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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年9月12日
  • 読了時間: 2分

 お笑い芸人ビートきよしの発言。

 「日本人の主食だぞ。外国人に金ばらまいてないで米農家を守ってくれよ」

 ビートきよしは山形県の出身で、これを相棒ビートたけしに田舎者だと揶揄われていたけれど、米所の出だから米農家を大切に思って当然だ。

 かつては、ビートたけしとビートきよしで漫才コンビの「ツービート」だった。



 ツービートなどが1980年の漫才ブームの中で有名になった当時のこと。

 この一方で「コント赤信号」というトリオがテレビの演芸番組によく出るようになった。ツービートなどの漫才コンビに比べて人気は遥かに劣っていたし、笑いもとれてなかった。人気漫才師が他の番組などに出ている間の穴埋め的に出ていたに過ぎなかった新人お笑い芸人たちの一つに過ぎなかった。

 このコント赤信号は米農家を侮辱するコントをやっていた。


 ツービートの笑いは下品だから最も顰蹙を買っていた。

 しかしビートきよしが山形の出身であることを笑いにしているのは飽くまで田舎者ということで、それも非現実的なことを言ってギャグにしていた。例えば、山形のビートきよしの実家は取り残されていて、その池には三葉虫が生息している、などと。

 ところがコント赤信号は田舎者ではなく米所と米農家を笑いのネタにし、それも風刺でもなんでもなく、ただ農村というのをバカにしていた。



 「サッサッニーシキ、サッサニーシキ」

 とふざけて言い、ギャグのつもりのようだ面白くなくて実際に客席も笑ってなかったし、そんなふうに言うならお前らは米を食べないのか、食べないにしても生産者に失礼じゃないかと問いたくなるほど下らなくてつまらない素人臭い演芸だった。

 その三人組の一人であったラサール石井は、後に俳優となり、今では「リベラル」な立ち位置で政治的な発言をしている。


 そんな自分の過去を、どう思っているのだろうか、ラサール石井は。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年7月20日
  • 読了時間: 2分

 歌手で俳優の小泉今日子が最近は社会に対して発言している。

 かつてアイドルとして人気絶大だったが、その後の芸能での活躍とともに、年齢相応のこともすべきだし、歳をとればとるほど、特に若い人に何かできることがあれはしてあげるものだというわけだ。

 これに文句を言う人がいる。



 もともと、小泉今日子の発想こそ常識だった。

 それが出来なくなっていた。そして結構な年月が経過していて、この出来ない人たちが今の高齢者だ。

 もともと、ちょうどその団塊の世代とか全共闘世代とか言われる人たちは、若い頃どころか小さい頃から、自分のことしか考えない人が多かった。

 

 そして小泉今日子の世代がしばしば迫害されていた。

 それは小泉今日子がアイドルとして頂点に達したくらいの80年代半ば辺りで、団塊の世代とか全共闘世代とかの特に男性が、何か真面目に考えたり努力したりを嘲笑していたのだ。

 あの原因は何だったのか。社会的な影響という説もあるが、汚染が原因だという説もある。後者の方が独自性はある。前者では他の世代でも似たようなことはあった。対して後者は他の世代には見受けられないことがある。特に大気や食品の問題である。

 

 つまり小泉今日子を叩いている人たちは脳が異常なのだ。

 その模倣を、後世の人たちもやっている。親からの影響だ。目つきを見れば判る。コロナウイルス新型肺炎のためマスクをしていたから目をよく見るようになって、そこから確信したと言っている人がいるけれど、当たっていると思う。

 しかし、その世代の人たちの多くは、自分たちが普遍的で正常だと思い込んでいる。また、その多くが何故か男性である。性別は、社会的な原因だけではない。病気も性別によって発症したりしなかったりするから、汚染が原因でも顕になるものだ。

 なんで、あの世代の人たちは、こうも非常識なのかと思ったら、これが原因だったのだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年7月18日
  • 読了時間: 2分

 俳優の高知東生は「陰謀論」にハマっていたそうだ。

 それで、よく、反省をSNSで発信している。自分は他の人と違う真実に気づいた、という快感によって依存症になる。これが陰謀論なのだそうだ。

 こんな単純なことだろうか。


 これが彼のように、自分だけが解かっている、という優越感を持ちたい人なら、そうだ。

 それなら、奇異であればあるほど、そういうことになる。前衛音楽を聴いて芸術が解ると言っている人と同じことである。

 しかし、現実の社会では、金や権力を持つ人たちが裏から勝手に社会のあり方を決めてしまうことは幾らでもあり、それこそ陰謀だから、そういう不正に気を付けることができない人こそおかしいというべきである。



 公式見解に反したら陰謀論というのも滑稽だ。

 例えば、ガリレオやコペルニクスが地動説を唱えたら、それはキリスト教会の公式見解である天動説を否定するものだから、陰謀論なのか。ガリレオやコペルニクスは、キリスト教会が何か企んでいて、そのため天動説を唱えていると主張していたのか。

 ただ、観測の結論である。これに対してキリスト教会のいうことは根拠の無い昔話にすぎないから否定されるだけ。キリスト教会が認識を改めてくれたらよい。正しい少数派などという優越感とは無縁だ。


 つまり高知東生のように自分の動機から他も一緒にしてはならないということ。

 既成の権威ある概念を疑うことは必要なことである。でないと進歩がない。それなのに、ちょうど学生運動世代の老人たちが、自分の世代の挫折感から後世の若者が一生懸命であるのを冷笑しているのと同じように、自分の過ちを他へ勝手に当てはめて語るのは醜い態度である。

 なにより肝心なのは相当の根拠が存するか否かであり、公式発表や御用学者に反対や疑義を唱える者にレッテル貼り攻撃するのは知性を欠いた振る舞いである。

 
 
 
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