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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年11月13日
  • 読了時間: 4分

 「親から体罰」とエホバの証人3世が告白したのをマスコミが取り上げた。

 しかし、エホバの証人(ものみの塔)の教団は、そのような信者がいたとしたら残念なことで、なぜなら教義は暴力否定であり、また愛し合うべき家族が暴力で服従させるというのも教義に反していると説明した。


 これで思い出すのが『キャリー』という映画だ。

 このリメイクは観てないから知らないが、映画では母子家庭のわけが説明不足だ。原作のスチーブンキングの小説では説明があり、キャリーのパパは労災死で、建設作業員をしていて事故に遭った。つまり仕事柄なのだが、それをママは信仰する宗教の戒律を厳守しなかった天罰と思いこみ、教義の細かいことまで娘にも強制する。

 だから教会のせいではない。教会は聖書の一字一句まで忠実にという「根本主義」だったが、信者全員がキャリーのママと同じではない。

 いま言われる「宗教二世問題」も、親の信じ方が問題なのに宗教自体が総て悪いとコジツケするのは行き過ぎだ。一般的な「毒親」の問題として扱うべきである。宗教が影響していても飽くまで親の態度が問題なのに、特定の団体を名指し報道は悪意と政治性を感じる。

 というのもエホバの証人はアナーキーな教義で権力と対立してきたからで、そこへマスコミは狂信的な親ではなく宗教が悪いように報じ、日本会議系など権力に擦りよる宗教だと同じような親はいくらでもいるのに叩かないから、とても危険に偏向した報道である。



 もともとエホバの証人は非暴力主義を説く宗教だ。

 これを当人の意思で信仰する生徒が学校の体育で武道を強要され、柔道は素手だから締め技でなければスポーツといえると妥協してやっていたが、次に剣道をやれと言われて、これは武器を持つからできないと拒否したところ、右翼的な教師から暴力をふるわれた、という事件があった。これは裁判で、信教の自由の侵害だと認められたし、そもそも教師が単純バカの体育会系丸出しだったから世間でも学校が悪いと受け取られた。

 さらに、銃剣術を体育でやれと言う元自衛官の国会議員もいる。エホバの証人の教えは、神に最も権威があるのだから国家権力は優先順位が低いとしていて、だから国旗・国歌を拒否したり、非暴力主義から兵役を拒否したり、なのでファッショ的・軍国主義的な権力からすると実に不都合だが、この点についてはエホバの証人だではなく、他の宗教でも、宗教と関係なくても、人間の自由ということから問題になる。


 また、エホバの証人では古文書の「血を避けなさい」を血の滴るようなステーキを食べるなとか輸血するなとか解釈している。

 これは宗教研究家たちから曲解であるという批判がある。しかし信者たちは肉の血を絞ってオカラみたいにして食べていて、不味そうだから、いっそのこと菜食主義になればいいのに、戒律を守ることに意義を見出している。こうなると本末転倒だが、それだけ大事な信仰というなら仕方ない。他人が口出すことでは無い。


 あと、輸血拒否は医療の現場で問題になったが、エホバの証人の御陰で注目され良かった点もある。

 そもそも同意が問題になるのは、輸血にリスクがあるからで、それなのに必要だからと(本当か不明の場合も)勝手にする医師が昔は普通にいたのだ。しかし宗教が騒ぐから病院が同意に気を使い、おかげで無用な輸血をされず助かった人もいる。これは自分もだ。あの当時だったら肝炎に感染していた可能性が高いと医師に指摘された。


 暴力反対や戦争反対も少々狂信的に見える宗教が頑なに抵抗してくれたことで、社会全体に影響を及ぼすことがある。

 しかも、宗教とは無関係の人たちが影響されたり励まされたりする。戒律ではなく信念を貫く大切さを教えられるからだ。もちろん、クエーカー教やエホバの証人と違って統一協会は戦争反対どころか権力すりよりだから学ぶことは無いけれど。あとエホバの証人もアメリカでは教団が処世術で権力に迎合するようになったと批判されているから、その点は他の宗教と同じであり、宗教の限界かもしれない。


