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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年12月8日
  • 読了時間: 2分

 テレビの学園ドラマは、70年代から80年代までが盛りだったと言っていいだろう。

 しかし、70年代にはラブコメディーとかスポーツドラマとか青春物が主流であったのに対し、80年代になると学校教育問題がテーマの学園ドラマが主流となった。この当時のドラマを今になって動画サイトや映像ソフトによって初めて観たという人は、そのころの非行と校内暴力や家庭内暴力の凄まじい描写に驚き、これが全くのフィクションではなく、当時の現実に基づいてのことだと知って更に驚くものだ。

 あの時代の日本は、今と違って豊かで希望が満ちていたと聞いているが、社会が安定していても人は幸せとは言えない時代だったようで、それは何故かと不可解がる人もいる。



 たしかに80年代は今と違っていた。

 なにより今のような非正規雇用が横行しておらず、終身雇用制と年功序列は当たり前だと皆が思っていた。それが社会の主流であると言いうる現実もあった。

 ただし、そうなるためには、その枠内に納まる人材であると証明する必要があり、その最たるのが学歴だったのだ。だから個性や能力を伸ばすための学問など無意味であり、どれだけ忠実に与えられた課題をこなせるかを示すことが重要だった。従って、授業の科目だけでなく部活でも同じことで、不効率な長時間の拘束にこそ意味があるとされ、また生活指導においても、同じ髪形と服装を強いて見分けがつかないようにしておいて名札を付けさせるという、まるで囚人のような扱いを生徒に強いる。

 このように学校は、実質的に強制収容所だったが、これに対して人権無視の管理統制主義という批判があっても、とにかく唯々諾々と従う人材であることが求められているのだから、そんな批判をする方が悪だった。


 これを背景にして、受験戦争は苛烈になる。

 そもそも、受験に失敗しても、学校になじめなくても、人生の中では一部のことでしかないはずだった。それなのに、学歴において落ちこぼれることは直ちに社会からの落伍者を意味するようになってしまった。もちろん例外はあるが、しかし、そのような学歴社会からの落ちこぼれ即ち社会の落伍者という境遇に何かしらの事情によって陥れられてしまった者は、人生への絶望によって家庭内暴力や校内暴力の問題を起こし、非行に走ったりもするようになったのだ。

 

 だから、今のような非正規雇用が横行してなかった昔の時代は良かったかというと、そんなことは到底いえないのだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年11月19日
  • 読了時間: 3分

更新日:2021年12月24日

 外国の大学が社会学や経済学の研究をしたさい、そこで日本にある貧困の特徴が指摘されていた。

 これが日本でも一部で取り沙汰された。この指摘とは、日本で貧困に陥っている人たちが、諸外国でよくあるように、麻薬中毒者や移民ではなく、学歴やスキルが無いわけでもなく、政府の政策が原因である、というものだった。それで、なのに国民が我慢しているのか全く声をあげず、それどころか政府を支持しているので、いったいどうなっているのか。そういう問題だった。


 もちろん、普通よくある貧困な人の問題を抱えていなくても、学歴があっても、社会的意識の低い蒙昧な人はいる。

 しかし、真面目で努力もしてきた人が、無策や悪政のため困っているのに、政府を支持し続ける人が多すぎはしないか。それで、いったい日本人は、どうなっているのかということだ。


 そんなことを言っている人たちは、現実を知らないのだ。

 そして、意識の低い蒙昧な人たちを見下して優越感に浸っていたりもする。けれど、解ったようなことを言っているだけでなく、実際に行動すれば解る。ほんとうに蒙昧な人だけでなく、蒙昧なふりをして本心は恐れている人が大勢いるのだ。声をあげれば迫害される。それを目撃して委縮してもいる。


 この間の選挙で、期日前投票のさい生年を記入するのに西暦を書いただけで文句を言われたことは、既に述べた。

 これは何の暦を使用してもよいことになっている。馴染みのない暦に対して、これは何暦かと質問されイスラム暦だと答えたというやり取りがあったならともかく、昭和とか平成とかを書かない人は投票するなと敵意を剥き出しにされる。これが東京でのこと。


