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改憲派で当たり前の自民党は黛敏郎の願望だった

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年9月10日
  • 読了時間: 3分

 一昔前なら自民党に護憲派が普通にいたのに、今では自民党なら改憲を訴えるのが当たり前で護憲は左翼だと思っている人かいる。

 そうなる過程には色々なことがあったけれど、そうなるためには異論を排除すべきという主張もあった。


 少し前に死去した中曾根もと総理大臣は、幸運にも老衰となるまで癌などに無縁だったから、癌で早死にした作曲家の黛敏郎の葬儀に来ていた。

 この黛敏郎は、中曾根総理大臣の当時、改憲派の論客みたいにしていたから、その後、中曾根もと総理大臣は世話になったということで弔問に来たわけだ。



 しかし、黛敏郎は音楽家によくある世間知らずの社会音痴・政治音痴で、友達の芥川也寸志がやや左寄りのスタンスだったので、自分は右にしようという程度のことだった。これはよく言われていたことだ。また音楽の才能が枯渇したから、とも言われた。

 とにかく、黛敏郎の「政治的」発言は受け売りばかりで、そのパクリ元ネタすら咀嚼しきれていなかった。


 そして陳腐な改憲論を唱えてもいたけれど、そのさい、自民党の護憲派を害虫として「駆除」しろという暴言を吐いていた。

 それが実現して今の自民党となったわけだが、当時はまだ「ちょっとまて」という声が出ていた。それは、色々な意見を許容できるのが自民党の長所なのだから、異論を排除すべきというのは間違っているという指摘だった。

 これに対して黛敏郎は、自主憲法制定は自民党の「党是」だから、これに反対する者がいる方が間違っていると言った。

 

 しかし、自民党の党是とは、外圧などの影響ではなく日本が自主的に新しい憲法を議論したうえで制定するという、将来に向けての大きな目標として理想を掲げたものだった。

 なのに、黛敏郎は、自分の支持する一部の勢力が勝手に掲げている改憲論を自民党の党是であるとすり替えるデタラメであった。


 この少し前に、フジテレビ編『日本をダメにする文化人ひょうきん版』(ひょうきんとはテレビに出ている人という意味)で、黛敏郎を「自分では武器を取る気がない戦争大賛成音楽人間」と皮肉っていた。

 よく、好戦的な主張をする人が、自分では武器を取らないと平気で言い、なぜなら自分はエリートだからと当たり前の態度である。たとえば右翼体質の「早稲田大学雄弁会」である。それと黛敏郎は同じで、たかが音楽家のくせにということだ。よく、クラシック音楽系の人には、自分が芸人風情なのに、もっとはっきり言うと「川原乞食」なのに、それを自覚してない人がいて、黛敏郎も売れて政治家と付き合いができたから自分をエリートと錯覚している、ということ。

 しかし今はコロナウイルス禍で、少しは自覚した人もいるかもしれない。どんな芸人も飲食業と同じで社会の下層なのだ、と。

 

 また、黛敏郎はテレビで、当時は元内申書裁判原告で教育ジャーナリストの保坂展人=現世田谷区長らと教育問題で討論したさい、教育基本法に「日本の伝統文化を尊重する」という文言を加えろと執拗に強調していた。

 もともと日本人は、外国から優れた文化と文明を積極的に取り入れて発展してきた。それに対して国粋主義にしろというのが、彼の文脈からの趣旨であった。なるほど、それでどうなるかというと、優れた西洋の音楽を取り入れた後ろめたさなのか、オーケストラで仏教とか、チェロで文楽とか、そういう「ひょうきん」な音楽作品を作る人がでるのだ。


 そんな「ひょうきん」な人の思い通りに今の自民党はなったから、「ひょうきん」な人は草葉の陰で喜んでいることだろう


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