top of page

​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年8月17日
  • 読了時間: 2分

 過日、米国の覇権主義に批判的で在日米軍基地問題にも関心を持つ人が、在日米軍なんて日本の安全保障にとって有害無益だが、自衛隊は日本のために働いているのだから、個人的に自衛官に会ったら、そのことを日本人として誇りに思うと言うべきだろうか、と言っていた。


 これについて、先ず、心にもない社交辞令は、空々しくて場合によってむしろ失礼になるからやめたほうがいい、というのはもちろんだが、次に、本気で日本人が誇りに思える仕事を自衛隊がしているのかという疑問がある。

 その点で特に問題なのは、自衛隊が米軍の下請けをしていて、日本国内では日本のためになっておらず、外国に行くと米国の覇権主義のためになっている、ということだ。そして、これに批判的な日本国民を自衛隊が監視している。



 つまり、自衛隊の実態が、米国覇権主義による悪行の手伝いと、それに反対する日本人の弾圧なのだから、在日米軍と違って自衛隊は日本人のために働いているという前提が存在せず、それでも自衛官に対しては誇りに思うと社交辞令で言うべきなのかという、正反対の疑問となるはずだ。

 そのうえで、自衛官は組織の上層部からの命令で働いているのだから、それなのに、あなたたちは国民のためになっていないと言って良いのだろうか、いくら現実でも、それを露骨に言っては失礼にならないか、と考えないといけないはずだ。


 こう問いかけなくても、とっくに解っていると言う自衛官もいる。

 だから、文句があったら国会へデモに行くべきだし、米軍下請け自衛隊で良いと言っている人以外に選挙で投票するべきだ、と解っている自衛官なら言っている。解っていない自衛官や、何も考えていない自衛官もいるけど。

 結論は、相手を見て選んで話すべき、ということだ。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年8月14日
  • 読了時間: 3分

 用事を済ませに新宿へ出かけた。

 あまり混雑している乗り物は感染の危険があるけれど、そんな時間を避けて出たから電車は空いていた。そのさい、小田急線では駅でも車内でも「不審な人を見かけたら直ちに駅員などに知らせてください」とアナウンスしていた。コロナウイルスも心配だが、無差別に刃物を振り回す男がいたので、より心配ということだ。

 あの事件は、幸せそうな女性が誰でも憎かったと言う男が起こしたとのこと。

 通り魔が無差別に殺傷するさい、非力そうな女性だから襲ったというのではなく、なんとなく女性が気に入らなかったからと言うことは、これまで度々あった。



 あの名匠=木下恵介監督の、かつて話題になった映画『衝動殺人 息子よ』は、実話を集積してドラマに仕立てたもので、通り魔に息子を殺された男が、犯人は暴力団員に唆されたと知り憤るが、警察から追及された暴力団員は「組に入れて欲しければ大きなことをしてみろと言ったけれど、人を殺せとは言ってない」と逃げてしまったので悔しい思いをする、というのが話の発端だ。

 そのあと主人公は、娘を通り魔に殺された人に会う。高校生の可愛い末の娘がピアノのレッスンの帰りに、たまたま運悪く出くわした男に刺されて死んだという話に、うっかり「まだ良かったじゃないですか。私なんか跡取り息子を殺されたのですよ」と言ってしまい、とても失礼なことを言ったと気付いて必死で謝り、自分ばかり哀れんでいたことを反省する。こうして物語が始まる。


 ここで、通り魔に扮した大地康夫(まだ新人で頭髪があった)が狂気の演技で話題になった。

 たったワンシーンだが強烈な印象だったのは、警察の取り調べに対して「とにかく何もかも気に入らなかったんだ。特に女は気に入らねえ。それで誰でもいいから女を殺してやろうと思って包丁を持って出たんだよ」と薄ら笑いを浮かべて言うところだ。 

 このセリフは、主人公が他の遺族を傷つけてしまう場面と呼応している。死んだのが働き者の跡取り息子ではなく女の子で良かったと言ってしまうのは、女性はただ可愛がられているという認識が心のどこかに潜んでいるからだ。つまり、息子を殺された主人公は、同じ犯罪被害者遺族なのに、他所様の娘を殺した犯人と、ある意味で意識が共感しているという、とても恐ろしい現実がさりげなく描かれているのだ。