 これも前に述べたが、やめておくべきだと言われても強引に開催された東京オリンピックでも同じ。

 その関連商品の売り場に三密が出来ていることを撮影したら、警察が来て大勢で取り囲み、SNSに投稿したのかスマートフォンを検閲させろと迫り、令状もなく憲法で保障された通信の秘密を警察権力が侵害するのかとの抗議に、ここでは人目があるから他所へ行こうと警官は言い、そこで公務執行妨害で逮捕してやると脅す。そのさい集団で殴る蹴るしてやるとほのめかす。このさい来た警官は、他にも東京オリンピック開催反対のデモを監視するため出動したと言っていた。



 こういうことが他にも挙げていたらきりがないほど横行をしている。

 これで逮捕された人たちがいるし、それを見て多くの人たちが恐れている。そしてマスコミは一斉に、政府は正しい、批判する国民は許せない、そんな非国民から投票を受けようとする野党も許せない、と大合唱する。それで金をもらうヤクザな商売をしているマスコミ人もいる。


 だから日本の国民は、奇妙にも満足しているのではなく、恫喝されて恐怖しているのだ。

 これが信じられないという人は、自分も行動してみることだ。そうすれば簡単に解る。しかし、多くの人は怖がって何もしないのだ。その言い訳に、信じられないとか、そんなことあるわけがないとか、逃げ口上を発したり、権勢に媚びたりするのだ。


 
 
 

 対コロナウイルスの新薬は、新薬ゆえの心配が出ている。

 これは当たり前のことだ。もともと新薬は長い期間をかけて確認しなければならないものなのに、緊急事態だから拙速になってしまった。まだ解らないことがある。だから心配しないでいる方が非常識である。

 そして、効果や副作用への疑問が生じる事態も発生しているが、そもそも薬にはそうした心配が付きものである。

 ところが、コロナウイルス禍の深刻さから不安が広がっていため、もともと薬に必ずある心配を否定しようとして荒唐無稽な話が流布されている。



 そこで特にひどいのが「陰謀論」「陰謀説」を持ち出すデタラメである。

 例えば、戦争で悲惨な体験をした人が、そこから軍隊なんて国民を守ってはいない現実を指摘することは、あくまで実体験に基づいた国と権力への不信であるから、陰謀論・陰謀説ではない。戦争の原因について、おそらく軍産複合体が大儲けしようとしたから、などの勘繰りをすることを陰謀論・陰謀説というのだ。

 この常識を踏まえていれば、次のようなデタラメにも、すぐ気づくはずだ。


 医療ミス被害に遭う体験をした人には、自分の子供に医療を受けさせるさい神経質になる傾向は当然だ。

 その一部には、子供に予防接種を受けさせなかった人もいるけれど、これに「陰謀論者」の非難をするのでは、言葉と内容が合っていない。簡単に解ることだ。これは否定するつもりで逆効果になる。

 こんなことするということは、昔からの陰謀説が、ここでも適用できるのではないか、などと思われてしまう。だいたい製薬会社は大企業で、しかも戦争で大儲けして大きくなった会社が世界中に(特にドイツと日本)ある現実から、利権を守るため薬の被害を隠蔽しようとして、金の力でマスコミに世論操作を仕組んでいるのではないか、と。まったく逆効果にしかならない。


 そんな話題のなかで、母親が被害に遭って医療不信に陥り娘に予防接種をさせなかったという女性の話が紹介されていたけれど、これも同じことである。

 まるで、スチーブン-キングの小説『キャリー』みたいに母親を悪者にして語っていたが、そのキャリーのママだって、夫が職場で事故死したのは信仰している宗教の戒律を破った罰だと信じているため娘にも戒律を押し付けている設定であるから、狂信的ではあるが陰謀とは関係ない。

 ついでに、同じ作者の『デッドゾーン』には、聖書のセールスマンをしている男が政治家に転じる挿話があって、ここで彼は聖書がなかなか売れないけれど右翼的な宗教団体の「ユダヤ人と共産主義者の陰謀」という冊子はよく売れたことから、こうした扇動は大衆に受けると気付いて議員選挙に立候補して当選する。

 こうした陰謀論は、大企業が利権のためにする陰謀に比べると非現実的であり荒唐無稽っぽいくらいだが、真偽の判断が正反対になる人も多いのだ。


 こうしてみると問題は具体的な内容である。

 それをレッテル貼り攻撃に利用している輩がいて、その場合、言葉と内容が合致していないのが常なのだ。要注意である。

 
 
 
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