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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年12月20日
  • 読了時間: 2分

 コロナウイルス新型肺炎のため中断されていたバイロイト音楽祭が再開された。

 これは様々な感染対策を講じてのことだったが、ここで特に音楽の演奏は保存版というくらい良かった。また、新しい演出もウケていたそうで、普段は奇抜な演出にはブーイングが必ず起きるのに、今回は拍手喝采だった。



 そこではワーグナーの女性観が否定されていた。

 よく、女性のオペラ評論家がワーグナー劇は苦手だと言うのは、女性の自己犠牲が讃えられているからで、そんな男性に都合が良い女性像には否定的になるのだ。今となっては時代錯誤も甚だしいというわけだ。それを否定する演出だった。


 日本でワーグナーに影響された最たるは松本零士である。

 これは既に述べたとおり、『銀河鉄道999』の物語は『ニーベルングの指輪』と酷似しているし、眼帯して方に黒い鳥がとまっているキャプテンハーロックはヴォータンだし、ネコ好きな松本零士なので小人のミーメはネコのミーメになっていて、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』ならぬ『SF西遊記スタージンガー』なんて作品もある。女性の自己犠牲は『宇宙戦艦ヤマト』で「古代くんが死んじゃう」から繰り返し描かれている。

 これを今でも感動する男性に、『エヴァ』のアスカなら言うだろう。「あんたバカぁ」


 今年バイロイト音楽祭では『タンホイザー』と『さまよえるオランダ人』で女性の自己犠牲が否定されている。

 それも、オランダ人と一緒に死ぬことで魂を救済する女性ではなく、最後に女性がオランダ人を銃で射殺してしまい、これで死ねて本望でしょう、という結末である。これはこれで最高ではないか。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年12月13日
  • 読了時間: 2分

 NHKで放送していた退屈な番組の録画を知人に見せられた。

 それは、死んだ「作曲家」すぎやまこういち特集だった。どう思うかと言われたが、昔から思っていたとおりで、彼は時勢に迎合するのが上手だったけれど、それが改めてよく判るというだけのこと。


 あくまで、昔から全く純粋に彼の作る音楽が嫌いだった。

 これは公言していた。もうほんとう小さい頃、最初にテレビで『学生街の喫茶店』を聴いたころから、テレビで聴くたびに壮絶な嫌悪感で、いったい誰がこんな悪趣味な曲を作るのかと思っていたら、あれもすぎやまこういち、これもすぎやまこういち、ということだった。  


 これは条件反射や連想ではない。それだったら、あのカレールーの中でも最悪のものが不味いからと、テレビで宣伝の歌を唄っている西城秀樹とその歌声に嫌悪感を持っていいはずだ。そうではなく、CМソングの節回しが気色悪いだけなのだ。


 だからテレビのアニメで、主題歌だけなら歌が終わっってからテレビを付ければいいが、伴劇の音楽まですぎやまこういちだと、物語は面白くても気持ち悪い音楽に耐えられなくて観なくなった。


 これは完璧に趣味と好みの問題である。

 それも、ああした世渡り上手な者にありがちなパクリっぽさの部分ではない真に彼の個性かと思われる部分にこそ嫌悪感だったから、理屈ではなく感性で正直に素直に胸糞が悪いのだ。つまり心底から本当の意味で嫌いだったということだ。

 ということは自分の勝手だし、耳にして耐えられたり楽しかったりする人も勝手である。こちらは聞かなければいいし、聴いている人に文句もつけないし、だから退屈なテレビ番組の録画なんか見せないで欲しかった。


 あとは差別主義者すぎやまこういち問題

 これは彼が処世術で権力に媚びてネトウヨやっているから、もともとそういうものだし、そういうことを一切しない有名人は殆どいないのだから、批判しても意味がない。上手に稼いだ金から多額の政治献金をした御陰様でオリンピックのさい演奏してもらえたというのも、本人が恥ずかしくないなら仕方ないし、似たようなことは誰でもしている。