 そして、現実に多くの人たちが、この意識を持っている。

 だから、何かのきっかけで狂気の行動に出た男がしばしば、無差別に憎悪を女性へ向ける。この小田急線の事件で、よく女性たちが、社会に女性蔑視があるからだと言っているのをTwitterで見かけるが、そうではなく、女性はただ可愛がられてきて何も努力しなくても幸せそうで、実際そうなのかとは関係なく、そう思われて嫉妬されているからなのだ。

 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年8月7日
  • 読了時間: 3分

 先日、死去した脚本家の橋田壽賀子は、かつてNHKの連続ドラマで自伝に基づく物語を書いたが、その内容に主演の俳優が不満を持ち途中で降板したため、内容の変更を強いられたうえ、これが騒ぎになると学歴詐称など無関係なことまでマスコミに取り上げられて散々な目に遭った、ということがあった。

 当時、これに対して野次馬が勝手なことを言っているのが興味深かった。



 特に、同業者の市川森一は醜かった。

この話題を取り上げたワイドショーで、出演者たちが、脚本家と出演者で齟齬があった場合、製作者が間で調整するものなのに、NHKのプロデューサーは何をしていたのかと指摘していたけれど、これに対して同席していた市川森一は「そんな批判をしてはいけない。プロデューサーの仕事は大変なのだから」と擁護した。

 だいたい、歌舞伎でも出演者などが揉めたら番頭が出て仲裁するものだし、映画やテレビでもプロデューサーは同じように調整役をするものである。なのに、市川森一はNHKのプロデューサーが批判されていると慌てて免罪し、その態度は見るからに露骨な媚びだった。

 かつて市川森一と何度も組んだ監督は、もともと市川森一は上を見て迎合する人であり、それがひどくなったので付き合いきれなくなったと言っていた。



 また、テレビの「評論家」塩田丸男の人権侵害発言はひどすぎた。

 もと読売新聞の塩田丸男はワイドショーで、主演者がドラマの内容に不満を持った原因は、主演者が在日外国人の家系だからだという噂を取り上げて、その出自を勝手にテレビの電波に乗せて放言してしまった。

 これに対する猛抗議がテレビ局に来て、塩田丸男は降板のうえマスコミ引退となった。もともと塩田丸男は権力に媚びて弱い者いじめが商売のネタであった。

この番組では、前にも、公共の場でホームレスのダンボールハウスが暴力的に強制排除されていることを報じたさい、他の出演者たちが気の毒だと同情しているのに、塩田丸男は「強制排除して当たり前だ。同情や抗議している人たちだって、自分の家の敷地にホームレスがダンボールの家を作ったら迷惑だろう」と言い放った。私有地ではなく公共の場であり、そこにしか居場所が無い人たちということを無視している。

なんと冷酷残忍な老人かと思った人は多く、そのうえで抗議があったから番組担当者も勿怪の幸いで切り捨てたのではないかと当時よく言われていたものだ。



 その前にも別の番組で、八月十五日の話題のさい塩田丸男は「閣僚が靖国神社に参拝していいじゃないか。どこの国でも、その国で一番の宗教があるのだから。アメリカだってキリスト教が一番の宗教だから『聖書に誓って』と言うのだ」と、ひどいデタラメを言い放った。

 こんなこと説明するまでもないが、国教が決まっているならともかく、そうではないから宗教に序列を付けてはいけないし、少数派が迫害されてはいけないから政教分離と定められているのだ。それにアメリカだって「良心に誓って」ということであり、それがキリスト教徒の場合には拠り所として聖書の前で宣誓するのだ。

いくら自民党に媚びるにしても無茶苦茶で、こんなのが「評論家」としてテレビに出ていて、たくさんギャラをもらっていた。おかげで2lDKの公団住宅に妻子と住んでいたけど世田谷区の高級住宅街にマイホームを建てたと同番組内で自慢までしていたから、一緒に出ていたテレビ朝日の吉沢アナウンサーに揶揄われていた。

 この段階で、テレビ局に猛抗議しておくべきだった。それをしなかったから芸能人までが差別被害に遭ってしまったのだ。


 そうしてみると、今はマスコミが昔よりダメになったけれど、その代わりSNSで問題を発信できるようになったから、それは良いのかもしれない。

もちろんSNSにも権力に金で雇われた工作があるけれど、それを贔屓するツイッター社に抗議などのカウンター運動もある。

 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page