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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年3月1日
  • 読了時間: 2分

 これは卒業式の季節になると思い出す話である。

 高校三年の時、学年で唯一、三者面談をしなかった。担任の先生が、お前だけはしないで良いなと教室でみんなの前で言った。そうして下さいと返事した。

 これは、親と話しても無駄だと担任教師が考えたからだ。なぜか。その前に、二年生の時、父親が教師と面談したさい、唯一、あまりにも滑稽なことを言ったからだった。



 それが「私は、子供の教育に、お金を惜しまない主義です」だった。

 この言葉だけで笑い出した人たちがいる。当然だろう。こんな可笑しな表現をして、いかにも気取っている。もし言うとしても、実際には全くそんな気が無い人だけしか言わないだろう。

 ところが二年生時の担任は、真に受けたようなことを言っていた。ちょっとマヌケな人だったから。ただし、少し考えて変だと気づいたようだ。それで入試の記録を調べたと言う。そしたら、この学校でなくても入れる高校はいくらでもある成績だった。だから変だと気付いたのだ。


 子供を公立高校に行かせて何を言っているのか。

 しかも、地元というには遠い場所にある高校だった。学区内ではあったが、自宅の近くには、偏差値からして入れる公立高校は複数それも上から下まで合計すると五校か六校はあった。それなのに遠い場所の公立高校に入り、それは学区の公立高校の中でも貧しい家庭の人が特に多い学校だったのだ。場所柄のためだ。

 そこに、わざわざという感じで子供を入れて、その教師に保護者面談で「私は、子供の教育に、お金を惜しまない主義です」と気取って言ったのだから、話を聞いた教師は呆れるだろう。


 それで、親の態度に奇妙なものを教師は感じたのだ。

 この様子では、中学三年生の時に家庭で何かあったな、と。だから、卒業後の進路については本人が勝手にすればよくて親は話にならないと悟ったというわけだ。

 その後、親元を離れて親戚のところへ行き、そこから大学に行くなどした。だから同級生らは、親戚を親だと思っていたり、姓を勘違いしていたり、などなど混乱した認識を持たれていたのだ。


 今思うと、高二の時の担任は駄目だったけど高三の時の担任は解る人で助かった。

 そうした配慮の出来る教師に、もっと増えてほしいものだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年2月14日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年2月20日

 吉原展が議論を醸している。

 吉原といえば、かつて勤めていた会社で、上野浅草地域と呼ばれる営業の範囲に仕事で行くことを指示されて、その用が済んだあと通りかかったのが唯一である。真昼なので閑散としていて、夜に賑わうのだろうと思わせる雰囲気であった。

 そのさい、いかにもボーイという服装をした蝶ネクタイの男が「営業ですか」と声をかけてきた。昼間に背広を着て鞄を持って街を歩いていれば、だいたい営業である。そしてボーイふうの男は「仕事が終わったら遊びに来てください」と広告付きのポケットティッシュを寄こした。

 会社に帰ってから、仕事の報告とともに、蝶ネクタイの男に声をかけられた話もした。上司は「だから代わりに行ってもらったのだ。自分で行ったら誘惑に負けそうだから」と言った。そういう誘惑に弱い人であると、他の社員から聞いた。


 今、物議なのは、吉原の産んだ文化のことである。

 それによって、吉原が貧しい出自の女性たちにとって性的な搾取や虐待の場となってきた歴史と、それが今も続いている実態を覆い隠したり美化したりしてはならない、という話である。

 これと似た話は神楽坂の芸者の世界にもある。だからかつて宇野宗助首相が、そこで今でいう援助交際していた事実について、当の芸者の告白を週刊誌が取り上げて、さらにスピルバーグ監督の映画でも知られるアメリカの有名な新聞『ワシントンポスト』が「ジャパニーズプライマルミニスターとゲイシャガールのセックススキャンダル」と報じて騒ぎになったのだ。

 国会の質問でも取り上げられて宇野首相は「プライベートなので」として、今でいう「答弁を差し控えさせていただく」ということだったが、その間じゅう恥ずかしそうにしていた。



 ところが、性搾取など当然だと擁護したのが三宅久之であった。

 この当時、芸者と旦那の関係は昔から当たり前のことであり、何も悪くないと公言していた。いくら自民党の御用評論家として権勢に媚びて弱いもの虐めが商売にしても酷すぎる。このDNAを受け継いでいるとウリにしている息子が、東京狛江市の市議会議員をしている三宅まこと議員である。


 また、女性ゆえの苦労を強いられている話に対し、男にも苦労はあると言う人がいる。

 だから大変なのは皆同じだと言って否定した気になっている。これは差別主義者の人たちが、よく使う論法である。他にも、経済格差などでも用いられる。

 この論法は朝日新聞が学歴で用いてきた。特に八十年代に入ると、その投書欄『声』に「私は家庭の貧困ゆえ進学できず就職に影響している」という投書が載ると次は必ず「私は一流大学を出たけれど就職に苦労している。だから、そんなことは関係ない」という投書が載る連続だった。だから「朝日新聞は、松本清張が悔しい思いをしたことなど知らない人ばかりになったのではないか」と言われた。

 そして、その後、朝日新聞は、そうした発想の寵児ともいうべき橋下徹を応援することになる。橋下徹は弁護士として風俗店の顧問か何かをしていたそうで、また米兵の皆さんも風俗店を利用しようと呼びかけて米国から批判された。


 こうした背景というか土壌というかがあって、今の吉原展の物議になったのだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年2月8日
  • 読了時間: 2分

 前に恵方巻の問題を話題にした。

 これはクリスマスケーキとは違い売れ残りの安売りをしても駄目で、それくらい人気が無い食べ物ということだ。だから毎年の大量廃棄から「止せよ」という声が出ている。食材の無駄であり処分でも無駄な費用がかかっているから当然の声だ。

 また、太巻きを丸かじりするから喉に詰まらせ緊急搬送される幼児と老人が毎年のように出ているという。これも批判される原因である。



 この恵方巻を恋人に付き合わされた男の話がある。

 そうした行事が何かと好きな女性なので、恵方巻なんて馬鹿らしいと思ったけれど、これだけならば、と仕方なく付き合った。しかし、この他にも色々とあって別れたという結果である。

 それは、その女性の品の悪さだった。だから別れて正解だろう。


 ただ恵方巻だけでは済まないことだ。

 そもそも恵方巻なんて商業的な意図から作られた風習である。それを宣伝に乗せられてしまうなんて愚かである。そういう無見識が、他のことにも反映するものだ。

 もっといけないことがある。売れ残りの大量廃棄だけでなく、食べ物を玩具にするという意味でも、罰当たりであることだ。何かの記念日などで縁起を担ぎ何かを食べることは色々とあるが、それとは違う。酒を普通に飲むのではなく一気飲みの悪ふざけするのと、恵方巻を丸かじりで食べるのは変わらない。それが平気なのは育ちの悪さの反映だ。


 食事の作法は様々な流派がある。

 また、知らないこともあるし、不注意もある。しかし食べ物を玩具にして良いかは話が別である。それが解らない人もいるけれど、その点の価値観は齟齬があれば深刻である。

 これが、ちょうど恵方巻に反映するだろう。

 
 
 
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