top of page

​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年11月27日
  • 読了時間: 2分

 79年に公開された映画『銀河鉄道999』のドルビー版が来年公開されるそうだ。

 あの年、この映画で、邦画で初めてアニメーション映画が、その年一番のヒットとなった。同じころに公開されていた洋画で続編が作られて後々まで知られているのはジョンカーペンター監督・音楽の低予算で大ヒットしたホラー映画『ハロウィン』だった。


 この原作は同級生に教わって前から知っていた。

 その雰囲気とは違った映画に仕上がっていたと感じた。そうした情感は別にして、物語の骨子は同じであった。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に触発されているのだろうが、内容的にはワーグナーの『ニーベルングの指輪』である。


 その銀河鉄道999号が、地球と惑星メーテルを往復するさい、機械化帝国を構成する要員を運んでいて、その役を務める女性メーテルは主人公に近づくため彼の死んだ母親に姿を似せて本当の姿は最後まで不明で、親子のようでいながら主人公とは恋愛感情があり、またメーテルは仲違いしている両親の母親に忠誠のようでいて実は父親に寝返って、最後は帝国の大崩壊となる。全く物語の構造が同じである。

 ただ、メーテルの父親は機械から発せられる声だけで姿を見せず、その代わり同じ原作者の他のSFマンガの主人公キャプテンハーロックが、ダヤン眼帯のうえ肩に黒い鳥を乗せて登場する。原作者の松本零士はワーグナー大好きであることを公言している。


ree

 このあとしばらくしたらテレビで、黒澤明がフランシスコッポラと一緒に試写でヘリコプター空爆の場面を観ているサントリーリザーブのテレビCМが放送され、ここでワーグナーの『ニーベルングの指輪』の『ワルキューレの騎行』が鳴り響き、その映画『地獄の黙示録』が公開される。

 この当時、映画に使われたショルティ指揮ウィーンフィル演奏『ニーベルングの指輪』初のステレオ全曲録音が30枚組のLPレコードで発売されていた。後にCD化で半分の枚数になり、今ではアダプターを外せば小指の上に乗るSDカードにも収まるようになったのだった。


 かつて『銀河鉄道999』を観た人が、ぜひ来年観たいと言っている。

 それでまた感動するかどうか。どんなに楽しくても、懐かしいとか思い出を辿るとかいうことは感動とは違う。初めて見る人は、どう思うだろうか。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年11月25日
  • 読了時間: 3分

 映画の衣装デザインで知られるワダエミが死去した。

 インタビューなど彼女の話によると、かつてデザインした映画の衣装としてはSF映画『ノストラダムスの大予言』があるけれど、それは破滅願望から海上に乗り出す人たちの衣装で、そうした特殊な場面の特殊な衣装ではなく、登場人物たちの普段の衣装だと、時代劇でもなければ映画のために作られた専用の衣装というのは、なかなか無いらしい。

 例えば低予算でヒットした伊丹十三監督の『お葬式』のように一般中流家庭の話なら、登場人物たちの着ているものが普通の市販されている服装でも大きな違和感がないけれど、そうでなければ見ていて不自然で興ざめなのだが、そこまで気を使う映画監督は少なく、彼女の夫の和田勉もテレビドラマの演出家だったこともあってか、無頓着だと彼女は言っていた。

 

 そして和田勉と違い黒澤明は衣装のことまで気を使うとワダエミは言っていた。

 もちろんテレビドラマは予算のことがあるから、例えば時代劇で絹製のはずだけどアセテートサテンだと観てすぐ判るなどひどいものだが、映画でも決して日本では充実してはいないという。これがハリウッド映画だとオリジナル衣装のデザインは当たり前のようにやっているし、香港映画でも「服装設計師」という肩書で担当者がいる。

 ただその当時フランシス-コッポラが言っていたが、映画専用に衣装をデザインして縫製のうえで撮影することは、かつての黄金期のハリウッドでは当たり前のことだったのに、それが次第に出来なくなってきて、いつもそうしている監督は今ではデビット-リーンとスタンリー-キューブリックくらいだと指摘していた。


ree

 黒澤明監督『乱』の時、ワダエミは呉服屋に見積もらせたら酷いボッタクリとしか言いようがない高額な費用をふっかけられたそうだ。

 いかにもありそうなことだ。そこで、染めて絞ってという作業から全部映画のスタッフの自前で行い、黒澤明も絞る作業を手伝った。だから豪華な衣装にしては安く仕上がったが、それでも一応の費用がかかる。そのときフランスの製作者が、日本での支払いに金を出そうとしたところ、貨幣の外国持ち出し規制にひっかかってしまった。ミッテラン大統領の政権が仏国経済への影響から規制を強化していた。そして外国映画のためということに最初は反感を持たれていたが、黒澤明監督の映画ならと認められ、黒澤明は真っ先にワダエミに連絡した。彼女は支払いのため自宅を抵当に入れていたから。黒澤明から電話で「心配をかけてしまったが、解決した」と言われ、ワダエミは涙ぐんだと言う。

