- 井上靜

- 2021年3月18日
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同性婚の届け出を役所が拒絶していることは違憲であるという訴えを、札幌地裁が認めた。この内容の訴訟は数多く提起されているが、初の判断であった。
ここで国側は、憲法24条が婚姻の当時者とする「両性」や「夫婦」は男女を意味し「憲法は同性結婚を想定していない」という反論をしていたが、これは昔から「屁理屈」であると指摘されてきた。憲法の「婚姻は両性の合意のみによって成立する」は、あくまで封建的に家の都合で結婚を強制されてはならないという趣旨であるから。
これと同時に問題となっているのは夫婦別姓だが、これに反対している人たちはやはり封建的価値観によって個人の幸せを否定している。
この人たちが自分のことを好きにするだけなら勝手だが、他所様のことにまで口出しして強制したがる。だから、そんなことが現代においては在ってはならないということで憲法は婚姻について謳っているのだ。それなのに曲解と牽強付会で同姓婚を否定するから「屁理屈」であるし、危険な発想なのだ。
そもそも、姓なんて無用であるから廃止すべきである。
そんなに姓が欲しければ、欲しい人だけ勝手に付けて名乗れば良いのだ。江戸時代まで一部の人だけがナントカ一族とか言って姓を付けて名乗っていたけれど、それ以外は皇族から庶民まで姓なんて無かったのだ。
もともと日本の姓は「平」「源」「橘」「藤原」の四つだけだった。これらが由緒あるというのではなく、これらだけが本物の姓であり、他は後から成り上がり者などが勝手に作ったイミテーションだ。そんなもの後生大事にするほどの価値は無い。まして、こんなもので「家族の一体感」なんて幻想もいいところである。なのに「夫婦別姓ハンタ~イ」なんていうのは田舎の田吾作や権兵衛が家の苗字とか言って気取っているようなもので、滑稽なだけである。
また、結婚という制度も、とうに時代遅れである。
かつて映画監督の大島渚が説いていたが、結婚なんて宗教の影響などで大昔に作られた習慣の名残が制度化しただけであり、今は無用である。またタレントの山田邦子が指摘していたけれど、社会的・法的に複数の制度を利用すれば結婚と全く同じだと、彼女は自分が結婚して解かったそうだ。
だから、同姓婚と夫婦別姓を認めるのは結構だが、それ以前に結婚と姓を廃止するべきだ。したい人だけが宗教などを通じて結婚という形にすればいいし、欲しい人だけが勝手に好きな姓を作って名乗ればいい。

