創作力より政治力すぎやまこういち老獪
- 井上靜

- 2021年7月27日
- 読了時間: 3分
かつて差別的な言動をしていた音楽家と演出家が、それではオリンピックに相応しくないとして、スタッフを辞任・解任となったが、差別主義者として現在進行形の音楽家すぎやまこういち御大は不問にされ、彼が過去に作った音楽が開会式に使用された。
これに批判が起きていたけれど、なぜ彼は特別なのか。それは、辞めさせられた人たちと違って政治力があったからだ。もともと、すぎやまこういちは作品の良さではなく政治力で地位を築いた者だったのだ。
過日、すぎやまこういち弟子であった筒美京平が死去したさいNHKが特集を組んでいたことを、ここで話題に取り上げた。
その番組の主な内容とは、いかに筒美京平がヒットソングを作るかで腐心と研究をしていたかを歌手や編曲者の証言を交えて紹介しながら、70年代から80年代までヒットチャートの上位に昇る大ヒットを連発していたというものだった。
ところが90年代に入ると途端に、売れ行きが不振となりヒットチャートに入らなくなった事実も、同番組は紹介していた。日本の音楽業界が変化し、小室哲哉など新しいヒットメーカーの台頭もあったからだった、という話である。
それ以前から、ヒットチャートというもの自体が不健全なものだという指摘は存在した。歌の価値とは無関係だからだ。
まだ70年代後半から80年代前半の『ザ・ベストテン』という番組が絶頂期だった時に、よく出演していた歌手の郷ひろみが突然ボイコットしたことがあった。どの歌もファンや自分にとって大切なものであるから、それを他の歌手と比較して順番を付けられることが嫌になったという声明を発表したのだ。
その後も、こうした番組には出ないという方針を取る歌手たちが続出していた。自分が訴えかけたい内容の歌と、それを支持してくれる聴衆、ということを重視して。さらに、社会の中で国民全体の意識が同じ方を向いているという時代が終わり、価値観も多様化したと言われる時代が始まる。そこからヒットチャートの何位ということも意味が薄れてきて、この傾向は加速し、89年には『ザ・ベストテン』という番組も終了する。
そして90年代に入ると、当然ながら筒美京平の作る歌謡曲はチャートインしなくなったのだ。大ヒットメーカーだった「筒美京平先生」は過去の人に墜ちた。
この一方で、すぎやまこういち師匠は歌謡曲に見切りをつけて、ゲームさらにインターネットへと戦略的な撤退をしていた。
そこでは、話題作りの企画が成功して売れに売れたゲームの音楽に合わせた話題性重視の音楽を作り、相変わらずの政治力を発揮する。どこかで聞いた風な曲だと言われようと、お構いなし。もともと彼は、この程度の曲を何で由緒ある交響楽団何が演奏してくれるのか不可解とか、もっとちゃんとした専門教育を受けた作曲家を弟子にしているのは何故かとか、そういう疑問を持つ人がいるほどの政治力であったから、老いても簡単むしろ老獪さが増している。

そしてゲームの音楽が限界に達すると、ちょうどインターネットの時代になる。
そこでは「2ちゃんねらー」になったと公言し、そこで「ウヨ厨房」さらに「ネトウヨ」と言われる輩から差別発言のエッセンスを研究して取り込み、それらが支持する極右政治家たちに媚びを売るようになる。音楽でやってきたことの応用である。
もともと、音楽家としても作品ではなく処世術と政治力によって「偉く」なった人だったから、今の政治情勢に迎合するなどお手の物である。そして才能の限界だと引退した小室哲哉を尻目に、売れなくなった後に死んだ弟子も尻目に、さらには差別的な言動で追われるマヌケたちすらも尻目に、過去の遺物となった曲がオリンピック開会式に使用され、また注目されたと大喜びしたのである。死んだ弟子とは違い、なんて賢い私、というわけだ。
これぞ老害ではなく老獪である。



コメント