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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年1月26日
  • 読了時間: 2分

 高校の時に保護者面談を学年で唯一やらなかった。

 担任教師が、配慮してくれた。それは、父親が教師に合うと空々しい嘘を言うし、母親は言動が奇妙だから精神病だろうと教師は察していたから、これでは話にならないと判断したのだ。

 だから誰か代わりに保護者になっていれは、そちらと面談していたが、それは卒業後のことだった。

 ところで、保護者面談に関して「作家」「日本保守党首」の百田尚樹サンが変なことを言った。 

 百田尚樹サンは次のように述べた。

 子供の学校での保護者面談で、次の順番の親を呼ぶ時、今は普通に子供の姓で「〇〇さん」と呼べるが、選択的夫婦別姓が採用されると、面談に来る親がどちらの姓かわからない。先生、どうする?普通に子供の姓で呼べばいいじゃないかという意見もあろうが、別姓を選ぶ人はこだわりが強いので「私は〇〇ではありません」と文句言いそう。


 これに教師を経験した人たちから次の指摘があった。

 まず、全員等しく「〇〇さんの保護者の方」と呼ぶので、全く問題ない。なぜなら教師にとって大切なのは生徒だから。親御さんは「〇〇さんの保護者」以外の何者でもない。素人が聞いた風な口をおききになるもんじゃない。

 そもそも保護者面談は「保護者」との面談である。必ずしもその生徒の「親」が来るとは限らない。様々な家庭事情の生徒がいるから。従って自分も現役の時は次の方をお呼びする時は「○○さんの保護者の方」だった。全く 何も知らぬ素人が知った風な口をきかないでほしい。

 などなど。



 バツ(X)でも、この件には「コミュニティーノート」で指摘があった。

 現場の教員は様々な事情の家庭の児童がいる事も想定した上で「〇〇さんの保護者の方」と現在でも呼ぶのが一般的であり、選択的夫婦別姓が導入されても百田尚樹氏の懸念するような事象は起きえません。


 まあ、百田尚樹サンは難癖つけるためにちょっとした思いつきで話したのだろう。

 それがSNSで拡散され話題になった。それにしても、保護者=親という発想は、どこから出るのか。それに、保護者=親なら、最初からただ親と言って保護者とは言わないはずだ。親が死んでしまったとか、生きているけれど何かの事情で駄目とかで、親戚その他の人が保護者ということは、昔から今までいくらでもある。

 ところが、ちょっと考えれば解る常識なのに解らない人が、こと家族のことになると解らない方が普通になる。そうに決まっていると思うからだ。必ずしもそうではないという現実を絶対に認めない。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年1月24日
  • 読了時間: 3分

 映画に関係する仕事をしている人が言っていた。

 田舎の親から、変な仕事はやめて、帰って来てまともな仕事に就けと言われたそうだ。田舎というのは、そういうところだと言う。

 たしかに、かつて一時的に過ごした山奥の田舎でのこと。地元の高校で、卒業後の進路という話になると、映画の仕事に就きたいから、日本大学の芸術学部の映画学科に進学したいと言ったところ、担任教師から、何を訳が解らないこと言っているのかと言われてしまった。

 そこでは、山の陰になっている為にテレビの映りも悪く、映画館も無く、たまに公民館の上映会で見るくらいだったから、そうなるのも仕方ない。


 『ハイジ』という映画があった。

 かつてアニメになって有名だった『アルプスの少女』の、ずっと後からの映画化だった。ハイジはフランクフルトでクララお嬢様と一緒に勉強して、最初は基本的な読み書きもできなかったのでゼ―ゼーマン家の家庭教師も呆れていたが、物語に魅せられたハイジは熱心に学んで読み書きを会得した。

 そしてアルプスに帰り地元の学校に行くと、簡単に勉強に付いて行けた。ところがそこで、将来なにになりたいかという話になり、ハイジが「小説家になりたい」と言ったら、教師は何を訳が解らないことを言うのかと呆れ、他の子供たちも変なことを言っているという感じで笑った。

 後に、クララが訪ねて来たさい、付き添っていたクララの祖母(ゼ―ゼーマン氏の母親)にハイジが、学校で不可解だったという話をしたら、お婆ちゃんは「きっと、田舎の人だから知らないのでしょう」と言った。

