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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年9月17日
  • 読了時間: 3分

 韓国映画『1987年』をDVDで観た。

 大型画面と本格的な音響だから映画館と遜色が無かった。収録されているメイキングでデモの撮影は背景にブルーバックスクリーンが張ってある。合成画面の技術向上で、このような人が大勢の場面もやりやくなっているけれど、史劇や時代劇のスペクタクルではなくデモの場面が安価に作れるようになったことは、社会派のドラマにとって好材料だろう。


 1987年は全斗煥大統領の軍部独裁政治の終わりの始まりだった。

 ソウル大学の学生が不審死を遂げ、警察は隠蔽を図るが内部告発などから拷問による死であると判明する。警察は現場の警官たちに責任のすべてを押し付けて「トカゲの尻尾切り」で幕引きを図るが、新聞記者たちの不屈と一部公務員の造反で事実が露見し国中で軍部独裁に反対するデモが発生する。

 その後、大統領の直接選挙を求める大衆の大規模デモで大きな役割を果たした延征大学の学生が、警官の撃った催涙弾に頭部を直撃され重体その後に死亡という実際に起きた事件が締めくくりとなっている。



 当時のことを背景としてドラマは二種類。

 一つは韓国の体制内での駆け引き。そこで最も悪役なのは軍事政権を批判する者を片っ端から北朝鮮のスパイと決めつけて拷問する部署を統括する男。これが脱北者で、親が地主だから殺されたことで共産主義者を憎み、南の軍事政権が標榜する反共に異常な執念で協力し、残忍な弾圧に辣腕をふるう。

 もう一つは、可愛らしい女子大生の話。延征大学に合格して喜んでいたが、合コンに行く途中でデモに出くわし、巻き添えで逮捕されそうのなったところを助けてくれた男子学生が、後にデモで死亡したことを知り衝撃を受ける。彼女の父は事故死しているが、それは労働運動の中心になっていたさい、いざとなったら周囲の仲間たちがケツまくってしまい、それでヤケ酒をあおっての事故だったから、デモの趣旨には賛同しても不信感があった。しかし、最初はイケメンだと好意を持っただけの男が自分を助けてくれたうえ殉死したことで気持ちが変わる。


 ヘッドホンステレオが小道具になっていた。

 女子大生は叔父からヘッドホンステレオをもらい、その返礼に内部告発の手助けをする。叔父は監獄の看守だが、密かに囚人の話したことを外部に持ち出す。自分で活動家に渡すのは危ないから、女の子にさりげなく使いをしてもらう。

 このヘッドホンステレオに、演じた俳優は「カセットテープなんて初めて見た」と言う。CDやMP3しか知らなかったから。87年はヘッドホンステレオが主流だった。


 1987年の日本では中曾根内閣だった。

 今問題の消費税の基を、中曾根内閣が始めると言い出して批判されていた。その前年までは、そんなことはやらないと中曾根首相は明言し「私がやらないと言ったからには、やらないんです。私の顔が噓をついているように見えますか」と大見えを切っていた。それで選挙に勝ったが、翌年に掌返したので首相は平気で嘘をついたと言われ、選挙で自民党の候補者から応援の要請が来なくなってしまったのだ。

 ちょうど映画と同じ季節には、朝日新聞阪神支局衝撃事件があった。犯人は統一協会だろうと言われた。これでは犯人が捕まらない。自民党の中でも特に中曾根首相と統一協会は密接だから。そう言われている。

 これが1987年であった。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年8月30日
  • 読了時間: 2分

 アランドロンが亡くなった。

 彼は美男子だったので二枚目俳優の代名詞のように言われていた。

 「♪ドロンに痺れるお兄さん、遅れた人だと言われるよ、二枚目なんかじゃモテないよ、個性の時代を知らないか~」

 ピンクレディーが唄っていたのは77年だったはずだが、この辺りから個性派が重視されて、正統派の二枚目は活躍の場が乏しくなったと言われてもいた。個性派がもてはやされる中で珍しく正統派の二枚目がハリウッド映画に出てきたと言われたのが79年の映画版第一作『スタートレック』でデッカー副長を演じたスチーブンコリンズだった。


