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​炬火 Die Fackel 

 同性婚の届け出を役所が拒絶していることは違憲であるという訴えを、札幌地裁が認めた。この内容の訴訟は数多く提起されているが、初の判断であった。

 ここで国側は、憲法24条が婚姻の当時者とする「両性」や「夫婦」は男女を意味し「憲法は同性結婚を想定していない」という反論をしていたが、これは昔から「屁理屈」であると指摘されてきた。憲法の「婚姻は両性の合意のみによって成立する」は、あくまで封建的に家の都合で結婚を強制されてはならないという趣旨であるから。


 これと同時に問題となっているのは夫婦別姓だが、これに反対している人たちはやはり封建的価値観によって個人の幸せを否定している。

 この人たちが自分のことを好きにするだけなら勝手だが、他所様のことにまで口出しして強制したがる。だから、そんなことが現代においては在ってはならないということで憲法は婚姻について謳っているのだ。それなのに曲解と牽強付会で同姓婚を否定するから「屁理屈」であるし、危険な発想なのだ。

 そもそも、姓なんて無用であるから廃止すべきである。

 そんなに姓が欲しければ、欲しい人だけ勝手に付けて名乗れば良いのだ。江戸時代まで一部の人だけがナントカ一族とか言って姓を付けて名乗っていたけれど、それ以外は皇族から庶民まで姓なんて無かったのだ。

 もともと日本の姓は「平」「源」「橘」「藤原」の四つだけだった。これらが由緒あるというのではなく、これらだけが本物の姓であり、他は後から成り上がり者などが勝手に作ったイミテーションだ。そんなもの後生大事にするほどの価値は無い。まして、こんなもので「家族の一体感」なんて幻想もいいところである。なのに「夫婦別姓ハンタ~イ」なんていうのは田舎の田吾作や権兵衛が家の苗字とか言って気取っているようなもので、滑稽なだけである。


 また、結婚という制度も、とうに時代遅れである。

 かつて映画監督の大島渚が説いていたが、結婚なんて宗教の影響などで大昔に作られた習慣の名残が制度化しただけであり、今は無用である。またタレントの山田邦子が指摘していたけれど、社会的・法的に複数の制度を利用すれば結婚と全く同じだと、彼女は自分が結婚して解かったそうだ。


 だから、同姓婚と夫婦別姓を認めるのは結構だが、それ以前に結婚と姓を廃止するべきだ。したい人だけが宗教などを通じて結婚という形にすればいいし、欲しい人だけが勝手に好きな姓を作って名乗ればいい。  

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年3月11日
  • 読了時間: 2分

 「ケネディ大統領が暗殺された時に、自分が何をしていたかを憶えている人は多い」

 というのはサスペンス小説『オデッサファイル』(フレデリック=フォーサイス作)の書き出しだが、東日本大震災の時にも、自分が何をしていたか憶えている人は日本なら多いはずだ。

 しかし、その後のことになると、不明であるとか認識していないとか、そういうことになっていないか。言われてみれば、物流の混乱によって店の食料品が無くなり困った、などと思い出すだろうが、それより今はコロナウイルス新型肺炎への心配から、なるべく店に行くことを避けようとか、そちらの方へ意識が向いているはずだ。


 あのあと原発事故が発生し、ついに起きてしまったと思うと同時に、これで懲りたから原発は止めようという機運が高まった。

 そして、デモのさい居合わせた制服警官が横断幕を一緒に持って歩く様子が微笑ましく報じられもした。ただ、そのうち警察組織の上層部から「お達し」があって、そんなことはできなくなり、それだけでなくデモや集会を監視や規制するようになるだろうと予想され、これは的中した。

 さらに、事故の被害は隠蔽され、御用学者が荒唐無稽で強引な否定をする。事故は収束したからと買収で誘致した東京五輪を復興の証にするという宣伝が大金かけて実施され、そのプロパガンダムービーまで製作されて派手に騒ぐ。こんなことに浪費する金があったら被災者の救済に使うべきだという正論は圧殺された。


