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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年12月22日
  • 読了時間: 2分

 神田沙也加さんの急死で驚いている人は多い。

 これについて、警察が事故と自殺と両方の可能性から調べているとしたうえ未だマスコミは言いにくそうだが、おそらく転落したホテルと場所の状態がどうだったのかが問題なのだろう。

 

 芸能人のホテルから転落死といえば、俳優の沖雅也さんの事件があった。

 たしか1983年だったはずだが、これを機会に、ホテルの高層階では窓を開けても人間が通れない幅とするようになった。誰でも転落は問題だが、特に芸能人だと騒ぎが大きいので困るから、当然のことだろう。


 それで、誤って転落の事故は最悪だが、そんなことあり得ない場所であっても、殺人と自殺があり、どちらもやはり問題である。

 ただ、悪意で突き落とされることは容易に解るが、自殺はどんな場合があるか知らない人が少なくないはずだ。沖雅也さんの場合は遺言めいたことを身内に言っていたし、もともと病気で悩んでいた。そうした事情の他にも何か悩んでいる人とか極端に疲労している人とかが高い所に行ったら、普通なら、落ちると死ぬから危ないと思うところで、ここで落ちて死ねば楽になれると考えてしまうことがあり、それで飛び降りる事もあれば、そこまでの意思がなくても無意識にフラフラして足を滑らせてしまうこともある。



 だから高層建築物の上部は外に出られないようにするようになった。

 その点でいうと、原因は何であれ転落死があったということは、転落し得る場所が在ったということだから、どこかに問題が何かしら存在した可能性がある。それで警察が調べているはずで、その結果が出る前に何か言うとあちこちに迷惑や苦情ということになってしまうから、その部分ではマスコミは静観しているのだろう。

 とにかく、高い所には幻惑させる魔力のようなものがあるので、なるべく行かないようにするべきだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年11月5日
  • 読了時間: 2分

 選挙の日に、東京都調布市を通過中の京王電鉄内で暴漢が殺傷放火する事件があった。

 ここでは前に地面が陥没したとか不発弾が発見されたとかの騒動が起きていた。あと調布市といえば石原プロの事務所があったと聞いていたが、時々近くに行くことがあるけど石原プロは見たことが無い。



 石原プロといえば、石原裕次郎の死後、跡を継いだのが渡哲也であった。

 それから振るわなくなった。だから石原プロがボランティア活動をしているのを手伝いに来た渡瀬恒彦は、こんなことでもしてないと石原プロは暇だと言っていた。冗談めかしてはいても、所属していない弟だから言える話であった。

 そして病気だった渡瀬恒彦が死去して、葬儀で渡哲也の痛々しい姿がテレビに映っていた。もともと人工肛門を付けていたが更に鼻に薬のチューブまで付けていた。そしてしばらくしたら兄も死去で、石原プロは解散であった。


 それで石原伸晃が落選したわけではないだろうが影響が少しは在ったはずだ。

 いつも石原伸晃の選挙では「石原軍団」と呼ばれる俳優たちが応援に来ていた。渡哲也に、舘ひろしや神田正輝らが、いかにもお付き合いという感じだった。

 この石原プロの事情は敗因というほどではないくらい一部のことで、他にもおそらく落選の原因はあるだろう。この選挙区で当選した相手側は政党の協力がうまくいっていたし、その選挙区では投票率が六割を超えていた。これでは、もともと組織票で勝っている側が負けてしまうことが充分にあり得る情勢だった。


 ただ、もう石原プロが無いことは象徴的だろう。

 他にも色々と石原家の衰退が見えている。これから一族は、芸能でも政治でも次々と姿を消していくのではないか。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年7月27日
  • 読了時間: 3分

 かつて差別的な言動をしていた音楽家と演出家が、それではオリンピックに相応しくないとして、スタッフを辞任・解任となったが、差別主義者として現在進行形の音楽家すぎやまこういち御大は不問にされ、彼が過去に作った音楽が開会式に使用された。

 これに批判が起きていたけれど、なぜ彼は特別なのか。それは、辞めさせられた人たちと違って政治力があったからだ。もともと、すぎやまこういちは作品の良さではなく政治力で地位を築いた者だったのだ。


 過日、すぎやまこういち弟子であった筒美京平が死去したさいNHKが特集を組んでいたことを、ここで話題に取り上げた。

 その番組の主な内容とは、いかに筒美京平がヒットソングを作るかで腐心と研究をしていたかを歌手や編曲者の証言を交えて紹介しながら、70年代から80年代までヒットチャートの上位に昇る大ヒットを連発していたというものだった。

 ところが90年代に入ると途端に、売れ行きが不振となりヒットチャートに入らなくなった事実も、同番組は紹介していた。日本の音楽業界が変化し、小室哲哉など新しいヒットメーカーの台頭もあったからだった、という話である。


 それ以前から、ヒットチャートというもの自体が不健全なものだという指摘は存在した。歌の価値とは無関係だからだ。

 まだ70年代後半から80年代前半の『ザ・ベストテン』という番組が絶頂期だった時に、よく出演していた歌手の郷ひろみが突然ボイコットしたことがあった。どの歌もファンや自分にとって大切なものであるから、それを他の歌手と比較して順番を付けられることが嫌になったという声明を発表したのだ。

 その後も、こうした番組には出ないという方針を取る歌手たちが続出していた。自分が訴えかけたい内容の歌と、それを支持してくれる聴衆、ということを重視して。さらに、社会の中で国民全体の意識が同じ方を向いているという時代が終わり、価値観も多様化したと言われる時代が始まる。そこからヒットチャートの何位ということも意味が薄れてきて、この傾向は加速し、89年には『ザ・ベストテン』という番組も終了する。

 そして90年代に入ると、当然ながら筒美京平の作る歌謡曲はチャートインしなくなったのだ。大ヒットメーカーだった「筒美京平先生」は過去の人に墜ちた。


 この一方で、すぎやまこういち師匠は歌謡曲に見切りをつけて、ゲームさらにインターネットへと戦略的な撤退をしていた。

 そこでは、話題作りの企画が成功して売れに売れたゲームの音楽に合わせた話題性重視の音楽を作り、相変わらずの政治力を発揮する。どこかで聞いた風な曲だと言われようと、お構いなし。もともと彼は、この程度の曲を何で由緒ある交響楽団何が演奏してくれるのか不可解とか、もっとちゃんとした専門教育を受けた作曲家を弟子にしているのは何故かとか、そういう疑問を持つ人がいるほどの政治力であったから、老いても簡単むしろ老獪さが増している。



 そしてゲームの音楽が限界に達すると、ちょうどインターネットの時代になる。

 そこでは「2ちゃんねらー」になったと公言し、そこで「ウヨ厨房」さらに「ネトウヨ」と言われる輩から差別発言のエッセンスを研究して取り込み、それらが支持する極右政治家たちに媚びを売るようになる。音楽でやってきたことの応用である。

 もともと、音楽家としても作品ではなく処世術と政治力によって「偉く」なった人だったから、今の政治情勢に迎合するなどお手の物である。そして才能の限界だと引退した小室哲哉を尻目に、売れなくなった後に死んだ弟子も尻目に、さらには差別的な言動で追われるマヌケたちすらも尻目に、過去の遺物となった曲がオリンピック開会式に使用され、また注目されたと大喜びしたのである。死んだ弟子とは違い、なんて賢い私、というわけだ。

 これぞ老害ではなく老獪である。


 
 
 
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