 アランドロンは個性もあった。

 アルパチーノと共に、二枚目で個性もあるスターと評価されていた。

 「アランドロン+アルパチーノ<あなた」(アランドロン足すアルパチーノより貴方、と読む)歌を榊原郁恵が唄っていたのも、同じころ78年である。

 後にジョニーデップが、二枚目で個性もあるからスターになったと言われる。それはアランドロンとアルパチーノのあたりから始まったということだ



 アランドロンは、顔は良いけど頭は悪いと言われた。

 それは頭が悪いというより素行が良くないという方が正確だろう。彼は戦争体験があって軍隊で不祥事を起こしていた。主演作で特に有名な『太陽がいっぱい』のルネクレマン監督は、アランドロンの起用について、映画会社から売り出したいからと言われてのことだと明言していた。それでも真面目にやればいいけれど、ロケ地では海で遊んでばかり。日焼けして撮影に支障を来し、監督としては困ったという。

 それでもミケランジェロアントニオーニら色々な名監督たちがアランドロンを起用していた。それだけ良い役者だったということだ。


 アランドロンは自称右翼だった。

 そして差別的な言質もあった。ただ、これは不良少年が粋がっていたような感じで、本当は政治のことなど解らなかったはずだ。そこがイヴモンタンと違っていた。ムッソリーニ率いるファシスト党に乗っ取られたイタリアを逃れフランスに来た父親の影響をうけていたイヴモンタンが常に政治的で左翼的であったのとは対象的である。


 なんであれアランドロンは名優だった。

 87年に来日したさい、「アランドロンだ」と人が集るのではなく、アメリカから来たプロ野球の名高いホームランバッターに「ボブホーナーだ」と人が群がり、アランドロンは少々淋しそうだった。

 それでも、その後まだまだ香水のブランドとかアランドロンの知名度は国際的に高かった。そんな彼も88歳で世を去ったのだった。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年8月8日
  • 読了時間: 2分

 黒澤がヴェンダースと話したさい、編集がいちばん面白いと言われたそうだ。

 そして黒澤は、撮影しているときがいちばん面白いとのことだった。黒澤は編集が映画製作の画竜点睛だと言っていて、編集する素材を作るための撮影という認識だった。

 しかし、面白いのはどちらかとなると、話は別ということだろう。


 撮影と編集といえば黒澤の『隠し砦の三悪人』が好例。

 ここでもっと迫力があるのは、三船敏郎の扮する主人公が、馬に乗って逃げる敵の侍を馬に乗って追撃し追い付き斬り伏せる場面。

 中平康監督から「あんな移動レール敷く金があったら僕も撮れる」と言われた黒澤明監督は「あれは移動ではなくカメラを振ったパンだ。その方が背景の流れが強まる。あんな山の中にレール敷く場所はない」と。

 これは編集が巧みではある。



 しかし、望遠でパンすると移動みたいに見える。

 また、同じ場所を繰り返し走って撮っているけれど、その度にレンズを変えている。これをつなげるから迫った感じになる。

 つまり撮影が的確だからこそ出来る的確な編集なのだ。

 そうしてみると、撮影と編集と面白いのはどちらかということで監督による違いの訳が解ってくるのではないか。


 親戚がフィルム編集者で、弟子入りしないかと言われたことがある。

 その後の顛末は置くとして、編集は地味な日陰者だけど監督に信頼されていると全面的に任されるし、役得もある。スターたちからの付け届けだ。自分が良く映っているのを使って、と。

 『蒲田行進曲』で、風間杜夫ふんする時代劇映画のスター「銀ちゃん」が、撮影のさい自分ばかり映ろうとして蟹江敬三ふんする監督が怒る場面があって、これに観客は笑っていたけれど、とかくスターはそうしたがるので、あとは編集者に「よろしく」と付け届け。ただし低予算だと撮ったフィルムが少ないから加減しにくいけど。

 この余談は、前に少し語ったことがあるので、読んで憶えている人もいるかもしれない。

 
 
 
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