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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年7月22日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年7月25日

 お笑い芸人の石橋貴明は離婚するという芸能報道があった。

 この人は、昔やっていた「保毛尾田保毛男」というゲイを揶揄して笑い者にする役を回顧で久しぶりに演じたところ、今は社会の認識が全く変わっているのだから再演しては駄目だと批判された。昔は政敵少数者=LGBTという言葉が無く、ホモという言葉も未だ差別用語と認識されていなかった。

 だから、彼が演じていた当時は悪意が無かったと言いうるので仕方ないけれど、今は知らなかったでは済まない、ということだった。



 しかし、音楽家の小山田圭吾は、自分の通っていた学校で障害児に壮絶な暴行虐待があった過去を面白可笑しいネタとして語った。強い者に立ち向かっての武勇伝ではない。これでは何時だって人間性を疑われて当然である。

 この発言があった当時は一部で悪趣味がトレンドだったけれど、それに乗っかった雑誌の企画に合わせて言ったとしても、冗談では済まないことだ。実際に、この記事を読んで驚き呆れてしまい彼を軽蔑するようになったと言っていた人たちが当時から居た。


 ところが、お笑い芸人の太田光は、当時の文化状況を考慮せずに非難するべきではないという的外れな擁護をしたうえ、虐めを強く批判するのも虐めだという陳腐な屁理屈を恥も無く披露した。

 この人、昔はもう少し面白かったはずだが、どうも最近は冴えない。もう芸能人として潮時ではないか。



 例えば『ドラゴンクエスト』の音楽を担当している人は差別主義者であり、それも狂信者とはいえ信念があるならともかく商売として意識しているのだから最低だけど、たかがゲームの音楽であるから、パクリっぽいと言われても画面に合っていれば良く、まして作曲者の人柄など無関係である。

 しかしオリンピックとパラリンピックは違う。いちおう建前としては、国と国との親善や人と人との共生を実現するために開催されるものであり、そこで特に重要とされているのが人種や障害者への偏見と差別を無くそうということである。そのために、みんなで協力しようというのだから、これに参加する人なら開催の目的を理解し共感していなければならない。なのに、障害児に暴行と虐待をした過去を自慢していた者を参加させるわけにはいかない。


 こんなの当たり前のことだろう。

 しかし、このところ石橋貴明は芸がウケないと言われていたので昔のネタを持ち出してしまったけれど、太田光も芸人として振るっていないから的外れ発言したということだろう。



 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年7月20日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年7月25日


 よく、芸術の創作物と創作者は別であると言われる。


 例えば『アマデウス』という映画があった。あれに描かれるモーツァルトとサリエリは実際とは全然違うのだが、それは置くとして、モーツァルトが美しい音楽を作るけれど人間的には困ったところがあって、成人していながら子供っぽくて、純粋ということもできなくないが、それにしても小学生みたいに下品な言動をしていたりもする。このことは、かなり本当だったらしいと伝えられている。


 だから、小山田圭吾のように、障害児への暴行と虐待を笑い話にする人でも、作品は別ということができる。

 ただ、出来た作品をどう評価するかの問題ではなく、これはオリンピック開会式に使用する音楽を作らせることが、障害者への差別と偏見を排し社会参加と共存を目指す大会の目的に相応しいのかという問題である。他に人材はいくらでもいるのだから。


 前の東京オリンピックでは、記録映画の音楽が黛敏郎だった。

 この人も差別主義者であったが、あくまで彼は商売で三島由紀夫と仲良くするなどから右翼ぶっていた。だから彼が政治の話をしても全部受け売り二番煎じだった。日テレに頼まれて『スポーツ行進曲』を作ったけれど、実はスポーツ中継に関心が薄くてほとんど見なかったらしい。

 リヒャルトシュトラウスもスポーツに無関心だったけれどヒットラーに頼まれて仕方なくベルリンオリンピックの『オリンピック賛歌』を作曲していた。


 また古関裕而も東京オリンピック用の音楽を作っていた。

 戦時中は山田耕筰と同様に何の疑問も持たず戦意高揚の音楽を作っていたが、戦後は『ひめゆりの塔』の音楽で戦争犠牲者となった女性たちを追悼していた。オリンピックの行進曲では『君が代』を引用して体制に媚びていた。これを嫌らしいと感じた演出家が、その部分で花火を鳴らし打ち消していたという逸話がある。

 だいたい、古関裕而はプロ野球の阪神タイガース応援歌『六甲おろし』も有名だが、読売ジャイアンツなど他のチームの応援歌も作っていて、つまり商売優先であった。


 しょせん音楽家は、そんなものである。

 だが、昔とは社会の意識が違うし、そのうえ小山田圭吾の言動は、昔も今も、さすがに容認できないだろう。



 
 
 

更新日:2021年6月23日

 DHCが会社ぐるみの差別を批判されているが、この会社はやけに宣伝に力を入れているから、高須クリニックと同じく金をまわしているだけで儲かっているかとなると疑問である。

 実際に、ネット上では無理サンプルの売買が行われており、あの手この手で多重に取得しては売る人と、それを買っている人とがいて、そんな人たちは「正規に購入するのはバカ」と言っている。


 こんなDHCの広告塔を長らく務めているのが歌手・俳優そして自称霊能者の美輪明宏である。

 この人は金ぴかギンギラ成金趣味で、長崎出身の被爆者といいながら原発推進電力業界の宣伝にも出ているから、あくまで商売優先なのかというと違う。昔の野坂昭如と同じで戦争体験があるからと言って商売で反戦を唱えてもいたし、二人は歌手として舞台で共演したことがあるけれど、それとは別に美輪明宏は狂信的なファシストである。

 このことは前に述べたから詳細は省略するが、その中でも特に危ないのが、舞台で共演した三島由紀夫に、226事件の亡霊が彼の背後に立ち将校の名を名乗っていると言って、三島の狂気の行動を嗾けたことだ。これを美輪明宏は自慢していた。



 しかし、怪談で亡霊に怯えるのは罪の意識によるもので、あくまで人の心が問題である。これは怪談映画が有名な中川信夫監督の映画でも常に描かれていることで、同監督も指摘していた。

 それとは別の霊感とは第六感ともいうように五感とは別の感覚だから、視覚や聴覚とは違う何かを感じるもので、なのに霊の姿が見えたり霊の声が聴こえたりするなんてのは嘘に決まっている。

 これは心霊とかスピリチュアルとかいうことを肯定する人が、よく指摘することである。この指摘を理解できずに霊能者を自称する人には、絶対に霊能力が無い。他人が認めないから自称するのは他の事も同じだが、霊能者の場合は他人から「霊感が鋭い」「霊能者ではないか」と言われている人ほど自分では否定する。自称霊能者は精神病患者か詐欺師のどちらかであるから、一緒にされたくないのは当たり前だ。


 また自称霊能者は、統合失調症などの精神病なら、本気で語っているからもっともらしいが、よく話を聴くと矛盾だらけで、薬を飲めば幻覚が治まり、「能力が無くなってしまった」と気にしたりはせず平気でいるし、一方の詐欺師は、騙そうと計算しているから話の中で矛盾はしないが、嘘くさかったり芝居がかっていたりするもので、それで騙せそうな人だけを相手にする。

 この後者が美輪明宏で、三島由紀夫は騙されたがっていると見抜いて悦ばせたのだ。



 
 
 
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