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​炬火 Die Fackel 

 ロシアのサイトが対独戦勝記念日を話題にしていた。

 78年前の1945年4月16日、ベルリン攻略作戦が開始され、同年5月8日、ベルリン攻略作戦が終わり、「大祖国戦争」の勝利。


 ドイツをやっつけたのはソビエトが中心だったのに、アメリカは少し手助けした程度なのに戦後のヨーロッパで利権を独占していて、それで日本をやっつけたのはアメリカが中心だったけどソビエトはちょっと介入して領土をかっさらう御返しをした。

 だから、今も領土問題で日本がロシアに何を言おうと、そういう話は日本がアメリカと基地問題など戦後処理を本当に済ませてからだと突っぱねられるわけだ。


 その戦争を描いた『ベルリン陥落』というソビエト映画がある。

 今は公共財(パブリックドメイン)となって動画サイトで簡単に観ることができる。ショスタコーヴィチの音楽が話題で、これはもちろんドイツの攻撃では『交響曲第7番レニングラード』の音型が再現されるが、他は叙情的な音楽が多く、それもそのはずで映画の筋はメロドラマであるから。

 このドラマで主人公の男性は見るからに田舎の普通の男で、最初、恋人のナターシャが音楽会でイケメンのピアニストの演奏に感動している様子に、自分は見た目もパッとしないし芸も無いと凹むが、そんなことは関係ないとナターシャが言うので感動する。

 そこへドイツ軍が猛攻撃して来る。彼は軍隊に入り勇敢に戦い、ナターシャも工場で武器弾薬などの生産に従事する。


 スターリンとルーズベルトとチャーチルが話し合う場面がある。

 ここではチャーチルがスターリンの話に賛同してばかりだから引き立て役っぽい。まあ、アメリカ映画ではルーズベルトが美化され、イギリス映画ではチャーチルが美化されているから、これは当たり前なのだろう。

 スターリンとルーズベルトは後から色々と言われたし、チャーチルなんて悪質な帝国主義者だとアメリカ人も指摘する人がいるけれど。

 


 最後はベルリン陥落で、捕らえられた人たちが解放される。

 ここに、工場から拉致された作業員たちがいて、その中にナターシャも。兵士として戦ってきた恋人と感動の再会―ここで終われば戦記とメロドラマとしては良かったのだが、そこへスターリンが飛行機で駆け付けるという史実にない脚色がしてあり、兵士たちを讃えて一席ぶち、ソビエト兵だけでなくアメリカ・イギリス・フランスの国旗をもった人たちも来て一緒にバンザイを叫ぶから、いくら国策映画としても少々やりすぎである。

 今になっては笑っていられるが。


 小説家の井上光晴が『ベルリン陥落』の思い出を書いていた。

 井上光晴といえば映画化された『明日』が代表作だろうか。原爆投下の前日に、明日なにがあるか知らずに過ごす庶民たちを描いていた。あと記録映画『全身小説家』の主人公でもある。

 かつて彼は日本共産党員だったと言い、その当時、世界各地で話題だった『ベルリン陥落』を党の仲間たちと一緒に映画館で観たが、スターリンの指示で戦いファシストの侵略者を撃破してゆく様子に喝采している無邪気な他の党員たちと違って彼は乗れなかったそうだ。

 ただ、そんな日本共産党員は当時いたけれど、井上光晴の話だから作り話かもしれない。

 
 
 

 フィンランドのアキ-カウリスマキ監督の『希望のかなた』に難民問題が描かれている。

 いま日本の政府が難民に対して冷淡なだけでなく、外国人の研修生に非人道的な扱いをして非難されても日本の政府は無反省である。それとは違いフィンランドは人権に配慮している国であると誤解している人が日本には少なくない。

 それが『希望のかなた』でも告発されていた。主人公が博打で得た金をつぎこんで寿司屋を経営しはじめ変な日本料理店にしてしまい失敗するのは笑えるが、話の中心はシリア内戦の難民問題であり笑ってはいられない話だ。



