田村智子新委員長が早稲田卒で思い出したこと
- 井上靜

- 2024年1月20日
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予想されたとおり共産党の新委員長に田村智子議員が就任した
田村智子新委員長は、早稲田大学の学生だった時に学費値上げ問題で政治に関心を持ったそうだ。あの当時は、軍拡の一方で福祉と教育の予算が減らされたのであり、学生は反発していたが、それを批判すると就職に響くのではと恐れる学生が一方でいた。
そんな小心者の学生は確かにいたが、そうではない学生で中心的だったのは、共産党と提携する民青同に属する人たちであった。このことは予備校の講師も授業中の雑談で触れていた。しかし学費のことは心配であるが、それ以前の問題が受験生にはあった。もちろん入試に受かるか否かである。
これには個人的な思い出がある。
その後、中学三年生の時に同じ組だった男が、「大学に入ったら気を付けないといけないよ。民青同とか民青とかいう団体が活動しているけど、あんなのは就職を諦めた奴らだから」と言った。
ちなみに、共産党にも他の政党と同じ青年部があるけれど、それと民青同は別の組織である。だが正式に提携しているから、ほとんどが共産党員と言ってもいい。あの当時、一緒にバイトしていた人が、大学は経済学部で資本論など経済学の古典を研究するサークルに入っていたから、関心があって民青同にも居たことがあるけれど、彼は共産党員ではなく、共産党員とは馴染めなかったから民青同からは出たと言っていた。
そういう話をしたところ、その中学の同級生は「なんだ、知っていたのか」と言った。それまでの上から目線の口調から急にバツ悪そうにして。この人は、中三の時から何かにつけて一々そういう上から目線の口調で話す癖があり、それを同級生から揶揄されていた。
そして、「民青同だけじゃなく他にもセクトとか党派といわれるのが活動していて、中核派とか革マルとか過激派と言われ評判が悪い団体が大学自治会を牛耳っていたりする。うちの大学も、だよ。だから、こっちだって要注意なのに、民青同は何か違いがあるのか」と訊いたが、彼は答えられなかった。「それに『信念があってのことならいいけれど、就職に影響することも在り得るよ』とでも言うなら、相手が知っていようといまいと通用するけど、相変わらずの調子だから君は不評を買うんだよ。だいたい、いくら共感できなくても他人様が真面目にやっているらしいことに対して『あんなのは』とか『奴らだから』とか、感じが悪いでしょう」と指摘したが、彼は「なんだ、知っていたのか」と繰り返すだけだった。
これには後日談がある。
彼は高校で先生と喧嘩して不登校、出席日数の不足となり進級できず退学していた。そして検定試験で大学受験資格を取得すると、慶応大学に現役で合格したと自慢していた。こっちのほうが偏差値高いぜ、と言うわけだ。
ところが、大学に通っているかと思ったら、彼の母親は「うちでゴロゴロしている」と言っていて、サボっているというのではなく、大学なんか入ってないという意味だった。現役で慶応大学に受かったと言っていたのは嘘だったと、他の同級生たちが言っていた。しかし彼から慶応大学の書面を見せられたことがあると言ったら、それは入試の要綱だったのだろうと言う。でも受験生ではなく入学生に向けた記載だったと言うと、それなら慶応大学には通信制があるから、その無試験のものを見せて、入試に合格したと欺いたのだろう、と。そのような虚勢を、いつも彼は張る人だったでしょう、と。

閑話休題。
学費値上げで騒ぐ学生と対峙して名を挙げたのが、早稲田大学の西原総長だった。その武勇を買われて国士舘大学の改革に招かれた。騒ぎ出すとうるさい早大生と渡り合ったから、その力量によって国士舘大学を変革させて欲しいということだった。
すると西原総長は、長ラン詰襟で知られる付属高校の制服を、ブレザーとネクタイに変え、坊ちゃま嬢ちゃま私学ふうにした。これでは「押忍」なんて言っても様にならない。また、武道系の運動部でシゴキと称した暴力があったら即廃部、関与した者が退学させられただけでなく、剣道で推薦入学した学生はすることが無くなり退学した、などなど厳しい態度で、すっかり国士舘の雰囲気を変えてしまったのだ。
こうした総長と対立する最中にいた田村智子議員だった。
この雰囲気、当時はもっと学費が安かった国公立大には無かった。緊張感が違う。それはマスコミが、東大出ばかりの共産党委員長が今度は私大卒、というのとは意味が異なる。彼女はテレビで自民党の萩生田議員を統一協会の件で凹ませて「イイゾ」と話題だったが、委員長に就任早々、党大会で済んだ話の蒸し返しに対し「党員なら執行部への批判は自由だが、その内容が党外からの悪口を受け売りでは党員としての主体性に欠ける。厳しいけど、これは大事なことだ」と苛烈な反論をしていたのが話題である。
これは面白くなりそうだ。



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