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  • 執筆者の写真井上靜

「陰謀論」が好きな人

 俳優の高知東生は「陰謀論」にハマっていたそうだ。

 それで、よく、反省をSNSで発信している。自分は他の人と違う真実に気づいた、という快感によって依存症になる。これが陰謀論なのだそうだ。

 こんな単純なことだろうか。


 これが彼のように、自分だけが解かっている、という優越感を持ちたい人なら、そうだ。

 それなら、奇異であればあるほど、そういうことになる。前衛音楽を聴いて芸術が解ると言っている人と同じことである。

 しかし、現実の社会では、金や権力を持つ人たちが裏から勝手に社会のあり方を決めてしまうことは幾らでもあり、それこそ陰謀だから、そういう不正に気を付けることができない人こそおかしいというべきである。



 公式見解に反したら陰謀論というのも滑稽だ。

 例えば、ガリレオやコペルニクスが地動説を唱えたら、それはキリスト教会の公式見解である天動説を否定するものだから、陰謀論なのか。ガリレオやコペルニクスは、キリスト教会が何か企んでいて、そのため天動説を唱えていると主張していたのか。

 ただ、観測の結論である。これに対してキリスト教会のいうことは根拠の無い昔話にすぎないから否定されるだけ。キリスト教会が認識を改めてくれたらよい。正しい少数派などという優越感とは無縁だ。


 つまり高知東生のように自分の動機から他も一緒にしてはならないということ。

 既成の権威ある概念を疑うことは必要なことである。でないと進歩がない。それなのに、ちょうど学生運動世代の老人たちが、自分の世代の挫折感から後世の若者が一生懸命であるのを冷笑しているのと同じように、自分の過ちを他へ勝手に当てはめて語るのは醜い態度である。

 なにより肝心なのは相当の根拠が存するか否かであり、公式発表や御用学者に反対や疑義を唱える者にレッテル貼り攻撃するのは知性を欠いた振る舞いである。

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