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無理して持ち家の一戸建ては自己満足

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年12月28日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年12月28日

 これは自分が小さい頃のこと。

 その当時、住んでいたのは東京都内の借家だった。周囲には芸術家や学者などいわゆる文化人が多く住んでいて、お邪魔してピアノを練習させてもらっていた。うちは貧しくて、ピアノを置ける家ではなかった。

 それで近所の家にあるピアノを借りて練習した。気安く使わせてくれた。うちの親の方が恐縮していた。


 その後、建売住宅を購入して引っ越した。

 これでピアノを置けるかというと、小さい家なので厳しかったが、工夫すれば置けなくもなかった。しかし収入からすると無理していたので、住宅ローンの支払いで精一杯だった。また、無理して購入したのだから、場所は当然ながら新興住宅地だった。ピアノを借りられる所など無かった。他のことでも何もなくて、子供の生育と教育にとって、とうてい良い環境ではなかった。

 それで、母親が「孟母三遷の教え」と言うけれど…と後悔を口にしていた。



 また、通勤も大変になった。

 もちろん務め先まで遠くなった。ラッシュアワーの満員電車は実にキツイと父親が言っていた。これで、引っ越して何か良いことがあっただろうか。

 せいぜい、一戸建ての持ち家という自己満足くらいだった。この、持ち家というのは信仰も同然で、それに何もかも奪われてしまうのだから危ない新興宗教団体と同じである。

 

 人口が減っているにしては住宅建設が盛んだ。

 ただ、固定資産税が異常に高くて、売るしかなくなった人の話を、よく聞く。だから本当は供給過剰で投げ売りも同然ではないかと疑っている。そこで子供のいる夫婦が買っているということではないか。

 しかし、持ち家が良いのは歳をとってからではないか。父方の祖母が、夫を亡くして子供が結婚してのち独り暮らしの気ままさが良くなって、独り用のアパートに住んでいたが、もっと良い建物に引っ越したいと思っても、なかなか貸してもらえない。金ならあると言っても歳よりだけだと貸したくないという家主が多いのは昔から変わってない。

 

 とにかく、信仰としての持ち家という呪縛からは逃れたほうが賢明である。

 

 

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