるため、留金の部分に指を押し付けるように回さないと距離が変わって別の数字になってしまう、という不便さがあった。しかもディスプレイに表示されないから気づない。このため、ダイヤルの電話が普通だった時代は、間違い電話が非常に多かったのだ。

 これだから、レトロ趣味で使っていた人も次第に使わなくなったはずだ。

更新日:2024年2月27日

 『スーパーポリス』に顔を出していた話。

 前回の話題は、共産党の新委員長となった田村智子議員はカラオケで18番は小室哲哉の歌ということ、そこから思い出したポピュラーソングの時代背景と、個人の思い入れについて、であった。

 そこで、小室哲哉の歌がヒットしたから渡辺美里は路線変更して洋楽志向のロックから実質がJ-ポップになって、初期のファンだった者としては世間の人気急上昇とは逆に冷めていったのだが、デビューの洋楽カヴァー曲は刑事ドラマの主題歌で、それに自分も顔を出していたから愛着なおさら、という事情が、予告したとおり今回の話題である。


 その刑事ドラマ『スーパーポリス』で前科者カードを見ている場面があった。

 これは刑事ドラマによくある場面だが、ここで映る前科者の写真が自分である。第八話で一瞬だがはっきり判る。たまたま見ていた親が気づいて「いつの間に警察の世話になったのか」と言って笑っていた。

 これは、前にも述べたが、十代のころに映画の小道具を作るバイトをしていたからだ。そのさい前科者カードのモデルになんか誰もなりたくないから自分の写真を撮ったのだ。



 統一協会が関わった映画にも顔を出した。

 これは、現場の即興による監督の指示で、騒動の場面で画面の後方にいて「何事か」という仕草をした。

 この時は製作に統一協会が関わっていることなど、監督ら一部の人しか知らなかったはずだ。日韓問題をからめた青春ドラマという感じで、今は亡き沖田浩之が主演だった。後で知って「ローレンスオリビエと同じだ」と自嘲したものだ。

 (知らない人のための注釈。統一協会系のワンウエイプロが製作した朝鮮戦争の映画『仁川』に、そうとは知らずローレンスオリビエはマッカーサー役で出演して、後で騙されたと言って騒いだ)


 医療裁判をしていたから、映画とテレビに顔を出していたことは隠していた。

 あくまで裏方の仕事で、もともとは親戚が関わっていたという事情である。こういうことは、よくあることだ。

 それで映画やテレビのドラマに出ていたというと、そこを捉えて変なことを言われるのを警戒していたのだ。


 拙書『防衛医大…』(ホームページ参照)でも述べたとおり。

 皮膚癌が臓器に転移して死に至るという誤診に基づいて手術した疑惑があったので、そうではないと言うため病院と医師の側は、悪性ではないが美容目的であったと言い、そんな手術は普通やらないが、芸能人になるような人だから特に希望していた、と抗弁したのだ。

 当時は国立の大学病院で美容外科の手術はやらないものだから、それだけで既に嘘なのだが、しかし美容外科で失敗した医師の常套句のようなものなので、手軽に言う医師がよくいるのだ。


 それでマイケルジャクソンやピートバーンズのように患者のことを言う。

 これにより論点を逸らされても面倒だから、映画とテレビに出たという部分だけ切り取られないよう、隠していたのだ。

 今だから言える話である。

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年2月20日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年2月27日

 田村智子委員長のカラオケ18番は『My Revolution』とのこと。

 前の志位委員長だったらクラシック音楽マニアだからショスタコーヴィチの交響曲第五番『革命』が好きだと言うだろうが、それはともかく、小室哲哉がメロディーを作った歌はビートルズのジョンレノンが作った『Revolution』と違って政治性は皆無である。


 Myが付いているから個人的である。

 ドクトルジバゴに対してラーラーの夫だったストレイニコフが「あなたの詩は好きだったが、内容が個人的だ」と言っていたのと同じである。

 それを、何を勘違いしたのか、かつてハイジャックで北朝鮮に亡命した赤軍派が、この歌がヒットしているから日本の若者は変革を求めていると機関紙で述べていた。社会的変革ではなく自己啓発的な個人の意識的「革命」であるから、80年代半ばの保守化を示しているのに。まったく、前にも書いたがあの連中は救いようがないアホである。


 渡辺美里のデビュー作は『I'm Free』だった。

 これはハリウッド映画『フットルース』の挿入歌の日本語カヴァー曲である。映画はケビンベーコンが演技派俳優になる前に青春スターとして主演していたもの。このカヴァー曲はテレビの刑事ドラマ『スーパーポリス』の主題歌だった。丹波哲郎や三浦友和が出ていた。

 このデビュー曲は、シングル盤は売られていたけれど、他のシングル曲と違い渡辺美里のアルバムに収録されていない。また、デビュー時は洋楽志向のロックだったのに『My Revolution』の大ヒットにより路線変更して、J-ポップというべき歌ばかりになった。



 かつて『I'm Free』のシングル盤を買って持っていた。

 この頃かなりのファンだった。ところが、小室哲哉の歌で大ヒットし人気急上昇に伴い気持ちが冷めてしまった。小室哲哉や岡村靖幸や大江千里が作った歌であることは同じでも、内容が初期と大きく変わってしまったのだ。別の歌手だと思って聴けば不満は無いが。

 あと『スーパーポリス』には自分も顔を出していたことで愛着があった。この話は次回に述べる。

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