 しかし、社会の公式見解と異なるからと個々人の信念を否定して「カルト」だの「偽科学」だの「陰謀論」だのと紋切り型のレッテル貼り攻撃する風潮は「ファッショ」や「紅衛兵的」である。

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年11月4日
  • 読了時間: 2分

 ハロウィンを最初に知ったのはジョン-カーペンター監督のサスペンス映画という人もいるだろう。これは自分も、そうだった。

 この映画の影響で『13日の金曜日』など、低予算で見せ場を作るため怖いだけでなく殺されるのが不道徳で奔放な若者たちだからザマミロという気にちょっとなる映画が量産されたのだった。

 この映画の字幕スーパーでは「万聖節」だったが、今ではほとんど通じない言葉になったらしい。学校の英語で、漢字だと手間がかかるからカタカタにしておけと教師に言われた。試験では時間との闘いになることもあるから。こういう事情もあるだろう。



 それにしても、ハロウィンのバカ騒ぎ、大量廃棄される売れ残り恵方巻、などなど誰かが金儲けのネタにしようと企んだのが元々だ。

 そして、お祭り騒ぎが変にヒートアップして迷惑行為に発展ということだが、ハロウィンの仮装なんてまだマシで、その先のクリスマスにはスーパーのレジのパートおばちゃんサンタの帽子を被せられたり、本部の命令でフライドチキンやローストチキンを売らされる店長が鶏の着ぐるみ着させられたりで、恥ずかしそうにしている。


 韓国でハロウィンの圧死事故があったけど、そんな危険があるから日本では「立ち止まらないで」と連呼していた。

 だが、有名な観光化した神社では昔から年末年始に「立ち止まらないで。お賽銭は投げ入れて、落ちたものは後で拾って賽銭箱に入れますから、拾わずに進んで下さい」と連呼しているものだ。これで御利益があるとは思えない。


 そういうのに乗せられる人がいるから、金儲けに利用しようとする人もいるのだけど、そろそろ目を覚ましたほうがいいだろう。


 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年10月17日
  • 読了時間: 2分

 アムウエイが問題にされたのは統一協会の代わりだと指摘する人がいた。

 たしかに、統一協会の解決が困難なので、同じように正体を隠して勧誘するアムウエイに対し、その勧誘など一部の業務を停止する処分をすることで御茶濁し、という感じがする。


 昔からアムウエイは「マルチ商法」が批判されてきた。

 そして昔から活発であることもあって、それと関係する人たちと出くわしたことのある人は少なくないだろう。中には勧誘を受けたという人も結構な数で存在しているはずだ。金儲け主義に精神論を利用し、その政治的・宗教的な保守主義から統一協会と類似する部分が強烈ではある。



 かつて苦学生だった時、それをバカにする人たちに嫌な思いをしたものだ。

 その中には自分が裕福なので苦労している他人を見下す人もいたが、無駄な努力をしていると言って貶す者もいた。そして「お前なんかと違って実効性のある努力を俺はしているんだぞ」と誇るのだ。

 そもそも、親のすねかじり学生が、苦学生や労働者となっている人から努力について言われるなら普通のことだが、そいつは無職の「プータロー」であった。

 では何を頑張っているのかと思ったらアムウエイだった。その人もだが、アムウエイしている人たちには共通する点があった。まず、大体は学校の勉強ができない人だ。だから親のすねかじり又は苦学どちらかという以前の問題だ。


 他にも特徴が共通している。

 学校の勉強の代わりに技能・特技を身に着けるのでもなく、体力屈強や運動神経抜群でなく、容姿端麗でもなく、もちろん特殊な才能を持ってなどいない。しかし地道に働くのは嫌で、慎ましく質素に生活したくはないし、とにかく他人を出し抜いて成功したいと思っていて、贅沢はしたいけれど、むしろ他人を見下したくて、これが出世亡者ではなく劣等コンプレックスによるものであることが言動に顕われている。


 だから、アムウエイに取り込まれてしまう人たちは、統一協会の被害者より同情の余地が乏しいのである。

 それなのに、正体を隠して勧誘したことが同じだからと行政処分しても、代替とはなり得ないのだ。

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