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​炬火 Die Fackel 

更新日:2024年8月19日

 病院の待合室で高齢者たちが話していた。

 よく、ここで会う高齢者たちのなかの一人が、最近は来ない。それで「体の具合が悪いのかしら」と。ここは病院なのだから体の具合が悪い人の来るところなのに。

 この冗談は、昔からあった。病院の待合室が老人たちの貯まり場になっているからだ。


 病院の待合室で常連のような高齢者が談笑していることは見かける。

 それでも体のどこか具合が悪いもので、一見は元気そうでも投薬や処置が必要だから来ているはずだ。まったく必要がないのに来ている人は、まずいないだろう。よく見かける高齢者の姿が急に見えなくなったら、体の具合が悪いどころではなく自分で動けなくなったとか死亡したとかである。

 勤めている人たちは、体の具合が悪いのに職場の事情で仕事を休んで病院に行くのが躊躇われたりするから、それでやっと病院に来たら長く待たされて、そのさい一見どこが悪いのか判らない老人たちがいるのを見るから、その不満が高齢者に向く。ほんとうの問題は、なかなか休めない職場なのだが。



 高齢者が医療費の無駄遣いをしているとは80年代から言われていた。

 それは職場環境や保健福祉の問題を別にすり替える意図からだろう。そこへ便乗したお笑い芸人が老人いじめをしていた。島田紳助は漫才で、爺さん婆さんたちが病院の待合室にお茶やポットまで持ち込んでいるという話をネタにしていた。

 ところが同じころ公明党の竹入委員長(当時)が真面目に「老人は病院に遊びに行くのを止めて」と選挙演説で発言し、これがマスコミから大きく取り上げられ、共産党は批判していた。政党の代表者が言ったのだから、笑い話ではすまない。「福祉の公明党」なんて所詮この程度だと言われもした。


 ただし、その時代と最近とでは老人世代が異なる。

 あの当時は、老人医療などの福祉政策は恩返しだと言われたものだ。戦争と戦後の復興で苦労した世代で、自分たちの恩人というべき世代だから、それが歳をとってから働いてばかの悪影響で体が弱っている。ならば後の世代が世話するのは当然のこと、というわけだった。

 ところが、今の老人世代はまったく違う。戦争を知らないし苦労もしてないから尊敬できず、存在していることが迷惑でさえある、と将来に必ず言われるだろうことが、けっこう前から指摘されていた。

 その予想が的中したということもできる。

 
 
 

更新日:2024年8月14日

 これはコロナウイルスに限らない予防接種一般についてのこと。

 昔から、予防接種により却って深刻な被害が発生している事実が報道でも取り上げられていた。主に薬の副作用の被害だが、あと針を刺した身体の部位が悪かったとみられる被害もあった。

 これに対して、厚生省も調査して対策を講じていた。また、昔はインターネットが無かったから、被害の告発をSNSで発信することも不可能だった。それが無くても、役所は調査するものだったし、マスコミも報道したのだった。


 ところが、最近では厚生労働省とマスコミが被害の否定に血眼である。

 もちろん、御用の学者や報道は昔からあったことだが、最近では事情が異なっている。なにより、コロナウイルスという新手の病原体に対して登場した新薬の拙速さがあり、他にも、必要性が疑問な感染症に対する予防接種の推奨が強引である。これでは利権がらみではないかという疑惑が生じるのも当然であるうえ、それを否定するのに官民挙げて躍起だから、なおさら不信感が増す。

 また、省庁の腐敗堕落が、政治の影響もあって、昔ではあり得ない水準に悪化しているし、マスコミは斜陽産業であるから昔のように優秀な人や気骨ある人がいない。そこで、時代の趨勢から出るべくして出るのが、大資本の圧力があってのことだろうという疑惑である。


 ここで「自分の頭で考える」必要性がある。

 そのさい注意するべきことがある。まずやるべきことは、SNSで、自分が予防接種をしたと言っている人たちを無視することだ。これらの多くは、そのさい、よく、「他の人に迷惑をかけないようにするのは当然」という奇妙かつ使い古された論法を用いたり、「反ワクチン」とか「陰謀論」とかのサブカルチャー用語を使っていたり、である。また、自分は注射したけれど身体に何も悪いことが起きてないという、何の証明にもならず、それ以前に注射されたのが本当かも解からないことを言っているものだ。

