- 井上靜
- 1月17日
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高校生の時に後悔したことがある。
なんで、ここの高校は建物が子汚いのかと思ったら、掃除の仕方が無茶苦茶だからだった。例えばどこの学校でも一学期に一度は床にワックスをかけるが、この高校では床の材質に合わない間違った種類のワックスを使用していて、しかもきちんと掃除せずワックスぶちまけるようにするから汚れや塵が染み込んでしまうし、艶出しの乾拭きもしない。
これでは掃除するほど汚くなる。やる気がしなくなる。こんなバカなことしている高校は少なくとも地元にある他の学校には無いだろうし、全国的にも珍しいはずだ。小学校でも中学校でも、正しいやり方をしていた。

これを担任教師に言ったら、なんと言われたか。
「文句を言わずに、言われたことだけ言われたとおりにすればいいの」
これは文句ではない。この学校だけが間違ったことをしているということだ。私立校なら勝手だが、公立校の建物は自治体の財産であるから、それを損ねることをしてはいけないはずだ。
他の生徒が言うには、その担任教師の古文担当の中年の男は、前にいた学校が凄い山の中の田舎だから、今どきこんな建物があるものかという学校でワックスなんて想像を絶するという。だから、やり方が間違っていると言われても意味が解らないのだ。
それも、そうかもしれない。
しかし、言われたことだけ言われたとおりにしろというのは、間違っていても唯々諾々と従うものだという意味であり、他のことでも同じ発想で語っていた。
「お言葉ですが、それでは奴隷がロボットになれということです」
そう言った人がいるけれど、その教師は奴隷とかロボットとか言葉が悪いだけで、そうなれというのは全く正しいと、何かにつけて言っていた。
そういう価値観の人は、そう珍しくはない。これで諦めたことを後悔している。
それなら校長先生に意見を訊きに行くべきだった。
そんな教育方針なのか。そんなのはこの学校だけでないか。そのため公的な財産を損なっても良いのか。間違ったことをして恥ずかしくないのか。
この時の校長は、堅物っぽいけれど進歩的な言質もある人だった。だから話せば解る可能性があった。少なくとも担任教師のような無茶苦茶は言わなかっただろう。あの当時、ある教師が女子生徒に怒って小突いたら、彼女は泣き出して教室を出ていき、校長室に行って「校長先生、○○先生がぶった」と訴えて○○先生が慌てたことがあったけれど、これよりは高い水準の話になるはずだ。
まったく話にならないなら、そこで諦めず他に話を聴いてもらうのは普通のことである。それなのに担任教師の酷い反応に驚いて暗鬱になってしまい諦めたのは間違っていた。これを大いに後悔している。
だから、他のことでも、駄目なら他の人それも影響力のある人に話を聴いてもらう、という原則を忘れないようにしたい。