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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年2月23日
  • 読了時間: 2分

 歌手で俳優の西郷輝彦さんが癌で死去したと報じられた。

 かつて建国記念の日で「天皇陛下万歳」の音頭をとっていたが、芸能人はシガラミでやらされることがあるし、後に検察の不正に関して政治的な立場と無関係に問題となったさいのツイッターデモには賛同して参加してもいた。


 西郷輝彦と天皇陛下万歳といえば映画『大日本帝国』が思い出される。

 訃報のさい俳優として代表的な映画出演が『大日本帝国』だという記事もあった。これは建国記念の日の万歳と同時期であった。この映画、内容からすると題名は『大日本帝国の崩壊』が相応しい。ここで西郷輝彦は敗戦を受容れない日本兵役だった。「無条件降伏は敵に寝返った者が勝手にしたことだ。大元帥閣下は援軍を率いて助けに来て下さるはず」と信じて言うが、その大元帥閣下は保身のため東條英機に罪を被せていた。

 その上官役が篠田三郎で、戦地での蛮行を止められなかった罪で銃殺刑台に上がり「天皇陛下万歳」と言って死ぬ前に「天皇陛下、お先に参ります」と叫ぶ。後から天皇も責任をとって死ぬべきと言うセリフである。まったく笠原和夫の脚本が凄過ぎる。


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 それなのに嘘を報じたのが朝日新聞である。

 この映画が公開された当時、平和主義者のクリスチャンも戦争に行くと「天皇陛下万歳」と叫んで死ぬから軍国主義の礼賛であるとし、天皇の戦争責任を問題にしていることを隠蔽したのだ。

 ここまでして、戦後も一貫して天皇を擁護してきた朝日新聞ということである。風流夢譚事件で右翼のテロを煽ったのは天声人語であるし、社主の村山家の村山藤子夫人が宮内庁職員から暴力を受けて骨折の重傷を負ったのに記事にできず、宮内庁が相手だと酷い目に遭わされても文句が言えないと週刊新潮から嫌味調で書かれたし、戦争のことで本多勝一記者が記事で天皇にふれると、他の出版社で発行されたものが朝日文庫になると勝手に削除されていたと言っていた。


 そういう体質の新聞である。

 右翼のみなさん、朝日新聞を購読して応援しないといけませんよ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年2月22日
  • 読了時間: 2分

 黒澤明監督の映画『八月の狂詩曲』に被爆者団体の人たちが出演していた。

これは長崎で原爆の犠牲者を追悼するため献花する場面でのこと。献花する人たちは実際の被爆者たちだった。エキストラというより一種のカメオ出演である。


 周防正行監督の映画『それでもボクはやってない』には、人権擁護運動団体の人たちが出ていた。

 これはカメオ出演ではなくエキストラであった。映画の内容はコメディーだが、実際にあった冤罪事件を基にしていて社会派の要素があったので、共感する人たちが人件費の節約に協力したのだ。この御礼ということで、監督の舞台挨拶がある試写会に招待である。だから自分もこの映画を試写会で観たのだった。


 ところが、東宝は「超大作」と称して製作する娯楽映画で無報酬のエキストラを公募していた。

 いくら何でもギャラを支払わないなんてどう考えてもおかしいし、御礼として役者などと集合で記念撮影くらいあればまだしも、そういうことは予め禁じることを告知している。しかし本人確認などは必要と言う。独立(インディーズ)なら低予算だから仕方ないと言いうるが、東宝のような大手製作会社が関与しているなら、その他大勢のエキストラを仕事として扱うべきである。そう言って批判する映画ファンがいた。


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 これには自分も驚いた。

 かつて親族がらみで映画製作に縁があったから知っているが、もともと映画やテレビの撮影エキストラは、それを手配する会社および提携する芸能プロやモデルクラブなどから動員する。

 そして、ただ漠然としたように映るだけでも容姿端麗であって欲しいならモデルクラブに声をかけるなどするからみんなプロであるし、その他大勢とか後方の遠景である人でも撮影に関しての講習は必ず受けて所属している。だから本人確認なんて無用だし、現場でのマナーとかいちいち注意する必要などない。そしてギャラは必ず支払うものだ。


 それなのにこれは、なんなのか。

 そこまで日本の映画製作は不景気になってしまったのだろうか。それとも非正規雇用や低賃金労働が横行して、人を使用する規範が崩壊して、その影響だろうか。



 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年2月17日
  • 読了時間: 2分

 今さらだが『ショア』という映画について。

 もともと大虐殺を「ホロコースト」と呼ぶことには不適切さの指摘があった。それで「ショア」という場合がある。


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 この映画のランズマン監督は『シンドラーのリスト』を御涙頂戴だと批判していた。

 このハリウッド映画は、スピルバーグ監督の賞狙いだと言われた。アクションやSFでヒットしたあとシリアスもので賞を狙い『カラーパープル』を撮ったものの10部門くらいアカデミー賞の候補になったのに受賞ナシだった。それで「ユダヤ人のたまり場」といわるハリウッドだから今度こそという製作動機だったのではないかという見方もあった。これはオスギも言っていた。しかし真面目な動機であったことはランズマンも認めていた。


 映画の最後で主人公をイスラエルは正義の人と認定したと説明される。

 スピルバーグ監督の親イスラエルの表明であると言うランズマン監督こそ親イスラエルそれも熱烈なのだが、自分はシオニストだと思われている、って言っていたが違うのだろうか。

 またハリウッドのリベラル派たちも、ナチスを批判しながら国際問題では親イスラエルでタカ派になるという現実は既に日本の映画評論家でも山田和夫氏などは指摘していたが、それなのにリベラルだから正義だと単純に鵜呑みにして疑問を抱かない人が、日本では映画ファンだけでなく映画解説者の町山智浩氏まで、またジャーナリストにもいるので、自分の頭で判断できない人がいかに多いかということだ。

 
 
 
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