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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年2月13日
  • 読了時間: 2分

 拙宅の近くに整形外科とリハビリテーションの診療所がある。

 まだ開業して間もない。私立大学の医学部と提携しているので、職員のうち医師は卒業生ばかりである。新しいから若い医師が多い。そこに行ったら困ったことがある。



 行った訳とは腕の激痛のためである。

 その痛みは、原因の患部とは違う場所に起こることである。何も損傷が無いけれど、他で出来た痛みの原因となる体内の物質が溜まることで、違う場所が痛むようになる。

 よく整体や鍼灸を利用する人がいるけれど、自宅の近所には無い。そこで整形外科とリハビリテーションはどうかと考えて行った。


 困ったのは、原因が古傷だと医師が指摘したさいのこと。

 そこが明らかに原因であるから、服を脱いで見せろと言われた。恥部ではないから普通は構わないが、それで気が進まないけれど見せたら、案の定の反応だった。主任のベテラン医師も、一緒にいた男女とりまぜの若い新人医師たちも、見てビックリした。そして、この傷は明らかに手術の跡だが、こんな形状は見た事が無い。いったい何なのか。

 そう質問されると正直いって面倒くさい。


 もちろん防衛医大の件である。

 これを詳しく説明すると長くなるし、簡潔に述べても理解できないことが多い。また、医師によっては聞きたくない人がいる。逆に聞きたがる医師もいる。前に某国立大学の医学部では、医師が興味津々であった。前に診療録へ詳しく記述した若い医師がいて、その人は後に別の大学で医学部教授になったが、これを他の医師が読んでフムフムとかホウホウとか言っていたこともある。

 それで、相手によって色々だから面倒くさい。


 ということで、次からは痛いだけなら整体か鍼灸へ行くことにした。

 こちらは、とんでもない医師がいたもんだという話には大喜びで乗ってくる人が多いので、その点では気を使わなくてよいから楽である。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年2月5日
  • 読了時間: 2分

 先日、寝る直前に誤りに気付いた。

 これは「ふと」気付いたということで、寝て起きたら忘れてしまっては困るので、書き留めておいた。そして次の日、書いた書面を訂正した。

 もしも気づかずに提出してしまったら、あとで訂正するのは厄介だった。


 このように寝床で気付いたことは何度もある。

 拙書『防衛医大…』(ホームページ参照)でも、決定的だったことは夜中に「ふと」気になって診療録などを出して確認したことだった。

 これが実際に重要で、弁護士が見逃していたことだった。そして、それまで軽く見ていたけれど、相手方が言い出したので、こちらからも出そうということになった。

 そうしたら影響大だったのだ。この時、同じ事務所の若手弁護士が尋問に立った。彼は後に故郷に帰り地元の弁護士会長になる。



 QRコードも寝床で思いついたらしい。

 また、湯川秀樹博士の中間子理論も寝床で思いついたもので、それでノーベル賞である。その後、他にもノーベル賞の発見をした人が言っていた。良い考えは熟考しても出てこないもので、ボケーっとしている時に閃くものだ。

 たしかに、ニュートンは「あの林檎はとって食べたら美味しいか」と考えていたはずで、「万有引力の法則を発見してやるぞ」と思ってなどいなかったはずだ。


 要するにリラックスしているのが最良ということだろう。

 つい、大事なことに向き合うと緊張してしまったり、深刻なことだから真面目にならないといけないと思ったりするけれど、むしろ落ち着くことの方が大事だ。

 したがって、寝煙草と寝スマホは駄目。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年1月14日
  • 読了時間: 2分

 「落ちている人形を拾うな」と昔から言われている。

 これは、人形には人の意思がこもるから悪い影響がある、ということだ。だから、例えば「流し雛」とは災いを遠ざけようとする「まじない」である。そうでなくても、これは実際にあったことだが、小さい女の子が誰かの落した人形を拾って持ち帰り、親から注意されても気に入って手放そうとせず、そのうち人形に憑かれたように夢中になってしまい、人形を燃やしてお祓いをした、なんて不気味な話もあった。

 そのほか、事故に遭ったり病気にかかったりすると、人形にこもっていた前の持ち主の意識が作用しているのではないかと、ほんとうなのか、こじつけなのか、考え込んでしまうものだ。



 似たようなことは服や宝飾品にもある。

 そして、よほど気に入っているとか、良い思い出があるとか、そうでないものは処分したほうが良いけれど、「箪笥の肥やし」よりは有効利用でリサイクルショップに売ったらいいとは思うものの、買った人が不幸になるかと気になる物だったら、それでいいのかと迷うことがある。

 もちろん、知らずに買って気にせず使ってくれるなら結構である。しかし、それは無いかもしれないという物だってある。


 古紙とともに古布を自治体で回収している。

 これはペットボトルや空き缶と同じ資源ごみである。資源ごみを置き場から持ち去る人がいて、この行為は立派な窃盗である。手放した人は所有権を放棄しているから、回収する自治体の所有物になっている。そして資源の業者から売却益を得てゴミ処理の費用の足しにしている。だから資源ごみを回収する前に置き場から持ち去ることは泥棒であり刑法犯である。

 ここに先日、無用な物とともに不幸な記憶と結びついた古着を出したが、その中にニット製品で買えば何万円もするものが二点混ざっていた。その二点だけ持ち去った人がいたのだ。


 「もったいない」と思ったのだろう。

 また、それ自体は上物なので「得した」と思ったはずだ。しかし、それを資源ごみにするのは、まず自分で持っているのも辛いし、また古着屋に売れるけれど、購入した人が着ても災いに見舞われそうな気がしてならないから、ほぐして再生の道を選んだのだ。

 そうとは知らずに持ち去り得したと思っている人が、自分で身にまとっても、あるいは誰かに譲るなどしても、知らずに気にせず使ってくれていたなら結構である。ほんとうは窃盗なのだけど、所有権は地元自治体に移っているし。

 だが、こちらの災難は半端ではないので、何事もないことを祈っている。何かあったらご愁傷様。

 
 
 
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