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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年9月5日
  • 読了時間: 2分

 大学の教室に設置されていた暖房機。

 それは触っても熱くないのに周囲はジワリと温まるものだった。これに比べると、温風が吹き出す暖房機は気持ち悪い。そう言う人たちがいて、自分もそうだ。

 それで、自転車通学していたから、冬は教室の暖房で足腰を温めていた。そこ訪ねて来た男がいた。どうせ授業に出ていなかった時のノートを見せて欲しいと言うことだろう。実際にそうだったが、そのさい「やっぱり、ここに居た」と言うので、それはどういう意味かと問うたら「冬になると暖房機の前に居るから」と、人をネコみたいに言った。



 こうした暖房機はドイツ製が売られている。

 かつて羽仁五郎は、自宅で暖房機を稼働させているのに温まらないので、来客が寒いと言うと「これはJunkerだよ」と言ったそうだ。ドイツ製の性能で寒いなんてことないはずだということだ。ハイデルベルク大学に留学してドイツ製品贔屓になったからだった。

 よく、羽仁五郎は、西洋の歴史から都合の良い話をつなげて面白く作るから、学術的には違うと指摘されることがあった。西洋かぶれも大概にしろということだが、ただ、そうした理想的な西洋と比較したうえで日本の社会問題を指摘する部分は常に正しかったと、彼のデタラメを批判する学者も認めていた。

 それがあって、いつもマスコミから談話を求められるので、彼は自分を学者というより評論家だと自認していたらしい。


 同じことは大橋巨泉のアメリカかぶれであった。

 よく大橋巨泉は、アメリカと比較して日本の社会問題を追及するが、アメリカを美化しすぎではないかという指摘があった。しかし、日本の社会にある問題については、常に的確であったから、マスコミで大活躍だったのだ。

 今年も「24時間テレビ」が放送されて、マンネリ化と感動ポルノ化が批判されていた。かつて初期ころは司会の大橋巨泉が、寄付のほとんどが小銭しかも一円玉が多く、庶民が助け合いの気持ちで寄付したのだけど、こういう福祉に関わることは政治の責任なのだと番組中に指摘と問題提起していたことは、今も語り草である。毎年のように言われる。


 こうして、また夏休みが終わる。

 そしてしばらくすると、また暖房機を稼働させることになるが、去年のことだが壊れてしまい、暖房するとしたらエアコンを使うことになる。この機会にドイツ製を買おうかと考えている。



 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年8月3日
  • 読了時間: 3分

 ときどき、エアコンから水滴が滴り落ちるのを見ることがある。

 前に、ある飲食店で、飛び散る水滴が服に付いたと客が苦情を言っているのに出くわした。普通は湿気が外部に排出される仕組みになっているけれど、このドレーンが外れていたりすると漏れる。だいたいは室内機のカバーを外して見れば判るのだが、どうしたらいいか知らない人が多い。それで業者を呼んで直してもらうことになるが、異常であると認識してない人も多いから放置ということになる。


 エアコンをつけると室内がかび臭くなることがある。

 これは湿気のためエアコンの内部がカビているからだが、よく対策の洗浄スプレーが売られていて、無駄なのに買ってしまい使う人がいる。エアコンの設定を仕事にしている人によると、水が外部に排出される部分は汚れも一緒になるから必要がないし、そうでない所こそカビと埃が付くけれど、そこにスプレーは届かず、届けようとするならカバーとフラップを外さない駄目で、そうしたなら布やブラシで掃除できてスプレーよりはるかによく汚れが落ちるから意味がない。

 

 それで、今年も自宅のエアコンを分解して掃除した。

 手間のかかる作業だから代行する業者がいるけれど、仕上がりなど不安がある。高くて手抜きの所も実際によくあると聞く。丁寧とか上手とかで作業員の当たり外れもある。自分でやって慣れてしまえば簡単なものだ。障子や襖の張替と同じで、せっかく慣れたのだから誰かにやってあげたくなるものだ。サイドビジネスとしてやってみようかとも思ったりする。

 よく、エアコンのフィルター掃除をしなければいけないと思ってはいるが、億劫でやっていないという主婦がいる。簡単なフィルター掃除でさえこれでは、分解掃除など想像を絶することだろう。



 マイナーメーカーのエアコンを買って困ったことがあった。

 かつて住んでいた場所が、壁に穴をあけては駄目という大家だったので、窓用のクーラーにするしかなかった。ウインドエアコンは非効率だが値段が比較的安い。ところが、買ってすぐに故障してしまった。それでメーカーに電話して修理を依頼したら、たくさんの故障があったうえ人手が少ないから、今は七月の上旬だが修理に行けるのは八月の末になるというふざけた回答だった。買ったばかりのクーラーが故障して夏が終わりそうなころまで治らないということだ。

 このため奨められて買ったデパートに苦情の電話をかけた。そのメーカーは地方の町工場で、その販売を引き受けたが、故障は多く人手は足りないという小さい会社の問題が最悪の形で露呈したのだ。それでデパートは他の業者に委託して修理の対応をしていた。もうこんなメーカーとは取引しないと怒って。もちろん大企業も元は町工場ということがある。そこから発展するまでが大変なのだが、それが駄目だったわけだ。そのさいデパートの従業員が言った。デパートも、だから安心という時代ではなくなったそうだ。だから零細で力のない業者と組んだりもしてしまう。そういう時代に入った時期であった。

 そんなことを、暑い夏には思い出す。

 
 
 

 ウナギが高いからタレをかけただけの飯が売られていた。

 これにより、せめて雰囲気だけでも味わおうということだが、これと同じように、子供の頃、よくウナギのタレ飯を食べさせられたものだ。ウナギは親が食べて、底に少し残った味の付いた飯を、ありがたく頂けと言われて、ほんとうに感謝して食べたものだった。


 これでは子供の虐待ではないかと言った人がいる。

 けれど、大人なら酷いことだと思うこともできるが、子供には理解できない。児童は性的虐待を受けても意味が解らないというのと同じである。



 こんなタレだけ飯が大学の売店で売られていた。

 なんとも情けないことだが、これも御時勢のためだろう。それでも経済的事情を理解できない学生がいて、ふざけたことだと思うことができないわけだ。それだけ未熟ということだ。

 つまり、若い人ほど自民党支持が多いというのも、これと同じことだろう。自分はウナギを食べておいて、その料金を払わされている人たちはタレがかかった飯だけ食べさせられていて、ウナギを知らないからコケにされているとは気づけずに、食べさせてもらったと感謝しているのだ。

 
 
 
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