アムウエイは統一教会より同情の余地が狭い
- 井上靜
- 2022年10月17日
- 読了時間: 2分
アムウエイが問題にされたのは統一協会の代わりだと指摘する人がいた。
たしかに、統一協会の解決が困難なので、同じように正体を隠して勧誘するアムウエイに対し、その勧誘など一部の業務を停止する処分をすることで御茶濁し、という感じがする。
昔からアムウエイは「マルチ商法」が批判されてきた。
そして昔から活発であることもあって、それと関係する人たちと出くわしたことのある人は少なくないだろう。中には勧誘を受けたという人も結構な数で存在しているはずだ。金儲け主義に精神論を利用し、その政治的・宗教的な保守主義から統一協会と類似する部分が強烈ではある。

かつて苦学生だった時、それをバカにする人たちに嫌な思いをしたものだ。
その中には自分が裕福なので苦労している他人を見下す人もいたが、無駄な努力をしていると言って貶す者もいた。そして「お前なんかと違って実効性のある努力を俺はしているんだぞ」と誇るのだ。
そもそも、親のすねかじり学生が、苦学生や労働者となっている人から努力について言われるなら普通のことだが、そいつは無職の「プータロー」であった。
では何を頑張っているのかと思ったらアムウエイだった。その人もだが、アムウエイしている人たちには共通する点があった。まず、大体は学校の勉強ができない人だ。だから親のすねかじり又は苦学どちらかという以前の問題だ。
他にも特徴が共通している。
学校の勉強の代わりに技能・特技を身に着けるのでもなく、体力屈強や運動神経抜群でなく、容姿端麗でもなく、もちろん特殊な才能を持ってなどいない。しかし地道に働くのは嫌で、慎ましく質素に生活したくはないし、とにかく他人を出し抜いて成功したいと思っていて、贅沢はしたいけれど、むしろ他人を見下したくて、これが出世亡者ではなく劣等コンプレックスによるものであることが言動に顕われている。
だから、アムウエイに取り込まれてしまう人たちは、統一協会の被害者より同情の余地が乏しいのである。
それなのに、正体を隠して勧誘したことが同じだからと行政処分しても、代替とはなり得ないのだ。
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