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​炬火 Die Fackel 

 『となりのトトロ』で姉妹の父が論文を書いているらしい場面がある。

 その机の上に置いてある本は『考古学』の文字が見える。くさかべ氏は大学に勤めていて、まだ若くて講師らしい。その給料からすると、妻子を養うのは大変かもしれないが、最初に越してきたのは田舎にあって古いとはいえ一戸建てである。これを非現実的だと受け取る人もいる。


 姉妹のお母さんは病気で入院している。

 その会話に出てくる症状からすると結核と思われる。また、入院しているのが「七国山病院」である。東京都の埼玉県と境目となる清瀬から八国山の界隈には、昔から結核療養所があった。

 かつて最も大きな総合病院は旧結核療養所だった。だから大きいだけで専門知識のある医師がおらず、大学病院に比べて御粗末であったことは、拙書『防衛医大…』での述べたとおりだ。

 それはともかく、この映画の監督は近くに住んでいるし、『となりのトトロ』の原型といわれる『パンダコパンダ』の舞台も近くで、駅に「秋津」と表示があるから、この界隈がモデルであることは間違いないだろう。


 結核療養所は後の『風立ちぬ』にも出てくる。

 これは劇中で「山」と言われていて、ゾルゲみたいなドイツ人スパイがカストルプという名だから、結核療養所を舞台にしたトーマスマンの小説『魔の山』の主人公から取って付けたことは明らかだ。

 くさかべ氏は、結核に感染した妻が入院した近くに転居したと思われるが、便の少ないバスを利用していて、これが猫バスだと猛スピードだから、距離は不明である。このため通勤や見舞いで便利かどうかは判らない。

 

 後の『千と千尋の神隠し』は、話の導入が最初の予定と異なっている。

この映画を観ると、引っ越しの途中で異次元世界に迷い込むが、元々は転居した家が異次元世界に通じる場所にあるという話だった。そうとは知らずに格安物件で買い得だと思ってしまい、住んでいたらオバケが出て驚き、やけに値が安かった訳を知る。これでは前置きが長くなりすぎるから変えたということらしい。


 もともと、だいたい格安物件は訳あり商品である。

 そして現実には、殺人や自殺があって、それだけでも気持ち悪いが、さらに幽霊が出るのではないかと怖くなるので、買い手がつかず安いのだ。こういうことは世界各地にあり、それをモデルにしたハリウッド映画もある。それで逆に幽霊が出ると売り出して、興味を持った人が買ったけれど出ないので金返せということもあった。


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 「おまえんち、おっ化け屋敷っ」と近所の少年がからかう。

 これに娘は怒るが、お父さんは「お化け屋敷に住むのが夢だった」と言う。これは変わっている父親ということだが、それで安いから買ったとも考えられる。また、伝染病や精神病が専門の病院の近くは偏見から避ける人がいて安くなるものだ。

 東京都世田谷区の都立松沢病院は精神科が中心で、そこに関連しての総合病院となっている。このため昔は周囲に住みたがる人が少なく、それで穴場だからと大宅壮一が居を構えたのだった。だから松沢病院の向かい側に大宅壮一文庫がある。


 大宅壮一はインテリだから偏見など気にしなかった。

 それと同じで、くさかべ氏も結核療養所の近くだろうと幽霊が出ようと、まだ講師風情だがインテリなので気にせず安いからと越してきて、オバケが出た出たで面白いと考えたのかもしれない。 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年8月28日
  • 読了時間: 3分

 映画『クライマーズハイ』は85年夏の日航機墜落事故を追う架空の地方紙の話。

 この映画は監督の腕がいいので見応えある出来だが、この監督にとっていつものことだが、長い物には巻かれろという態度である。


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 例えば、墜落事故のさいの自衛隊の怠慢または不手際について。

 これに対する自衛隊内部と外部の双方からの批判を隠蔽するため、あの当時、現場で働く隊員をことさら強調したうえ、取材に来たマスコミが邪魔だったという言い訳の宣伝がされていて、これがかなり醜く汚かった。これに呆れて辞職した自衛官もいたほどだった。だが、これらの事実が一切描かれていない。

 そのうえで、主人公が頑張った記者に報いるために、その記者が目撃した自衛官の逸話を一面トップにしようとするが反対する上司もいる、という場面では上司が「自衛隊嫌い」だからというセリフが発せられ、どう自衛隊に対して批判的なのか具体的には全く出てこなくて不明である。もちろん、この上司は全体的に感じ悪い人に描かれている。


 この年の八月十五日に、時の中曾根首相が靖国神社の公式参拝をした。

 まだ野党だった公明党は宗教団体が支持母体であるから特に反対していることもセリフに出てきた。この扱いをどうするのか。連日の墜落事故報道を差し置いて靖国神社参拝の記事にするべきかで、編集方針をめぐって激論になる。