 ただ、ここで残念なことがある。そんなことばっかりしてきた人だからと批判する人がいるため、純粋に音楽が大嫌いだったと言いにくくなってしまった。「ゲームの音楽が好きだったのに差別発言して残念」という人に対して、嫌いな音楽ばかり作る奴の話題なんてやめてくれよと、ほんとうは言いたいのだから。


 
 
 

 一昔前なら自民党に護憲派が普通にいたのに、今では自民党なら改憲を訴えるのが当たり前で護憲は左翼だと思っている人かいる。

 そうなる過程には色々なことがあったけれど、そうなるためには異論を排除すべきという主張もあった。


 少し前に死去した中曾根もと総理大臣は、幸運にも老衰となるまで癌などに無縁だったから、癌で早死にした作曲家の黛敏郎の葬儀に来ていた。

 この黛敏郎は、中曾根総理大臣の当時、改憲派の論客みたいにしていたから、その後、中曾根もと総理大臣は世話になったということで弔問に来たわけだ。



 しかし、黛敏郎は音楽家によくある世間知らずの社会音痴・政治音痴で、友達の芥川也寸志がやや左寄りのスタンスだったので、自分は右にしようという程度のことだった。これはよく言われていたことだ。また音楽の才能が枯渇したから、とも言われた。

 とにかく、黛敏郎の「政治的」発言は受け売りばかりで、そのパクリ元ネタすら咀嚼しきれていなかった。


 そして陳腐な改憲論を唱えてもいたけれど、そのさい、自民党の護憲派を害虫として「駆除」しろという暴言を吐いていた。

 それが実現して今の自民党となったわけだが、当時はまだ「ちょっとまて」という声が出ていた。それは、色々な意見を許容できるのが自民党の長所なのだから、異論を排除すべきというのは間違っているという指摘だった。

 これに対して黛敏郎は、自主憲法制定は自民党の「党是」だから、これに反対する者がいる方が間違っていると言った。

 

 しかし、自民党の党是とは、外圧などの影響ではなく日本が自主的に新しい憲法を議論したうえで制定するという、将来に向けての大きな目標として理想を掲げたものだった。

 なのに、黛敏郎は、自分の支持する一部の勢力が勝手に掲げている改憲論を自民党の党是であるとすり替えるデタラメであった。


 この少し前に、フジテレビ編『日本をダメにする文化人ひょうきん版』(ひょうきんとはテレビに出ている人という意味)で、黛敏郎を「自分では武器を取る気がない戦争大賛成音楽人間」と皮肉っていた。

 よく、好戦的な主張をする人が、自分では武器を取らないと平気で言い、なぜなら自分はエリートだからと当たり前の態度である。たとえば右翼体質の「早稲田大学雄弁会」である。それと黛敏郎は同じで、たかが音楽家のくせにということだ。よく、クラシック音楽系の人には、自分が芸人風情なのに、もっとはっきり言うと「川原乞食」なのに、それを自覚してない人がいて、黛敏郎も売れて政治家と付き合いができたから自分をエリートと錯覚している、ということ。

 しかし今はコロナウイルス禍で、少しは自覚した人もいるかもしれない。どんな芸人も飲食業と同じで社会の下層なのだ、と。

 

 また、黛敏郎はテレビで、当時は元内申書裁判原告で教育ジャーナリストの保坂展人=現世田谷区長らと教育問題で討論したさい、教育基本法に「日本の伝統文化を尊重する」という文言を加えろと執拗に強調していた。

 もともと日本人は、外国から優れた文化と文明を積極的に取り入れて発展してきた。それに対して国粋主義にしろというのが、彼の文脈からの趣旨であった。なるほど、それでどうなるかというと、優れた西洋の音楽を取り入れた後ろめたさなのか、オーケストラで仏教とか、チェロで文楽とか、そういう「ひょうきん」な音楽作品を作る人がでるのだ。


 そんな「ひょうきん」な人の思い通りに今の自民党はなったから、「ひょうきん」な人は草葉の陰で喜んでいることだろう


 
 
 
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