 そしてアカデミー賞を受けたが、これにより何が変わったかというと、外国からオペラの衣装を頼まれるようになったと言う。


 これらは時代劇やSF映画の話だが、現代の普通の衣装だと、どうなのか。

 やはり、ボッタクリがあるから自前で作ったほうがいいし、タイアップでは宣伝のためという制約がある。それでオリジナルの衣装というのがベストだろうが、今の普通の社会で着ている服にまで、その必要があるのかなあと思ったことがある。

 例えば法廷ドラマで、現代の話であるがハリウッド映画ではオリジナル衣装であったりする。黒澤明も好きだという作風のシドニー-ルメッツ監督に法廷もの『評決』があるけれど、この映画も衣装はすべてオリジナルだった。最初は、現代の話で衣装なんて既製品でいいではないかと思ったが、よく観ていると、大病院の経営者と医師や雇われた「ヤリ手」弁護士たち、被害に遭った患者の家族とその弁護士など庶民的な人たちなど、裁判に出てくる人たちの属する社会の階層が衣装できっちり表現されている。

 こういうことは、日本でも裁判所で観ていると判ることだが、こういうのが日本の映画ではどうも無関心・無頓着という感じが、どうしてもしてしまう。


 そんなことも、訃報によって思い出したのだった。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年11月20日
  • 読了時間: 3分

 先日、高校の同級生が卒業の翌年に交通事故で死んだ思い出を話題にした。

やはり同じ高校の同級生で凄くバカな奴と卒業後にも付き合ったことが原因だった。バカ同級生に誘われて、そいつの運転する自動車に乗ったら無謀運転で事故になった。

 そういう話題だった。


 『スタンドバイミー』というハリウッド映画が80年代後半にヒットした。

 これはスチーブン-キングの小説『秋の目覚め』が原作で、映画の主題歌ではなく引用されている往年のヒット曲から取って付けて同じ題名になっている。作者自身モデルの主人公が小説家になって少年時代を回想するのは原作も映画化も同じだけど、映画では死ななかった同級生が原作では死んでいることが異なっている。自動車に乗って暴走と衝突という悲惨なものだった。

 もともと怖い小説で知られる作者の怖い話を映画化するにあたり、思い出話であることを強調しながら怖い部分を和らげているということだろう。

 この映画を観て小説を読んで、死んだ同級生のことを連想したものだった。


ree

 のちにスチーブン-キングは、テレビの取材を受けたさい、友達と趣味でやっているバンドを取り上げられると、多分わざと「♪ダーリン、ダーリン、スタンド~バイミ~」と、仲間の伴奏でギター弾きながら唄って見せていた。

 そのさい、スチーブン-キングは、アメリカの同時代の小説家について問われると、いちおうディーン-クーンツの小説はみんな読んでいると言っていた。ディーン-クーンツは映画化でいつも原作と違うのはキングと同じだが、キングは今時「呪い」なんて、という話を現代アメリカ社会とともに丹念に描くから真に「モダンホラー」だけど、クーンツは「モダンホラー」と称していてもネタはSFである。SFは辞めたのに「SF作家ディーン-クーンツ」と言われることがありガッカリと言っていたけれど、昔の色眼鏡ではなく相変わらずだから言われるのではないか。


 ところで、映画『スタンドバイミー』ではなく原作の方で、主人公は大人になってから同じ学校だった人の旧式自動車にステッカーが貼ってあるのをたまたま見て、そこに「今度の選挙ではレーカン・ブッシュを」と書いてあったと言う下りがある。

 まるで、古い自動車に乗っている田舎の庶民だけど共和党を支持しているのか、みたいな感じだった。

 

 それで久しぶりに思いだしたことが、まだある。

 やはり高校の同級生で、選挙のハガキが来たと言ってきた人がいる。それは知り合いに頼まれて書いたものだったが、ちゃんと届いていることに驚いた。その女性は、政党に属さず選挙に立候補し、落選したのだった。選挙に立候補するためと会社を辞めていたから失業した。そういう場合は休職するものだ。選挙に立候補するならば勤務先は休職も復職も拒否できない。なのに、絶対に当選する自信があったらしい。

 ところが、「オルグ」したという人数を遥かに下回る得票数で落選だった。周りの人たちがデタラメだったのが原因であろう。それを見ていたので、頼まれてせっかく書いたハガキも届かないから無駄だろうと思っていた。だから届いたと言う同級生がいたので驚いたのだった。まあ、選挙のハガキは公営だから、それくらいは普通にやったのだろう。これを同級生に言うと「そんな人を応援するなんてバカじゃないの」と言われてしまった。

 

 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page