 そうなると、次はコロナウイルス新型肺炎でも同じことになる。

 やはり原発事故と同様に、コロナウイルス新型肺炎を克服した証として何としてでも東京五輪を開催すると息巻いている。風邪をこじらせた人を寒中水泳大会に、心臓病の人をマラソン大会に、出場を強制して「病気に勝った証にしろ」と死者を出すことは昭和の時代では普通にあって、死んだ者は耐えるだけの「根性」が無かったと信じ込むものだった。それと同じことで、日本がいかに進歩してないかの証左である。

 そのうえ業界の利権が優先だから、旅行に行けで感染拡大だが、この次は製薬会社のために、とにかく新薬は効いたことにして、副反応被害は無いことにするだろう。


 『オデッサファイル』は、ナチスの残党が暗躍していることからドイツ人は本当に戦争を反省しているのだろうかと疑問を持つところから始まるが、この点では当時のドイツとつるんで戦争した日本の方が深刻で、だから原発事故でもコロナウイルスによる新型肺炎でも、失敗から教訓を得ず同じ誤りを繰り返すことになるのだろう。



 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年2月23日
  • 読了時間: 3分

 かつて、名前に使用してよい漢字として定められている以外の漢字を自分の名前に使いたいのに役所の戸籍係から拒絶された人が、自由を不当に制限しており憲法違反であると訴えたけれど、最高裁は認めなかった。

 なぜなら、あくまで戸籍とは身分関係(親子・兄弟姉妹・親戚)を遺産相続など財産関係のために公証するもので、それ以外では戸籍と異なる氏名の使用が禁止されていないからだ。


 ところが、それを役所に言って住民登録したいと言っても、戸籍と完全に同一にしろと総務省から命令されているので出来ないという。

 その管轄が異なり、戸籍は法務省、住民基本台帳は総務省である。そこから選挙の投票などすべてが戸籍と同一の氏名にされてしまう。こうして総務省が強制するから不便なのだ。 

 では、戸籍が無い外国人の住民登録はどうなのか。

 これは出入国管理の記録に基づいている。それなら戸籍名だって根拠として備考欄などに記載していれば良いことになる。

 だが、総務省は根拠もなく拒否している。総務省は「マイナンバー」も進めていて、管理の行き過ぎとか個人情報の漏洩とか問題が指摘されていても知ったことではないという態度だ。それでいて、そこまで徹底管理しているのだから混乱などあり得ないのに、無法にも住民登録を戸籍と同一にするよう強制している。


 この総務省の無法のため、ほんらい夫婦が戸籍上は同姓でも日常生活では戸籍と異なる姓を使用できれば不便ではないのに、余計な不便を強いられているのだ。

 つまり、選択制夫婦別姓の制度が求められているのは何より利便性の問題からであるから、総務省の無法がなければ、こんな議論はほとんど無用ということだ。


 ただ、選択制夫婦別姓に頑なな反対をしている人たちの事情は異なる。

 そもそも、選択性であっても夫婦別姓に反対している人たちは、選択できることが気に入らない。強制でないと気が済まないのだ。

 こんな人たちを観察していると、人それぞれ尊重されることについて敵意と憎しみを持っているもので、地位によって不平等となる社会の方が良いと考えていることが判る。貧しい人が空腹から僅かな食べ物を盗んでも逮捕される一方で、エライ人たちは汚職しても裏金作っても公文書改竄しても昏睡強制性行為しても御咎めナシ、という社会によって何らかの得をしている人たちだ。

 それで、選択制夫婦別姓制度に反対している人たちは女性を家の制度に縛りつけておきたがり、かつ、地位ある人とそのバカ息子なら女性を襲っても罪にならない社会は居心地が良いということになるのだ。要するに根っこでつながっているわけだ。

 
 
 
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