- 井上靜

- 2023年9月20日
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「スターは誰かの不幸の反映だからファンから否定されるのが理想」
とデビットボウイは言い「ステージ上で熱狂的ファンに殺されたい」とも。もっとも、親交のあったジョンレノンの事件があってからボディガードの人数を増やしたらしいが。
これをジャニーズ事務所の問題で思い出す。アイドルに夢中なのは現実の社会で希望がなくて夢を託すから。
この指摘を、アイドルに夢中な人たちは拒絶する。
これとアニメに夢中になるのも同じで、だから拙書『宇宙戦艦ヤマト…』で、それに触れた部分だけが気に入らない、と大ファンほど言って来る。しかし地上の現実から宇宙の夢へと眼を逸らすことはアイドルに夢中になることと同じで、その不幸を自覚したくないのだ。
そして「ジャニーズ帝国」と言われるほどになったら、それゆえのタブーもできた。
それとは逆にというか、儲からない前衛芸術では、それゆえのタブーがある。現代の音楽を創価学会系の「民音」が演奏会を毎年主催し、商業的には成り立たない音楽にとって貴重な発表の場だから、学会に反感があっても音楽家たちは批判を胸の内に留めてしまう。
つまり、商業的でも非商業的でも、儲かるがゆえでも儲からないがゆえでも、結局は似たようなものである。
しかし、うまく利用する人もいて、その最たるは西崎義展であった。
彼は民音と縁があった。映画製作の前に音楽の仕事をしていたからだ。それで『宇宙戦艦ヤマト』劇場版を配給網に載せるため配給会社を説得するのに必要な前売り券の組織的まとめ買いを創価学会に依頼し、おそらく『人間革命』と同じ舛田利雄監督なので宜しくと頼んだはず。
ヒットの影に学会ありと言われる所以。拙書『宇宙戦艦ヤマト…』で触れた通り。こうして商業的に成功したが、共感された理由は「産まれると同時に人生を計算できる社会になった」ことから空想に夢を託すのだと、他でもない西崎義展が説いている。

デビッドボウイは、初期の歌を後の歌で否定した。
その宇宙飛行士は麻薬中毒患者であり、宇宙を漂流しているのは幻覚であったということだ。
なら、宇宙戦艦ヤマトは本当にコスモクリーナーを持ち帰ったのだろうか。放射線汚染が除去されたので地下都市から出なさいと言われても信用できない。政府は「処理」したと強弁して地上に行くよう強要している。
そんな続編を考えてみた。


