- 井上靜

- 2023年1月4日
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更新日:2023年1月5日
おそらく『硫黄島からの手紙』『母と暮らせば』があったからだろう。
二宮和也が主演でシベリア抑留の映画が製作されたが、ここで話題とするのは、この映画そのものについての話ではない。

かつて戦争といえば南方戦線の悲劇もあった。二度の映画化された大岡昇平の小説『野火』と、その責任を戦後に執念で追及する記録映画『ゆきゆきて神軍』でも知られている。
まえに、南方戦線に兵士として行った体験者と話した。
この人はもう故人かもしれない。あの当時でもかなりの高齢だったから。その後は会っていない。
ただ、その人は戦争で悲惨な目に遭った体験について、自分が損したとしか考えていなかった。そして、シベリア抑留に比べたら少しはマシだったはずだと言う。詳しいことは知らないで、それを言っている。
これだから、戦争責任について何も考えていない。
『ゆきゆきて神軍』では、主人公の老人が、軍隊時代の同僚に戦争責任の問題を話しても無関心だから怒ってしまう場面がある。無念の死を遂げた大勢の同僚たち対して、生き残った者として何も感じないのか、と問うと、「だから靖国神社に行って」と言い訳のようにするので「あんなもので、英霊たちが本当に浮かばれると思っているのか」と。
『蟻の兵隊』という記録映画は中国戦線での責任を裁判で追及する老人が主人公だが、靖国神社に行ったさい例の小野田もと少尉が歴史修正主義者団体の人たちと一緒に来ているのを見て「小野田さん、侵略戦争美化ですか」と声をかける。小野田もと少尉というか脱走兵というかの人はブチキレ、周りに侍っていた歴史修正主義者のひとたちが「侵略戦争じゃない」「日本は正しかった」と口々に言い返してくる。みんな戦争を知らない世代であることは見た目の年齢から明らか。そんな人たちに、戦争を知っている世代として協力することでアイドルとなり寂しい老人が注目されて、嬉しそうな小野田さんであった。
このように、自分が会って話したり記録映画を観たりで思った。
それは、戦争体験が在っても同じではないという歴然とした事実だった。


