- 井上靜

- 2021年8月17日
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過日、米国の覇権主義に批判的で在日米軍基地問題にも関心を持つ人が、在日米軍なんて日本の安全保障にとって有害無益だが、自衛隊は日本のために働いているのだから、個人的に自衛官に会ったら、そのことを日本人として誇りに思うと言うべきだろうか、と言っていた。
これについて、先ず、心にもない社交辞令は、空々しくて場合によってむしろ失礼になるからやめたほうがいい、というのはもちろんだが、次に、本気で日本人が誇りに思える仕事を自衛隊がしているのかという疑問がある。
その点で特に問題なのは、自衛隊が米軍の下請けをしていて、日本国内では日本のためになっておらず、外国に行くと米国の覇権主義のためになっている、ということだ。そして、これに批判的な日本国民を自衛隊が監視している。

つまり、自衛隊の実態が、米国覇権主義による悪行の手伝いと、それに反対する日本人の弾圧なのだから、在日米軍と違って自衛隊は日本人のために働いているという前提が存在せず、それでも自衛官に対しては誇りに思うと社交辞令で言うべきなのかという、正反対の疑問となるはずだ。
そのうえで、自衛官は組織の上層部からの命令で働いているのだから、それなのに、あなたたちは国民のためになっていないと言って良いのだろうか、いくら現実でも、それを露骨に言っては失礼にならないか、と考えないといけないはずだ。
こう問いかけなくても、とっくに解っていると言う自衛官もいる。
だから、文句があったら国会へデモに行くべきだし、米軍下請け自衛隊で良いと言っている人以外に選挙で投票するべきだ、と解っている自衛官なら言っている。解っていない自衛官や、何も考えていない自衛官もいるけど。
結論は、相手を見て選んで話すべき、ということだ。




