- 井上靜

- 2022年11月7日
- 読了時間: 4分
更新日:2022年11月7日
過日、米国TVジャーナリストのジェームズ=ゴードン・ミーク失踪の話題を取り上げた。
それは彼が半年前に忽然と姿を消し、彼が過去書いた記事や著作がすべて出版社Webから削除されたということだった。彼は昔から戦争関連取材で追随を許さなかったが、ウクライナにおける米軍の極秘情報に接近したため、FBIなどに拘束されたのではと憶測されている。
そして、ここから思い出すのはカンヌ映画祭グランプリ映画『ミッシング』のモデルになったチャールズ=ホーマン失踪事件であるという話題だった。チリのピノチェト将軍による左派政権転覆軍事クーデターと、それに迫った米国人の虐殺と、そこに見え隠れするアメリカ当局の関与。映画は実話に基づいたポリティカルサスペンスで、音楽は監督と同様にギリシャ出身のヴァンゲリスだから、不安を煽る場面で『ブレードランナー』を思い出させる響きが一部にある。ちなみに同監督の代表作『Z』ではギリシャのテオドギラスだった。どちらもクセナキスらと同様に軍事政権下のギリシャで苦悩した音楽家である。
この映画化は実話に基づいているが一部は仮名であると最初のテロップで説明がある。
また、映画では行方不明の息子を探す嫁と舅の世代の隔たりが強調されていて、このジェネレーションギャップが映画の脚色として面白いというのが公開当時に評価されていた。舅役を演じたジャック=レモンも、それがドラマとして秀逸だったと言っていた。アメリカを批判する内容なので出演を非難する手紙も来たそうだが。
そんなドラマだから、軍政下の緊迫した雰囲気を描きながらも、息子の嫁が夫との思い出を説明するさい性生活についても奔放に語るから舅は困って「そんな話は訊いてない」と嫌悪感とともに言うなどの場面があるのだ。この舅は保守的な価値観の持主であるから。
ところがDVDの翻訳に一部で不適切な部分がある。
それまでの話の進行中、失踪した息子は当局の関係者が語る話から軍事政権の背後にアメリカの工作があったらしいことに気づいたと解り、さらにアメリカの外交官らも知っていたうえ口封じで殺害を容認したとしか思えないことが態度から仄めかされる。そういうことは「行間」を読めば判るのだが、ファンや批評家のサイトでは容易に解る話とされているのに対して、DVDの通販サイトのレビューでは理解できない人たちがいて滑稽であった。
それはともかく、最後にジャック=レモンが息子は殺害されたと確信すると、危険に近づいた方が悪いという政府の当局の人たちに対し、責任を追及するため裁判を起こすつもりだと父は言い「それは貴方の勝手だが」「いや、私の権利だ。そんな国で暮らしていることを神に感謝している」と啖呵を切るのに、DVDでは字幕スーパーでも吹替でも無くなっていた。ただ「あんたらをのさばらせておくほどアメリカは腐った国ではないはずだ」になっていた。

この父親は実業家として成功していて意識が保守的で信心深い。
だから、息子とその妻が当時のヒッピー文化的な価値観に傾倒していることを苦々しく思っていた。そして信仰する教会の施設が出てくる場面もある。また、若造たちが理想主義に走って親と国の恩を忘れていると批判していた。
しかし、ひどい国の仕打ちがあった。当時のニクソン大統領とキッシンジャー長官のコンビは、そんなことばかりしていたのだ。それでも、神には感謝している。なぜならこの国の良いところは政府の過ちを市民が追及できることで、そんな国で暮らせるのは神の思し召しというわけだ。
ただ、裁判で追及したものの、肝心な証拠は国家機密とされ、証拠が無いからと訴訟は請求棄却されてしまうと最後にナレーションで説明される。
だから、ここのセリフは大切だし、かつてテレビで放送されたさい解説の水野晴郎も印象的なセリフだと指摘していた。それをDVDの翻訳担当は解らなかったのだろう。
ついでに、ピノチェト将軍と軍事政権の、相手が反体制であろうとなかろうと見境なく手あたり次第に大虐殺などの残酷さは、この映画でも死体累々など場面などで描かれていたし、他にドキュメンタリー映画『戒厳令下チリ潜入記』という命がけで撮られた映画もあったが、そのほかにも想像を絶する残虐な拷問や惨殺があったことが明らかとなっている。
ところが、このピノチェト将軍がそれを正当化する本『私の決断』を産経新聞社(当時サンケイ新聞社)が邦訳を出版し、また産経の「正論文化人」である曾野綾子がピノチェト将軍を公然と支持していたと言われていることも付記しておく。