 シリアの内戦で家族を失った男性が、たまたまフィンランドの首都ヘルシンキに流れ着く。

 その国際的な評判からフィンランドは優しい国かと思ったら実態は大違い。家族を殺したのが政府側か叛乱側なのかダーイッシュ(イスラム国)なのかは不明だが、命からがら脱出したと言って難民申請するが、あっさりと却下されてしまう。

 フィンランドのテレビはシリアの内戦について報じるさい、支援を要請されたロシア軍が大型兵器を使用したので被害が拡大していると非難していた。ところが役所では、差し迫った危険などシリアに無いから帰ればいいので難民とは認めないと言われる。

 マスメディアが嘘を放送しているのか。そうでなければ面倒臭いから受け容れたくないだけということになる。どちらにしてもひどい話である。


 しかも排外主義者たちが暴力をふるっている。

 まったくネオナチとしか言いようがない恰好をしてガラの悪い人相と態度である。難民申請を却下されたシリア人を見て、外国から来た邪魔者だからと集団で襲い掛かる。

 このカウリスマキ監督はイギリスのケン-ローチ監督と親交があってスタンスが合うらしい。それで社会派の内容になるが、一方ギリシア出身でフランスさらにハリウッドで活躍してきた社会派コスタカブラス監督が得意なポリティカルサスペンスではなく、ほのぼのとした調子で社会の弱者に目向けることで、カウリスマキとローチは共通している。


 とにかく、難民などで日本がいくら酷いからといっても、外国を美化しては駄目だということだろう。

 
 
 

更新日:2023年3月29日

 『ひまわり』が、去年、再上映された。

 ウクライナでロケしたことも時勢から話題である。地理学に出て来るが、ひまわり畑の黒い土が映像にハッキリ映っている。戦争で行方不明になった夫を探しに行くヒロインは「スターリンが死んで政治が変わったと言われている」から探しに行けると、劇中で言う。演じたソフィア-ローレンはムッソリーニと親戚である。

 


 『ドクトルジバゴ』のラーラはソフィア-ローレンが候補だった。

 ところが、製作者はローレンで決まりだと思っていたけれど、監督のデビッド-リーンが反対した。ローレンは長身で大柄だからイメージに合わないと言って。リーンとしてはラーラは小柄な女性のイメージだった。

 この『ドクトルジバゴ』は公開当時ヒットしたけれど批評家から「壮大なソープオペラ(昼メロドラマ)だと酷評されてもいた。



 『ドクトルジバゴ』は『風と共に去りぬ』と内容が同じだ。

 内乱の中でロマンスや三角関係があり、スカーレットがラーラで、バトラーがコマロフスキー(映画ではロッド-スタイガー)である。ただ、ラーラは貞操を奪ったコマロフスキーを銃撃して負傷させるが。

 スカーレットは北軍の脱走兵を射殺する。この場面で、今は知らないが少し前まで米国南部の映画館で上映されているさい観客席から拍手喝采なので、観光客など外国人はビックリしたそうだ。そして、だから『イージーライダー』のようなことになるのかと納得する。



 『ドクトルジバゴ』の原作はノーベル文学賞に選ばれる。

 だが、授賞式に行ったきり締め出されて追放になりそうだと恐れたパステルナークは辞退した。革命の綺麗ごとでない部分もあって、そんな悪く描いてはいないけれど当時の事情から神経質だった当局が、しかも自分の体験に基づく不倫と共に描いたのでケシカランということだった。

 それで発表できず、それでイタリアで出版と映画化(脚本・監督は『アラビアのロレンス』と同じでイギリス人だが)であった。

 ということで、明らかにノーベル賞は冷戦時代の当てつけだった。そうでもないと選ばれるはずがないハーレクイン小説である。



 グルジアはジョージアと英語読みにしている。

 だから米国のジョージア州と紛らわしいが、ロシアから離れたいという人たちの意図だった。

 スターリンはグルジアの出身だった。内ゲバで敗れたトロツキーはウクライナの出身である。ロシアではなくても「♪Интернационал(インターナショナル)~」だから良いのだ。

 かつてソビエト連邦の時は、そのやり方がどうかは別にして、総てそれぞれの民族と共和国と自治区の一つということだったけれど、ロシア連邦になり独立した所もあって、そこで多数派と少数派が出来たことが、今もめている原因だ。



 
 
 
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