 しかし、今になると、中曾根首相の靖国神社参拝は、統一協会との密接な関係を誤魔化すためのものであったとしか思えない。中曾根もと首相は、いったん強行した参拝を、すぐに取りやめた。中国など周辺諸国から批判があったことなど色々と考慮した結果だと言うが、そんなことは全て最初から解っていたはずだから。後に中曾根もと首相は、芸能人が参加した統一協会の合同結婚式に公然と祝電を送って驚かれたが、それくらい親密だったのだ。


 『YASUKUNI』という記録映画があった。

 これは外国人の観点で靖国神社をめぐり様々な人々を取材したものだが、このうち、靖国神社へ参拝しに来た人が、小泉純一郎首相の靖国神社参拝について、騙されてはいけないと言う場面がある。小泉首相の政策は売国的で、それを誤魔化すために靖国神社参拝しているのだ。本心から参拝している総理大臣なら、日本の資産を外資に渡してしまうなんて、できないはずだ。

 これは一理ある指摘だったが、すると小泉首相と中曾根首相は同類の政策を推進していたから、どちらもその誤魔化しのためと考えることもできる。けれど、それ以上に中曾根首相の場合は統一協会のことがあって、それを誤魔化すためと、韓国の宗教団体と仲良しなことで後ろめたい気持ちがあったのではないか。


 これらは、今だから簡単に考えられるが、85年の段階では解りにくかったのだ。

 
 
 

 クリントイーストウッドは監督として『硫黄島からの手紙』と『父親たちの星条旗』を発表していて、同じ戦場を日米双方から描き、これがかなり公平であることは大いに評価できる。

 さらに彼は『リチャードジュエル』を監督している。


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 題名のリチャードジュエルとは2007年に死去した実在の警官である。

 地方の警察署に勤務していた一警官の話が映画になるのは、彼が警官になる前に、オリンピック会場で爆弾事件があり、これに巻き込まれたからだ。1996年のアトランタオリンピックで警備員として働いていた彼は、会場で怪しい物を発見して近くの観客らを避難させ、爆発の被害を最小に食い止めた。

 このことで彼は英雄と称賛されたが、つづいてFBIが警備員の自作自演を疑いはじめ、これを聞きつけた記者がスクープとするのだが、後にその記者は、警備員が避難誘導している時に犯人から爆破予告の電話があって、単独犯なのだから警備員が犯人ということはありえないと気付くけれど、その時はすでに各マスコミが大騒ぎして、ひっこみがつかないFBIは警備員を強引に犯人に仕立てようとする。

 しかし、証拠から犯人とは考えられないという結論となり、後に真犯人が判明のうえ自供もした。このとき彼は念願の警察官となって地方の警察署に勤務していた。ただ、彼は心臓発作で急死し、享年44歳だった。映画の劇中では、太っているのでジャンクフードを止めろと注意されていた。


 リチャードジュエル氏が、潔白と判明して警察官になれたことは日本でも知られている。

 河野義之氏が渡米して対談する様子がテレビで放送されるなど、日本でも報道があったからだ。河野氏とジュエル氏は、オリンピックがらみで警察が解決を焦り第一通報者を犯人に仕立てようとしたことで共通している。長野オリンピックの直前に起きた松本サリン事件で、第一通報者である河野氏は、自らも毒物の被害に遭っていた。

 もともと公安がオウム真理教に目を付けて調べていたのだが、そうとは知らず地元の警察署が強引に河野氏を犯人に仕立てようとした。このさいマスコミの中に警察が流す誤った情報を無批判に報じたところがあったため、河野氏は自宅に投石など嫌がらせを受け、警察とマスコミの両方から被害に遭う。後に真犯人が判るまで酷い状態であった。

 そういうことで、河野氏とジュエル氏にはいくつもの共通点があった。後に『帝銀事件-死刑囚』など社会派の作品がある熊井啓監督が、河野氏を主人公のモデルにして『日本の黒い夏-冤罪』を撮っている。


 これで思い出して気の毒なのが三浦和義氏である。

 やはりオリンピックがらみで、ロサンゼルスオリンピックを前にして、強盗の被害者が実は自作自演の犯人だと報道された。逆にマスコミへ追従した警察が彼を逮捕し、これは警察の担当者が後に政界入りするため、売名のため有名な事件を扱った実績としたがっていたからだ、という疑いがもたれていた。裁判では無罪となったが、その後サイパンで不可解な逮捕と、拘置中に不可解な死を遂げ、自殺とされたが、殺害されたのではないかと家族は疑い続けていた。


 ところが『三浦和義事件』という映画ができたけれど、これが酷い出来であった。

 主人公に扮する高知東生らは熱演していたが、もっとも肝心な事件の真相についての追及がされておらず、法廷で論告求刑を検察官ではなく裁判官が読んでいたり、一審と二審の裁判官を同じ人が演じていたり、いくら低予算でも一緒くたにしてはいけないことをしていて、他にもツッコミどころ満載でエドウッドの映画と同じくみんなでツッコミ入れながら観るのが相応しいほどだった。


 ジュエル氏と河野氏は、それぞれモデルにした映画が名監督によって撮られていたが、比して気の毒な三浦氏であった。



 


 
 
 
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