- 井上靜

- 5月21日
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名前は知らないがマスコミで見かける外人タレントが間違いを言っていた。
コロナウイルス対策の予防接種を、自分の命を守るためだけでなく他人の為にも受けるべきだと言って、自動車のシートベルトを例えに出していた。

他人のために予防接種するものだという詭弁は、あのアメリカのテレビドラマ『ER』にも出てきた。考えがあって子供に麻疹の予防接種を受けさせなかった母親を、主人公の医師が一方的に罵倒する場面があり、それもキャラクターが崩壊するほど唐突すぎた。普段は患者の気持ちを配慮して、わがままも聞いてやり、それで診察が長引きすぎると他の医師から注意される医師が、その場面だけいきなり感情的になるから、何か製薬会社から働きかけがあって強引に挿入され場面かと疑うほどだった。
この時も同じ理屈だった。薬が効かないと危惧したり、あるいは副作用を心配したり、という人たちに、他人への配慮で注射を受けるべきだと言う理屈だったのだ。
仮にその理屈が成り立つとしても、生命に関わることでは自己決定権が最優先されるのは常識である。
実はシートベルトも同じである。
その外人タレントに対して、もともとコロナウイルスワクチンの強要を批判していた批評家が、シートベルトは大人も子供も使用するべきことは同じだが、コロナウイルスによる新型肺炎は、陽性反応が出た人数の割に子供の死者が極めて少ないというデーターがあることを具体的な数値を挙げて指摘し、全く違うものだから例えにならないと反論していた。
それもそうだが、シートベルトも、義務付けられた時は批判的な指摘がたくさん出ていたのだ。
シートベルトを使用することで防げる危険がある一方で、シートベルトが役に立たなかったり逆に命に関わる危険を生じさせたりもする。
これには色々と実例があって、条件次第ということだ。だから、自動車に乗る人が、それぞれの条件で判断することなのに、それを認めず、みんな同じように一網打尽で従わせるのは誤りだという指摘がされて、 マスコミでも議論になっていた。
それで、基本的にはシートベルトは使用することにし、妊婦など身体的な事情がある人とか、配送の仕事で頻繁に乗り降りする人とか、そういう場合は無理して使用するとかえって有害だから、無理しなくても良いことになったのだ。その外人タレントが引き合いに出したような単純さではない。
つまり、シートベルトの使用義務付けの当時どうだったかを知らない人たちや、知っていたけれど時間が経過して忘れてしまった人たちがいたけれど、これと同じように、他の医薬品でも過去に深刻な被害があったことを知らない人たちや忘れてしまった人たちがいるのだ。
そして今コロナウイルスワクチンのことでシートベルトを引き合いに出し、シートベルトと予防接種の両方に対する誤った認識とともに、自己決定権を否定して強要を正当化していたけれど、ついにワクチンそのものがアメリカで問題になって推奨は中止されたのだ。