 これだけでも、真面目に考えるなら無視しなければならないが、こうした不真面目な発信は、だいたいが匿名である。相手に出来るわけがない。

 では、実名を出しているのは、どうか。いくら実名を出していても、よく匿名で行われるのと同じ不真面目な内容では、それを実名でやれてしまうなんていうのは、ただの恥知らずであるから、なおさら信用してはならない。



 あと大学のセンセイとか議員のセンセイが注射して見せていること。

 これら「権威ある」人たちは、それなり頭が良いから、その悪知恵を働かせていて、やらせの写真をわざわざ公開していることからしてまず怪しいうえ、これは本当に昔から行われてきたトリックだが、本当に注射して見せていても、その医師もグルで、注射器の中に入っているのは当該薬品ではなく点滴で使う栄養剤である。

 これらを念頭において自分の頭で考えるなら、少しは長生きできるはずである。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年8月5日
  • 読了時間: 3分

 話題のマリーアントワネットが『ベルばら』では悲劇の人に描かれていた。

 『ベルばら』こと『ベルサイユのばら』は、長谷川一夫が関与して宝塚歌劇となり「タカラヅカの革命」とまで言われる最大のヒットとなったが、原作のマンガは『リボンの騎士』から影響されていて、これは手塚治虫が宝塚市の出身で宝塚歌劇をよく観に行っていたことから発案されたから、そのアニメ化でもミュージカル仕立てであった。

 この「悲劇の王妃」で革命は怖いと思う人がいるけど、もちろん歴史とは違う。


 『ベルばら』のマリーアントワネットは革命ではなく封建制の犠牲者だ。

 これはドラマをちゃんと見れば解る。女は跡継ぎより政略結婚ということで人身御供も同然で嫁がされた末のこと。だから跡継ぎとして男装させられている主人公オスカルと対になっているキャラなのだ。

 そして、最初は国王のところへ外国の王女が嫁に来たから華やかな感じで大衆は王妃万歳だったけれど、何も分らない王妃は社交ばかりで国の財政が悪化しても気づかず、生活苦の庶民には「パンがなければケーキを食べればいい」と言ったとか言わないとか、後の時代に作られた話とも言われるが、とにかく苦労知らずだから生活苦など理解できなかった。これで大衆はブチキレ革命が起きて殺される。

 まあ、『戦艦ポチョムキン』を見れば解るとおりロシア革命だってフランス革命と同様に「食い物の恨み」である。ブレヒトの『三文オペラ』で唄われる「♪清く正しく生きろったって、おまんまにありつけなきゃ聞く耳もたねえ。人の道より先ずメシだ」ということである。



 実際のマリーアントワネットは結構に政治的な役割を務めていた妃だったらしい。

 だから殺されたけれど、そこはメロドラマに仕立てるさい除かれるのが常である。『ベルばら』の作者である池田理代子さんは所謂リベラル派だったから作品でも封建制度批判が当然に込められている。

 それでもやはり少女マンガである以上はメロドラマに仕立てステロタイプにする必要もあったということだろう。


 あの当時の池田理代子さんは選挙で堂々と共産党の応援をするなどしていた。

 これは大学生の時に短期間だが学生運動をしていて、そのさい共産党と正式に提携している民青同だったからだが、特にどこかの政党を支持するということではなく、常に革新系の応援をしていたと公言していた。

 ただ、後に彼女が私生活のことでマスコミから変に騒がれたことがあったけれど、ここで彼女は本当に怒っていた。ある芸能記者が、芸能人など一部の有名人は話題づくりなどのため私生活を売っていると言ったら、これに対して彼女は、あくまでマンガを描いて売っているのであって私生活は売っていないし、宣伝のため話題づくりに私生活を利用したこともない、と猛反発だった。

 ところが真に受けた態度の人たちに革新系の人たちもいて悪く言うなどされたから、それで選挙の応援などをやめてしまったと言っていた。よくあることである。

 とにかく、歴史上の人物と存命中の人物とは違うということだ。

 
 
 
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