top of page

​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 7月23日
  • 読了時間: 3分

更新日:7月24日

 これは日本共産党の支持者を自称する人のSNS投稿についてのこと。

 この人は匿名アカウントであるが、少し前こんな投稿をしていた。ある共産党員が嫌な奴であるとか、ある共産党員から嫌なことをされたとか、そんな体験のある人たちが「だから共産党は駄目だ」と言っているけれど、それは個人のことであり、事実その共産党員が酷いとしても飽くまでその人のことだから、それで党を評価するのは間違いだ、と主張していた。

 そんなことが在るなら、その主張は常識的であるが、無いだろう。



 もちろん皆無とは断定できない。

 例えば、たまたま会った外国人が嫌な奴だったために、その国籍の人はみんな嫌な奴だと思ったり、一度ふられたとか騙されたとかだけで、男あるいは女は皆ろくでもないと思い込んだり、ということは色々とある。だから共産党員についても同じことは言えなくもないが、ただの悪口ではなく訳があっての批判の場合は、そんなことはない。

 ただし、これは政治的な分野だと共産党だけでなく他でも在ることだ。共産党とは敵対的な団体でも、例えば中核派だったという人が、その後あの団体は支部ごと脱退した所があったりで分裂したが、そこに居たため「元中核派」である人が、中核派に限らず党派・セクトといわれる集団には嫌な奴が多いと言っていた。どうしても偏屈な人が集まって来るなどの構造があるからだ。


 そのような嫌な奴は共産党の方が少ないだろう。

 ところが、どこにも必ずと言っていいほど嫌な奴はいるもので、そのさい政治的なことでも他のことでも、共産党を批判したわけではなく個人についての問題なのに、これを知った共産党員が「あの人は共産党員なのだからそんなはずはない」と言い出すことがよくあるのだ。共産党は無謬だから人間性に難点を持つ党員はあり得ないと言うけれど、それは荒唐無稽な発想である。

 実際に、そんな人間性に難がある党員は必ず党内でも問題になり、追放されることもよくあるのだ。すると途端に擁護していた党員が、より激しく批判するものだ。しかし、擁護していたことは反省しないから、自分が非難した人に「あなたの言ったとおりだった」と非を認めて謝ることは無い。


 御粗末だと評判がある共産党の法律相談でも同じだ。

 共産党系の法律事務所だから人権派だと思って議員を通じて相談したら、デタラメを言われて大変なことになってしまったという苦情があり、それ自体は弁護士会でも同じだから、そもそも法曹界が全体的に無能だったり堕落していたりであるけれど、共産党の法律相談で弁護士の無知と態度の悪さは特に定評がある。

 これは前にも取り上げたが、制服警官から強制わいせつ行為をされてPTSDを発症した女子高生について親が相談したら、共産党系法律事務所の女性の弁護士が、明らかに権力と闘うのが怖いので断るという態度なのに、そう言うのは恥だと思ったらしく「あなたの娘が勝手にPTSDになっただけ」などと非常識なことを言い、深刻な相談にこの侮辱だから憤慨した親が共産党の地方議員たちに言ったら全員が「共産党の法律相談に間違いは無い」の一点張りだった。


 つまり、たまたま駄目な人が共産党員だったことではない。

 そんなことで全体を批判する人は、まずいないだろう。そうではなく、それを他の共産党員たちが、党の無謬性という幻想に基いてデタラメな身内擁護をするから、党の組織が駄目だと言われてしまうのだ。

 この現実を、例の熱烈支持の匿名アカウントは解っていない。




 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 7月20日
  • 読了時間: 2分

 前回の話題は皇室の存在のものについてだった。

 なりたい職業に就いたり好きな人と結婚したり、そんな当たり前のことを出来ない人達が今時まだいるのは異様である。皇室に養子を入れられるようにするのではなく、皇室から皆が出て自由になるべきだ。そうすれば皇室典範が無用になるから、内容をどうするかの議論は無用である。

 そういうことだった。


 それなら国歌も変えるべきだ。

 あのように封建的な『君が代』だから反対される。それを権力で弾圧してきた。そもそも国歌とはナショナルアンセムだから国を讃える歌のことである。もちろん、たまには国歌らしくない内容の国歌もあって、フランスや中国は歴史的な歌を記念して国歌にしているけれど、そうでなければ祖国に栄あれという歌である。

 ところが封建時代のままの国歌があって、その英国に日本は倣っている。英国でも王室は廃止して国歌も変えるべきだと言われてきたし、同国の場合は北アイルランドとスコットランドの独立問題もあって国歌への反感が根強い。

 やはり日本も、封建的でなく、みんなで和気あいあいと、あるいは誰でも起立して唄える国歌に変えるべきである。そうすれば今のように強制する必要はない。



 ところが強制や弾圧が好きな異常性格者がいる。

 だから国旗毀損罪なんてものを作る。かなり右寄りな政治家でさえ、必要がないし強制するなんて恥ずかしいと言っているけれど、強制と弾圧でサディスティックな快感になる人たちがいて、そこで同時にマゾヒスティックな快感を覚える人達がいるから、厄介である。

 そんな変態が主流になってはいけない。だから国旗も変えるべきだ。寄せ書きしたり、ハチマキにしたり、ということを脂ぎった顔して目を血走らせた人達が戦争などに利用するから血の丸と化している。そんなものを排して爽やかな国旗にすれば敬愛されるから、国旗損壊罪なんて要らないどころか最初から話にならないのだ。


 皇室を無くして国歌と国旗を変えて日本を明るい国にしよう。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 7月19日
  • 読了時間: 2分

 皇室典範の改訂が無茶苦茶だと言われて騒がしい。

 それは、旧宮家の遠い親類から養子を皇室に入れられるようにするからだ。昔もあったことだけれど、跡継ぎにするためではなかった。そして今では禁止されている。

 それを跡継ぎにするための養子というのだから、これでは実際に無茶苦茶だ。騒がれて当然のこと。



 なんで天皇の長女が跡継ぎになってはいけないのか。

 それは女だから駄目という酷い男尊女卑である。昔は女の天皇が何人もいた。ところが、女の天皇だと次の代が不味いというのだ。跡継ぎは男の天皇の子供でないといけないという奇妙なことが言われている。そんなことに、何の意味があるのか。

 今までずっと男系だったと言うけれど、そうでないと、どう違うのか。ちゃんと説明できた人はいない。


 今まで男系だったと言うけれど、そういうことにしていただけ。

 実際にはどうだったかというと、違うだろう。今ならDNA鑑定があるけれど、これはごく最近のことだ。ほんの一昔前には血液型から親子の可能性があるかを調べるという大雑把な調べ方しか無かった。まして何百年も前の大昔では、血液型も遺伝子も発想すら無かった。存在も想像を絶していた。親子で顔が似る傾向があるという程度のことくらいだった。

 そのうえ、夫婦関係だって大らかだったから、誰が誰の子供かも解らず、それで認知する「お墨付き」というのを与えるなんてことばかりだった。


 皇室に人を入れるより、皇室から人を出すべきだ。

 それも全員を出して、皇室という存在をなくし、出て解放された人達はみんな、なりたい職業に就いたり好きな人と結婚したりできるようにしなければならない。そんな当たり前のことを出来ない人達が今時まだいるのは異様である。

 こうして皇室が無くなれば、皇室典範が無用になるから、内容をどうするかなんて馬鹿げた議論をすることない。そんなことに莫大な国費を無駄使いしてる暇があったら、そのぶん国会では経済政策などを議論したりするべきだ。

 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page