- 井上靜

- 2024年6月4日
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先日、七十二歳だという男性が女性二人と話しているのを傍で聴いていた。
その男性は、これまで結婚を二回して、二度とも死別する残念な結果だったそうだ。それで寂しいから再々婚を考えたり勧められたりするという。
そして、高齢者になってからの結婚はかなり簡単とのことだ。伴侶を失って寂しがっている高齢者は多く、そのうえ、歳が極端に離れていると遺産相続で他の家族と揉めたり、遺産目当てだけではないかと反対されたりするけれど、そういうことは高齢者と高齢者ならどちらも先が長くないから問題になりにくい。

これに比べると、若い人たちのほうが先行きのことで障害が多い。
しかも、ご時世のため不安である。これでは晩婚化と少子化が進むのも当たり前である。悪いのは自民党政権というしかない。
他にあるか。無いだろう。
そこで問題なのは、結婚して失う自由との均衡だという。
高齢者になり自由になったけれど、年齢とは関係なく結婚で失う自由があるから、寂しさが紛らわされることと比較して、少しでも良いと思われることが多い方を選ぶべきである。
そうだが、では、どう比較するのか。
そこで重要になるのは今までの生き方だそうだ。
男性で遊び人だった人なら、自由に生きていれば結構なことだけれど、仕事ばかりだったら、特に会社人間だった人は、そればかりになっていて視野が狭い。これに比べると女性の方が広い。専業主婦で家事と育児ばかりというのが極端だった人でなければ、少なくとも会社人間だった男性よりは色々なことを知っている。
それが、自由を失う部分がそれなりにあっても寂しくない生活を出来る方を選ぶかの分かれ目になるとのことだ
なるほどね、と思う会話だった。