 たしかに田舎とは、そういうところである。


 それだけではない。

 だから、十代の時に、そんな田舎に居たら潰されてしまう。これは自分で体験したことだが、映画や舞台やテレビの脚本を書くとする。

 例えば、テレビで活躍しているジェームス三木が言っていたけど、物語を作るには権力に対して批判的でないと駄目で、でないと本質が見えない。

 『アラビアのロレンス』の脚本家ロバートボルトは、そのあと同じ監督の『ドクトルジバゴ』に関わっているとき、核兵器に反対して政府を批判するデモに参加して逮捕されてしまい、脚本を仕上げないと困るから製作者が警察に掛け合って苦労しながら釈放させたという。

 『セールスマンの死』はアサーミラーの代表作といわれる名戯曲だが、資本主義の暗部を告発した内容である。マリリンモンローが再婚相手にミラーを選んださい、周囲から反対されたのは、ミラーの交友関係をFBIが調べているらしいから。しかしモンローも実はノンポリではなかった。ケネディ大統領に接近したのはミラーの影響があったとも言われる。

 だから、社会を批判的に視ることは当たり前のことだ。それが悪いと頭ごなしに否定されたら、どうか。そんな考えをするな、そんな本を読むな、そんな話を書くな、などといちいち教師に否定されたら、まだ高校生だから凄い圧力になる。


 権力に睨まれると怖いとか、稼ぐためには商業的なのが有利だとか、ではない。

 そういうことなら、都会のど真ん中でも言う人はいくらでもいる。これは、解っていて現実を説いている。そうではなく、田舎の人には想像を絶することで、だから自分の理解できないことは何かとんでもないことだと感じ、否定する。

 こういう田舎の「怖さ」は、しばしば指摘されることだが、体験して身を以て知る者にとってはまさにミスタークルツの「ホラーだ、ホラーだ」(恐怖だ、または、地獄だ、と訳されている)である。 



 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年1月22日
  • 読了時間: 2分

 受験に向かう女子が、途中で性犯罪に遭ってしまい、怖くて動揺し受験どころではなくなった、ということがあったと聴いた。

 この季節に、受験生を狙う奴もいて、警察は警戒しているそうだ。

 こういうことは、なにかしら社会の反映なのだろう。そんな風潮の社会だからであろうことは、フジテレビのことなどなど、いちいち挙げていたらきりがないくらいだから。



 かつて同級生の母親が、娘の大学受験に付いて行くつもりだと言っていた。

 これは、やはり女の子だからだろう。あと、入試の会場まで誘導してもらえたら、その間は気が楽なので、落ち着いて試験を受けることにつながるはずだ。

 これがうちの母親だったら、間違ったところに連れて行かれて受験できなくなってしまうだろう。しかも、違うと指摘されても、自分の間違いは絶対に認めないから、ひきずってでも間違ったところに連れて行き、やっぱり間違いだったと平然と言って笑ったことだろう。そして、何か文句あるかと居直っただろう。


 こういう母親だから、受験のことを忘れてくれたほうがいい。

 まったく幸いなことに、かつて大学受験の時は、母親が寝坊それもひどく眠り呆けて、入試から帰ってきた息子に、どこへ行っていたのかと訊く始末であった。

 そして入試だったと知ると笑い出し、食べるものがなくて空腹で試験なんて全然できなかっただろうと言ってまた大笑いした。カロリーメイトなどを買って食べて試験を受け、結果は合格だった。それを知ると今度は生意気だと言って激怒し敵意をむき出しにした。もともと奇行が目立つ人だった。しかも後に統合失調症を発症している。


 まあ、うちの母親は論外である。

 それで家を出て親戚の所に身を寄せた。事情を知らない同級生から、親だと思っていたけど叔父さんと叔母さんだったのかと言われた。

 あと、大学の経理が学費の振り込み用紙を親に送付してしまうので苦情を言っても、大学の方がなかなか理解できないので困った。金なんか払わないとか、退学させろとか、普通の親は言わない苦情を言うので、やっと大学のほうも理解したのだった。

 これは特殊であるが、他にも似たようなことはある。だから、性犯罪が横行する男尊女卑をなんとかしろというのと同時に、学費の心配しないでも進学できるようにしろと言いたい。今の政府では無理というものだけど。

 
 
 
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