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​炬火 Die Fackel 

更新日:2021年9月24日

 ある地域の自治会が、住民の知的障碍者に自治会の役員を押し付けようとして、不可能であるなら障害の影響について「お金の計算ができません」などと書かせて、このいじめも同然の行為により自殺に追い込んだと、遺族が裁判に訴えた。

 これは報道されたので周知のことだろう。


 こうした自治会の弱い住民いじめは昔からで、前に拙宅の近所では、大怪我で手術をしたばかりの人が行事に参加できないと言ったところ「不参加費」と称した罰金を請求されたということがあった。


 また、これは集合住宅の場合だが、排水管の清掃なら各自でできる道具が市販されているのだから、いまどき業者に依頼するのは時代遅れだという指摘もあるし、実施の日に自宅に待機しろというのは無理ということもあり、とにかく義務ではない。

 なのに、転居してきたばかりの人が、越してきたばかりなので自治会費を払っていないので実費を徴収されてしまい、越してきたばかりだから水道を使っていないし、前の住民が使用して汚れたとしても前の住民が自治会費を払っていたのだから、理不尽だと言っていたことがあった。

 しかも、その業者は自治会の役員と懇意にしているから競争入札すべきではないかと疑問を呈したところ、当時の自治会長から「昔からのつきあいだ」と反発されたうえ、「排管清掃に協力せず他の住民に迷惑をかけた」という嘘を公然と言われた。義務がないうえ、なのに金を払わされたのに、逆の嘘を言いふらされたから、領収書を提示して訂正と謝罪を求めたけれど、自治会長から無視されたという。



 その他にも陰険なことがあって、このため、もっともっと昔から住んでいた人が自治会を抜けて自治会費ではなく管理の実費だけ払うようにして付き合いをやめたところ、嫌がらせの手紙を執拗に送り付けられ、そこには「お前のような奴は創価学会員か共産党員だろう」と書かれていた。

 しかし、その人は選挙で自民党の候補者を応援していたのを見た人は多いし、党員証も持っていた。誰の仕業かは不明だが、嘘で貶めるのは元自治会長と共通しているとだけは言える


 最近でこそ、自治会のいじめがマスコミに報道されることも出てきたが、一昔前は「またか」程度の反応で取り上げられなかった。また、昔も訴訟になっているが、裁判官は不遜な態度をとるものだった。

 しかも、よく自治会長の老人が、かつて自分は学生運動で過激派だったと言って他の住民を脅すことがある。その前の世代だと戦争に行って人を殺したと自慢する老人がいたけれど、それと似た感覚である。

 そして、弱い住民をいじめたとして訴えられると、自治会長の訴訟代理人として住民運動の行政訴訟をよくやる人権派として通っている弁護士が付き、いじめを訴える住民を裁判の場で罵り、時には平気で嘘をついて貶めるという現実がある。例の排管清掃の嘘も、その「人権派」弁護士が訴訟で堂々と書面にして「ここの住民はけしからん奴ばかり」という主張をしたうえ、領収書などの反証を出されたら黙ったけれど、撤回や訂正をせず、もちろん謝罪もない。


 こんな、おかしなことがまかり通っているから、弱い者いじめもなくならず「人権派」も信用できないのだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年9月6日
  • 読了時間: 2分

 先日、「反ワクチン」という批判の中にある問題点について話題にしたが、そもそも、この言葉そのものが不適切な表現である。

 よくネトウヨ的な人物たちにより、自民党の姿勢どころか政策の一部に反対しただけなのに「反日」と非難する現象が起きているけれど、これと同じで特定の医薬品について効果や副作用・副反応を危惧しただけで「反ワクチン」と非難していて、乱暴で大雑把であることが共通している。それで観察すると、やはりこの人たちはほとんど重なっている。


 では、例えばコロナウイルス用のワクチンや子宮頸癌用のワクチンを危惧する人たちの中に、もしも癌の治療薬として昔から何かと話題の丸山ワクチンは有効だと言っている人がいたら、どうか。「反ワクチン」の非難は不適切ではないか。

 実際に、他のワクチンは駄目だが丸山ワクチンは駄目じゃないと考える人はいるはずで、なぜなら、もともと主流とされている治療に懐疑的だから代替医療を模索する、との構図があるからだ。



 つまり、この医薬品は駄目だと言っている人を、全然駄目ではないと思っている人から見ると大した根拠もなく否定しているように思えるから、それでワクチンを否定していると勝手に考えてしまうけれど、そうではなく、医学界で主流派となっていたり政府が推奨していたりの予防や治療にはどうして疑いを持ってしまうので、なるべく他の方法を採用したいということであり、その中から傍流の予防・治療を選択する人が出るのだ。


 実際に「反ワクチン」は、あくまでネットスラングであり、一般的に通用していないどころか別の意味である。

 もともと「反ワクチン」とは、ワクチンの種類と効能に関係なく否定する発想である。医薬品で病気を駆逐しようとすると病原体は対抗して変種が発生するから薬が効かなくなり、それでさらに新しい薬と「いたちごっこ」で、そうしているうちに本来の自然淘汰がなくなってしまい、人口が増えすぎたり人間が生物の種として弱くなったりしてしまう、ということだ。

 これは、医学そのものに対する根源的な懐疑または否定であり、医学界や厚生行政が信用できないというのとは全く違う。


 つまり、ネットで「反ワクチン」というのは、言葉として厳密でないのはもちろん不正確どころかテキトーいい加減なレッテル貼り攻撃である。だから「反日」と同じでネトウヨ用語になっているのだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年8月29日
  • 読了時間: 2分

 最近になってSNSその他でよく見かけるが、コロナウイルスのワクチンに対して不信感を持つのは宗教と同じだとか、副反応は狂言または気のせいとか、そういう戯言だ。


 そもそも、どんな薬品にだって不信感は在って当たり前のこと。

 それが新しい薬なら尚更のことである。そして問題は、個別の薬品と使用する条件による。どんぶり勘定みたいに杜撰な発想で、科学技術は妄信するべきで、そうでなければ非科学的というのは、それこそ非科学的の最たるものだ。


 だいたい、そんなこと今は語る意味がない。

 なぜなら、コロナウイルスに対して予防接種したくてもできないとか、コロナウイルスに感染したうえ発病までしたのに病院で診察を受けられず入院できないとか、そうした、薬が有効ならぜひ使用したいけれど困難であること、それこそ今の問題であるからだ。


 では、なんで無意味な話題をして見せるのか。

 そんなことを語っている人たちを観察すると、他のことでは常に権勢に媚び、弱者を見下し、市民として啓発された言動を否定しようと躍起になっている。

 ということは、予防接種や入院ができないのは政府の失策または無策が原因であること明らかなので、そこから話題を逸らそうとする意図があるのだろう。



 これに引っかかる人がいる。

 そんな人は、政府は対策をしっかりしろと批判したいものだから、その対策で使用する医薬品に対する不信感を語るなと言い出す。こうして、話題が問題の本質から逸脱していく。


 
 
 
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