- 井上靜

- 2024年1月22日
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二十歳の集いで杉田水脈に講演させた山口市が批判された。
なぜなら、差別発言を繰り返して無反省の人を、見識ある人として扱い、これから社会を担う世代に向けて、講演させたことが批判されたのだ。
しかし、その批判は虚しいだろう。そう思うのは諦めではなく自分の体験からである。

批判の内容は至極当然のことである。
法務局だって、杉田議員による一連の発音は人権侵害だと指摘している。また芸能人が(地上波ではないが)テレビで、あんな人は議員を辞めるべきだと言って怒っていた。
それを踏まえて杉田議員を起用したのが山口市である。山口は杉田を推挙して議員にした安倍晋三の地元だったが、それにしても、よくここまで露骨なことができるものだと憤る人たちがいて、それも解る。
しかし法務局の人権侵害へ勧告は無意味である。
かつて自分も医療裁判のさい政府の関係者から差別発言を浴びせられ、これを別件で訴訟にしたところ、その裁判官から更に酷い差別用語を浴びせられた。しかも文書でのことだから口頭と違い物的証拠がある。
それで法務局に人権侵害だと勧告するよう求めたが、その担当者から電話があり「確かに酷すぎるが、相手が偉い人・地位のある人だから、何もできない。一般人なら出来るけれど。だから提出された書面と書証は廃棄して無かったことにさせてもらう」と言われた。
これは東京都内の法務局である。
これでは山口のような田舎では尚更である。
もともと、田舎では人権なんて綺麗事の建前でしかない。本気で大事だと思う者は「アカ」である。これは昔から今でも同じである。
そんな調子だから、右翼的な差別の言動が総理大臣から気に入られて国会議員にしてもらった人が、どんなに差別発言だと指摘を受けても、当人は「蛙の面に小便」ではなく「水脈の面に小便」ということだ。
しかも受け容れられているのではなく積極的に支持されている。
杉田水脈議員の差別発言について、いくら批判があっても田舎では周囲の眼が気になるから黙っている、という人はおそらく圧倒的少数で、ほとんどの人たちは賛同しているはずだ。
なぜなら、ああいうのは日本人の感性に合っているからだ。それで言う政治家が支持されているし、政治家などエライ人が言うなら正しいと思うのだ。それが日本人の判断基準である。
だから簡単には改まらないのだ。

