ワダエミ死去の報と映画衣装の役割考
- 井上靜

- 2021年11月25日
- 読了時間: 3分
映画の衣装デザインで知られるワダエミが死去した。
インタビューなど彼女の話によると、かつてデザインした映画の衣装としてはSF映画『ノストラダムスの大予言』があるけれど、それは破滅願望から海上に乗り出す人たちの衣装で、そうした特殊な場面の特殊な衣装ではなく、登場人物たちの普段の衣装だと、時代劇でもなければ映画のために作られた専用の衣装というのは、なかなか無いらしい。
例えば低予算でヒットした伊丹十三監督の『お葬式』のように一般中流家庭の話なら、登場人物たちの着ているものが普通の市販されている服装でも大きな違和感がないけれど、そうでなければ見ていて不自然で興ざめなのだが、そこまで気を使う映画監督は少なく、彼女の夫の和田勉もテレビドラマの演出家だったこともあってか、無頓着だと彼女は言っていた。
そして和田勉と違い黒澤明は衣装のことまで気を使うとワダエミは言っていた。
もちろんテレビドラマは予算のことがあるから、例えば時代劇で絹製のはずだけどアセテートサテンだと観てすぐ判るなどひどいものだが、映画でも決して日本では充実してはいないという。これがハリウッド映画だとオリジナル衣装のデザインは当たり前のようにやっているし、香港映画でも「服装設計師」という肩書で担当者がいる。
ただその当時フランシス-コッポラが言っていたが、映画専用に衣装をデザインして縫製のうえで撮影することは、かつての黄金期のハリウッドでは当たり前のことだったのに、それが次第に出来なくなってきて、いつもそうしている監督は今ではデビット-リーンとスタンリー-キューブリックくらいだと指摘していた。

黒澤明監督『乱』の時、ワダエミは呉服屋に見積もらせたら酷いボッタクリとしか言いようがない高額な費用をふっかけられたそうだ。
いかにもありそうなことだ。そこで、染めて絞ってという作業から全部映画のスタッフの自前で行い、黒澤明も絞る作業を手伝った。だから豪華な衣装にしては安く仕上がったが、それでも一応の費用がかかる。そのときフランスの製作者が、日本での支払いに金を出そうとしたところ、貨幣の外国持ち出し規制にひっかかってしまった。ミッテラン大統領の政権が仏国経済への影響から規制を強化していた。そして外国映画のためということに最初は反感を持たれていたが、黒澤明監督の映画ならと認められ、黒澤明は真っ先にワダエミに連絡した。彼女は支払いのため自宅を抵当に入れていたから。黒澤明から電話で「心配をかけてしまったが、解決した」と言われ、ワダエミは涙ぐんだと言う。
そしてアカデミー賞を受けたが、これにより何が変わったかというと、外国からオペラの衣装を頼まれるようになったと言う。
これらは時代劇やSF映画の話だが、現代の普通の衣装だと、どうなのか。
やはり、ボッタクリがあるから自前で作ったほうがいいし、タイアップでは宣伝のためという制約がある。それでオリジナルの衣装というのがベストだろうが、今の普通の社会で着ている服にまで、その必要があるのかなあと思ったことがある。
例えば法廷ドラマで、現代の話であるがハリウッド映画ではオリジナル衣装であったりする。黒澤明も好きだという作風のシドニー-ルメッツ監督に法廷もの『評決』があるけれど、この映画も衣装はすべてオリジナルだった。最初は、現代の話で衣装なんて既製品でいいではないかと思ったが、よく観ていると、大病院の経営者と医師や雇われた「ヤリ手」弁護士たち、被害に遭った患者の家族とその弁護士など庶民的な人たちなど、裁判に出てくる人たちの属する社会の階層が衣装できっちり表現されている。
こういうことは、日本でも裁判所で観ていると判ることだが、こういうのが日本の映画ではどうも無関心・無頓着という感じが、どうしてもしてしまう。
そんなことも、訃報によって思い出したのだった。



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