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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年4月12日
  • 読了時間: 2分

 かつて文芸同人誌に参加していたさい、ワープロで横書きする人がいた。

 しかし縦書きでないと文学らしくないとか議論になった。このことを思い出したのは、縦書き投稿サイトというのがあるからだ。

 これが何種類かあって、やはり小説や詩など文芸の投稿をするところである。


 目の動きから横書きの方が読みやすい。

 このため、事務的文書だと読みやすい。だから公的な文書では横書きに統一された。これは比較的最近のことで、90年代の末までは裁判所に出す書面などが縦書きだった。

 また、数字や横書きの外国語(横文字)を挿入するのにも便利だ。



 書道のように美術的な文字は縦書きでないと困る。

 なにより、日本語でつなげて書くことは縦書きになっている。英語の筆記体を縦書きしろと言っても無理であるのと同じで、日本語は縦書きでないとつながらない。

 そういうことではないのに、文芸は縦書きでないと、どうしても「らしく」ない。


 先の数字にしても、縦書きでは漢字にする。

 しかし数字を縦書きするさい「百」とは書かず「一〇〇」と書く。この場合、ワープロでも「〇」はアラビア数字ではなく漢字に分類されている。横書きの「100」とするのは、そうするしかない場合だけであり、そんなことは滅多にない。

 そうした作法が縦書きにあり、これを文芸の場合はもちろん、ノンフィクションなどの場合でも縦書きの書籍なら使用している。理科系の本では数式が入ることもあって日本語を横書きにしているが、なぜか「。」ではなく「.」で締めくくり、それをSNSでもやって「俺様は理系だぞ」と不可解なアピールをしている人たちがいる。


 とにかく文芸ということは文書の芸術である。

 だから小説や詩は縦書きでないと、小説らしくないし、詩らしくない。ところが横書きで平気な人もいる。読めればいいと思っているなら、書く人の勝手である。

 しかし、今度、自分で載せるとしたら、縦書きサイトにするつもりで、比較検討しているとこである。

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年3月24日
  • 読了時間: 2分

 「貧乏が生んだ知恵」

 あの円谷英二は、特殊撮影(特撮)とは、それがそもそもだったと言っていた。そして今度アカデミー賞の特殊視覚効果の部門で、ゴジラの新作が日本映画として初めて受賞し、それもハリウッド映画に比して低予算で仕上げていたことも称賛されたが、そうなると元々ケチな日本の映画界では、工夫すれば良いと増々ケチにならないかと危惧もされた。


 そのうち、何でもCGで表現できるようになるかもしれない。

 そして、その進歩と普及により、金もかけなくてよくなる可能性がある。これは、どんなことでも同じだ。

 なら、自衛隊の描写も防衛省の協力が無用になる。かつて書いた脚本も映画化できるだろうか。怪獣映画を撮った監督に読んでもらったら「この話では自衛隊が悪役になっていて、

協力を拒絶されてしまうからと没にされる」と言われた話を。

 あれから何十年も経過し、オキシジェンデストロイヤーの構造が解明され、非核三原則や国際原子力機関の監視で難しい核兵器ではなくデストロイヤーを、芹沢博士個人の研究所でも作れたから自衛隊の設備なら大量生産できるぞと取り組む話は、そんなに自衛隊を悪者にしているのだろうか。

 もちろん、自衛隊の幹部たちが危ない発想を真面目に語っているという場面の連続ではあったけれど。



 話は変わるが、先日ここで、前に同人誌に発表した小説の話をした。

 そうしたら読みたいと言って来た人たちがいるので、ブログに転載しようとしたが、紙に印刷されたものだけで素のデータが無いのだ。そうなるとスキャンして変換する方法しかないけど、これは手間がかかるうえ読み取り間違いが多い。書き写した方が早いかも。どうやるにせよ暇を見て少しずつ作業している。

 それでは、ついでにシナリオ化しようか。低予算で映画化できるネタだからスポンサー探してもいい。製作費を集めるのか意外と簡単で、その管理がむしろ難しい、という話は、前にした通りである。

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年2月26日
  • 読了時間: 3分

 かつて同人誌に発表された小説のことだ。

 もう昔のことである。ある成金の社長が道楽で小説を書いていたが、忙しいから自分で書かずに口答で内容を告げて代筆のバイトを雇っていた。それに協力したが、没となったのだ。

 そして別の人が、社長の期待に沿った内容で描き、掲載された。


 ここで問題なのは作者の願望の発露だった。

 フィクションの登場人物は創造されたキャラクターだから何でもよいが、ここで成金社長としては大金持ちのお嬢様だけど庶民的な服装をしていて高級ブランド品など欲しがらないという話であるから、なんとも成金の発想であった。

 そして、後に読んだ女性で実家は富裕という人が言った。高級ブランド品を欲しがらないのは持っていて当たり前だから。そもそも高級とも思ってない。


 こういう指摘は、書く前から出ていた。

 ところが、成金の社長には理解不能であった。だから注文に対して素直に応じたものが採用されたのだった。

 また、お嬢様だから趣味はピアノとバイオリンというステレオタイプの注文だった。その注文に従い書いた人は、バッハの曲を練習しているという場面を描いていたが、漠然とした描写だったから彼は音楽に関心が無いのが丸判りだった。

 しかし、そういうイメージに社長は拘った。それでいて彼女の行動が違うということにしたかったのだ。このうえで自立を求めて苦悩・苦闘する女の子という物語。


 では、こちらの没になった案は、どうだったのか。

 彼女は小さいころからピアノとバイオリンを習っていたが飽き足らず、仲間を集めてロックバンドを始めて、歌は上手だし作詞作曲も手掛けて、なにより唄う姿も様になっているから人気を博す。大学に進学したのもバンドを続けるためも同然で、新しい仲間は高校の時より楽器演奏でハイレベルな人たちが集められて満足だった。

 それで聴きに来る人たちは殆どが彼女の歌または姿が目当てだった。彼女がいないと誰も客など来ないだろう。それで仲間たちは彼女のお山の大将に従っている。ただ、いかにもクラシックやってきたような理論の通りの作曲と、粋がっていても育ちの良さが出ている歌詞に、仲間は違和感を覚えることもあった。これを糊塗しようと彼女は服その他の身につける物で、それらしく装っていた。



 そんなある日、ライブハウスで他のバンドのヤンキーに言い寄られ、なれなれしく顔に触られたうえ顔を近づけてきたので、激怒した彼女はそいつを思いっきり殴る。女の子の力では大した威力ではないが、ステージ用に付けていた棘棘しい金具の付いたグローブとリストバンドを利用して裏拳ではたき、顔面から血を流して怯んだ男をさらに硬い金属の部分で正拳突きしたから、男はうずくまって歯が欠けたと悲鳴をあげる。

 これで思い知ったかと彼女は去るが、そこで「女の子が人を殴るなんて駄目ね」と自嘲して言い、続けて泣き出しながら「女って損ね」と呟くのだった。


 結局は暴力描写で魅せるのかと言う人もいた。

 でも、アクションではなくテーマの点で、最後の台詞になるのだから、物語からして、それで良いはずだと今でも思っている。

 ちなみに、これは自分の別名義で書いた小説に流用して脇役としたのだった。そして別の同人誌に掲載された。暴力描写には賛否両論だった。

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