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​炬火 Die Fackel 

更新日:2023年1月5日

 おそらく『硫黄島からの手紙』『母と暮らせば』があったからだろう。

 二宮和也が主演でシベリア抑留の映画が製作されたが、ここで話題とするのは、この映画そのものについての話ではない。


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 かつて戦争といえば南方戦線の悲劇もあった。二度の映画化された大岡昇平の小説『野火』と、その責任を戦後に執念で追及する記録映画『ゆきゆきて神軍』でも知られている。


 まえに、南方戦線に兵士として行った体験者と話した。

 この人はもう故人かもしれない。あの当時でもかなりの高齢だったから。その後は会っていない。

 ただ、その人は戦争で悲惨な目に遭った体験について、自分が損したとしか考えていなかった。そして、シベリア抑留に比べたら少しはマシだったはずだと言う。詳しいことは知らないで、それを言っている。

 これだから、戦争責任について何も考えていない。


 『ゆきゆきて神軍』では、主人公の老人が、軍隊時代の同僚に戦争責任の問題を話しても無関心だから怒ってしまう場面がある。無念の死を遂げた大勢の同僚たち対して、生き残った者として何も感じないのか、と問うと、「だから靖国神社に行って」と言い訳のようにするので「あんなもので、英霊たちが本当に浮かばれると思っているのか」と。


 『蟻の兵隊』という記録映画は中国戦線での責任を裁判で追及する老人が主人公だが、靖国神社に行ったさい例の小野田もと少尉が歴史修正主義者団体の人たちと一緒に来ているのを見て「小野田さん、侵略戦争美化ですか」と声をかける。小野田もと少尉というか脱走兵というかの人はブチキレ、周りに侍っていた歴史修正主義者のひとたちが「侵略戦争じゃない」「日本は正しかった」と口々に言い返してくる。みんな戦争を知らない世代であることは見た目の年齢から明らか。そんな人たちに、戦争を知っている世代として協力することでアイドルとなり寂しい老人が注目されて、嬉しそうな小野田さんであった。

 

 このように、自分が会って話したり記録映画を観たりで思った。

 それは、戦争体験が在っても同じではないという歴然とした事実だった。

 
 
 

 ヘミングウェイ『海流のなかの島々』を読んでいる。

 これは図書館が保管期限切れで廃棄するけれどボロボロとはいえ読めるから放出した本である。ハードカバーで上下それぞれ800円という今の半値以下の時代のものだ。高校生のときに書店で文庫本があるのを見かけて読もうかと思いながら当時は試験が気になって読まずにいたことを思い出し、いい機会だからと読んでいる。


 やはり古い本の古い訳だ。

 鮫が出て来て、ハンマーシャークをシュモクザメではなく撞木鮫と漢字で記載しているのは古いだけだが、タイガーシャークを虎鮫にしている。学名はイタチ鮫。この誤訳『ジョーズ』の字幕スーパーで指摘されてから無くなった。


 映画化されたが興業は振るわなかった。

 これはジョージCスコット主演、フランクリンJシャフナー監督、ジェリーゴールドスミス音楽など同時期のアカデミー賞作品『パットン大戦車軍団』と同じであった。

 かつて映画をテレビで観たから、小説を読んでいても音楽が頭の中に流れる。ゴールドスミスとしては自分の映画音楽としては最も良くできたものだと言う。一般的には『パットン大戦車軍団』が最高傑作と言われているが。

 波の描写の音楽はブリテンの『ピーター・グライムズ』を意識していると思う。


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 原作を読み、映画は少し違った脚色をしていると知った。

 未発表だったのは作者と主人公とが重なる部分が多いからで、だから映画でスコットはヘミングウェイを意識した風貌を作って演じているが、この内容から公表を躊躇ったのかもしれないと言われてきた。

 また、完結はしているが、もう少し手を入れる余地があるので未完成であり、しかしヘミングウェイ全作品の集大成といってもいい内容であると判った。


 『海流のなかの島々』で前半に『老人と海』と重なる挿話がある。

 主人公の次男の少年が、巨大カジキを釣り竿で引掛け、プロの漁師でも投げ出す相手と五時間も格闘する。この場面の音楽がゴールドスミスとしては上手くできたと思っているようで、映画音楽のコンサートで来日したさいも演奏していた。

 巨大カジキと格闘するさい少年は、相手と自分は釣り糸でつながって引っ張り合っているが、相手は自分より何倍も大きく、けれど、自分は竿を掴み相手の喉に針を刺しているのであり、だからこうして闘っているのだ、と言う。

 これには、権力と闘うのと共通する教訓を感じた。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年12月6日
  • 読了時間: 1分

 映画監督の訃報が相次いで報じられた。

 かつて機会あって周防正行監督に、なぜ日本映画監督協会に入っていないのかと訊いたら「崔洋一が嫌いだから」とキッパリ言った。

 その前に大島渚が理事長をしていた当時など、もっとキッパリ言う監督がいた。こういうのは珍しいことではない。ただ大島渚は徒党を組むからでもある。これよくは知られた話である。


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 かつて崔洋一監督の映画で大杉漣の演技が評判だった。

 のちに大杉漣は『シンゴジラ』で首相を演じていた。この映画について、怪獣映画なのに政治映画にして何が面白いのかと言う人もいた。けれど、これは大森一樹監督の「平成ゴジラ」の反動だと言われている。

 かつて84年に、久しぶりにシリアスに描こうと『ゴジラ』(のちに『ゴジラ84年版』と呼ばれる)が作られたが、そのあと大森一樹監督になって超能力とか時間旅行とかSFの中でも大時代的なネタを取り入れたので、これに退いてしまった観客も少なくなかった。

 そこで、政府の対応を中心にして、なるべく現実的に描くようにしたのだろう。


 そんなことを思った、映画監督の連続訃報であった。

 
 
 
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