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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年6月30日
  • 読了時間: 1分

更新日:2022年6月30日

 現政権の、防衛費は倍増させて、育児や教育の予算は増やさない、という政策が現実的なのはSF映画の中だけだ。

 何もかも人造人間にやらせる、2019年になって実現しなかった『ブレードランナー』の世界だ。しかし、この原作者PKディックの小説は、他のことでは現実となっている。


 NHKが、家庭用核シェルターの需要が出てきていると危機感を煽っていた。

 これが一つ二千万円するという。ディックの小説『フォスター、おまえ死んでいるところだぞ』で、高額な家庭用核シェルターが販売されて、買わないか買えない者は非国民という近未来の米国が描かれていた。



 米国最高裁は、妊娠中絶が当事者の選択権であったが、これを否定した。

 まったく、日本でも米国その他の外国でも、政治や司法が過去に逆行している。これに対処するには『ユービック』が必要である。

 それに、この暑さは『パーマーエルドリッチの三つの聖痕』の「いまでも思い出すが、たしか2004年のある日、団地の冷房システムが故障で一時ストップしたために、LPレコードのコレクションがべったり1つにくっついてしまったことがある」を彷彿とさせるし、水道民営化で『火星のタイムスリップ』のようになりそうだ。


 PKディックの世界が現実になっている。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年2月3日
  • 読了時間: 2分

更新日:2022年2月4日

 日本の小説がつまらなくなったのは『太陽の季節』から。

 という指摘が昔からある。高校の図書室にあったから読むと納得だった。また、なんであの人よく「石原チンタロ〜」と言われるのかも良く解かった。


 石原慎太郎と同じころに活躍したのが三島由紀夫だった。

 三島由紀夫は、文学賞と無縁の小説家として売れた。その「無冠の帝王」だった時は面白かったとよく言われた。三島由紀夫の小説を全部読んだという同じ高校の人は、初期の作品は面白くて夢中になって読んだが、あとの方になると「またかよ~」という気になったと言っていた。


 三島由紀夫と逆だったのが石原慎太郎である。

 石原慎太郎は、文学賞でセンセーショナルに騒がれただけの小説家で、小説そのものは中身が無いと、これも昔からよく言われていたことだ。

 そういう商業主義が文学賞という見世物まさに「ショー」を演出して、中身の無い小説を騒ぎ立てる。これでは面白いわけがない。「不道徳だが刺激的でセンセーション」なのではなく、そうマスコミで宣伝したにすぎない。だから芥川賞など面白い小説など全く無いというのが昔からの定評だろう。



 フィリップKディックが指摘していた。

 小説家は、そのうちスタイルで書くことを憶える。誰誰調という文学だ。これは便利で、売れるのには最適だ。そして、小説の内容は次第に失われていく。

 まさに三島由紀夫である。それですらないのが石原慎太郎だった。三島由紀夫は空飛ぶ円盤の研究会に入り熱心で、宇宙人が未確認飛行物体UFOに乗って地球に来ると本気で信じていたらしい。彼は宇宙に関わるSF小説も書いているが、あくまで三島由紀夫がSF小説も書いたというだけの話題で、小説は面白くないという定評がある。

 また、SFの大御所だったアイザック-アジモフは、空飛ぶ円盤の実在について訊ねられると「そんなものは信じません。信じている人は頭がおかしいと思います」と言った。その通りだったことを三島由紀夫は自ら証明するように命を絶った。


 ここに出てきた小説家たちが活躍した時代は、小説に存在意義がある時代だった。

 もちろん「今は昔」である。読むのは良い。これは、クラシック音楽を聴くのはいいが、新曲を作っても全く無意味というのと同じことである。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年2月3日
  • 読了時間: 3分

 東京と大阪の知事が無党派の期待を集めた。

 ところが東京都知事の青島幸雄と大阪府知事の横山ノックは、相次いで有権者を落胆させた。それで東京都知事が石原慎太郎に、大阪府知事が橋下徹に、という反動となった。青島と横山どちらも市川房江の弟子である。市川房江も格好つけて不見識な偽物だったから、もう一人の弟子である菅直人にも期待できるはずもなかった。


 一方で長野県知事が田中康夫で何かと話題だった。

 田中知事は、石原知事を外国記者クラブの会見で「カワード」と評した。臆病というような意味である。自民党は、田中知事について、セクハラで辞職した横山ノックのようになると攻撃していた。その根拠とは田中康夫が雑誌に下ネタで描いていたからだ。たったそれだけでは根拠が乏しいが、しかも題名について『ペリグロ』と言っていた。『ぺリグリ』の間違いである。これは結構いやらしい言葉であるが、しかし石原知事だって『太陽の季節』で石原チンタローと言われていたのに、大した違いではないだろう。


 石原慎太郎がワープロを使っている様子がテレビに映ったことがある。

 もともと小説家として石原慎太郎は、セーラーだったと思うが、とにかく和製の万年筆で書いていたらしい。欧米の万年筆は横書きを前提にしているから縦書きには向いていない。また漢字で字画が多いと細かくなるので、和製またはジンハオとか英雄とか中国製が良い。自分は何かとドイツ贔屓なのでペリカンを使っているしモンブランも持っているが、日本語の手紙などは主にペンテル(ペン先はセーラー製)を使用している。



 田中康夫はサインペンで書いていた。

 テレビで万年筆の話題が出たさい、田中康夫はサインペンだと滑らかで使用が気楽だと言っていた。たしかにそうで、何より安価である。高い万年筆は書いていて疲れないし線のうねりも華麗であるが、今ではパソコンやスマートホンより高額である。だが、高い万年筆ほど古くなるにつれて書きやすくなり、字も美しくなる。


 前に出版社の打ち合わせで万年筆を使っていた。

 そのさい、滑らかで早く書けるから使っていたら、出版社の社長が見て「それモンブランだね。ちょっと書かせて」と言うので貸したら、スラスラと書いて「これは書きやすい」と言っていた。同じく同社に寄稿している大学名誉教授が言った。「たまに手書きしないと字を忘れてしまう。電卓を使って計算してばかりだと、頭を使って計算できなくなってしまうように」と。


 なんであれ、たまには手書きの筆記具を使ったらいい。ワープロのデーターにするのは編集と印刷に好都合だからだ。しかし石原慎太郎も田中康夫も、もともと手書きであった。

 
 
 
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